壊れるもの、壊れないもの

ある種の物を壊せると思っている人が居るかも知れぬ。旧弊は取り除ければいいだろうと。勿論そのゴミだらけのところで権利というのは獲得しているのは、クリアだ。そのうえで飯だって食っているのである。綺麗になるために汚れてくれた人に感謝しない人が一番リアリティにおいては不潔だ。手を汚さないからバラモンにふんぞりかえれる訳ではない。ここはハッキリした所だ。人間として喜怒哀楽、情熱の裏返しとして、怒りも存在するだろう。能動的な人間は、葛藤も価値観の対立も避けられない、そこが人間性の人間的なところであろう。フルパワーで人間と人間がぶつかった時、それでも壊せないものが如実に判明するはずだ。それをサムシンググレートと、いってもいいが。ここにはそれこそセンスオブワンダーのパイプがあり、決めつけられるような厳密さはどのような信憑性においても、無い。それは心の多義性であり、突き止める所ではない。学術や診断書や善悪の分別、一方的なルールも関係ない。壊れて解決ということは実際には、無いのだ。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。