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あの人のどんなところが嫌ですか?それ、解決しちゃいましょう

私は今、ずいぶん生活が楽になってきました。
いろいろなストレスから解放され、
「自分のペース」で「自分のこと」をできる時間が
持てるようになりました。

それでも、私の前には
「嫌だな」と感じさせてくる人たちが現れます。

その人たちは「私のシャドウ」です。
私の中にある嫌な部分を
相手が見せてくれているそうです。

余裕がない時は向き合えないのですが、
今の私ならできそうだったので、
そのシャドウと向き合うことにしてみました。

<嫌だと感じる人たちの共通点>
・遠慮がない
・自分の思い通りに物事を運ぼうとしてくる
・自分の価値観で人を批判する
・人のものを自分の物にしようとする

つまり、
・自分中心に物事を考える
・自分中心に行動する
・自分中心に発言をする
これを堂々としてくる人たちです。

これがシャドウだとしたら、 
「私の中にもこれらがある」ということになります。

イヤですね(ーー;)

でも、私はそれを押さえ込んでいるんです。

だから、その人たちを見てイラつくんです。

そんなことを考えていたら、
ふと、昔のことを思い出しました。

実家で暮らしていた頃のことです。
私の家族は「大家族」でした。

もう亡くなりましたが、
当時の家長は祖父でした。

とても厳しく嫌味な人だったので
私は祖父と会話をするのが苦手でした。
心を許すことができないし、落ち着かないので、
なるべく顔を合わせないように
動線に気をつけていました。

そんなことを思い出したのです。

結婚した後、実家を出ました。
引っ越した先は
「旦那の親」と「親族一同」が住む「敷地内」でした。

私は「仲良し親族」の輪になかなか馴染めず、
誰かと顔を会わせるのが面倒になりました。
その結果、
影をひそめるようにコソコソと暮らすことになりました。

そんな今の自分にも気付きました。

実家での
「祖父の目を避けて暮らしていた自分」と、
「今の自分」とが重なったのです。

私はずっと、
「もっと堂々としていたい」
と思っていたのかもしれません。

悪い事をしているわけでもないのに
「誰かの目」を気にして
コソコソと生活しなければならない自分に
イラついていたのかもしれません。

専業主婦ではなく、
外に出て働きたいと思っていた理由も
そこにあったのかもしれません。

息をひそめていなければいけないこの居場所が
息苦しかったんだと思います。

本来の私は
・自分の意見を持っている
・きちんと気持ちよく挨拶したい
・会話のキャッチボールを楽しみたい

でもここでは
・私は気を使って合わせてばかり
・挨拶をしてもまともに返してもらえない
・一方的に意見を聞かされているだけ

「私の表現」ができていません。

ここには「私の居場所がない」
という感覚になっていました。

「私の存在」がないがしろになっているような気がして、
すごく苦しかったのだと思います。

今までずっと感じていた
「なんだかやりづらい」と思っていた根っこが、
見えてきたような気がしました。

分かっていたけど
認識していなかった部分です。

「そっか~、そうだったんだね」
と、自然と自分にそう言っていました。

私の中で、この気付きは
とても大きかったです。

影をひそめていてもいなくても
「私はここにいる」ということを実感しながら、
日々を過ごそうと思います。

こんな風に、
イライラの原因は「嫌な態度をしてくるあの人」ではなく、
自分の中に押し込めている感情なんです。

押し込めた「それ」を少しずつ見ていくことが、
人生を豊かに過ごすために
私たち大人がしていくといい事なのかもしれません。

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