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ビンタ研究レポートNo.7【K浦先生】☆音声資料アリ☆

1993年、私は高校を卒業した。

中学から高校卒業までの六年間でゲット出来たビンタは──

■親戚の叔母さん:高校受験の勉強を頑張りたいから、気合いを入れてほしいと頼み、ビンタ二発をゲット。

以上。 

六年間で叔母さんのビンタ二発。

もはや受動的なビンタは皆無で、こちらから頼まなければビンタを貰うことは出来なくなっていた。

ちなみに、他にもビンタを頼んでみたが失敗に終わった。

失敗例として──

■近所の駄菓子屋の叔母さん:高校受験の勉強を頑張りたいから気合いを入れてほしいと頼んだが、「そんなことはお母さんにしてもらいなさい」と完全拒否され失敗。

■新聞屋の奥さん:新聞配達のバイトをしていた際、三日連続で誤配してしまい、奥さんに叱られる。それをきっかけに、「反省したいのでビンタしてください」と頼んだが、ドン引きされて失敗。
 

ビンタ氷河期の到来である。

私はこの氷河期をドラマのビンタシーンでなんとかしのいだのだが、リアルビンタには勝てない。 

ガソリンスタンドに就職した私は、悶々とした日々を送っていた。

ある日、見覚えのあるお客さんを接客した。

中学時代の女教師、K浦先生だ。

K浦先生は少林寺拳法を習っており、武闘派教師として厳しい生活指導で有名だった。

担任として受け持ってもらうことは叶わなかったが、K浦先生が廊下に立たせた生徒三人に対して、かなり強烈なビンタを張っていて、鼻血を出しているところを目撃したことがあった。

なんとかしてビンタチャンスを狙ってはいたが、思春期を迎えた私は大胆な行動に出られなかった。

そのK浦先生がお客さんとして現れた──

久しぶりに胸が高鳴った。

お釣りを渡す際、手のひらの質感を確認したり(硬めだった)、この手のひらで強烈なビンタを張っていたのかとイメージしたりした。

だが、それ以上はなにも行動出来なかった。

卒業生ではあったが担任ではないこと、そして常連のお客さんであること。様々なことが弊害となり、ビンタチャンスに結びつけることは出来なかった。

それでも、K浦先生のビンタを諦められなかった私は一縷の望みを込めて行動に出た。

某日── 

卒業アルバムの住所録から電話番号を調べ、K浦先生宅へ電話をかけた。

「はいK浦です」

「○○中学卒業生の○○と申します。実は──」

私は声色を変えて架空の卒業生を装って、こう話した。

「ビンタしてほしい」

あまりにもストレートすぎる要望だが、当時はそれ以外思い付かなかった。

K浦先生はもちろんビンタを拒否、そのまま電話を切られてもおかしくなかった。

しかし、私は少しでもK浦先生のビンタに関する情報を知りたくて食い下がった。

「ビンタしなくてもいいので、ビンタに関する取材をさせてください」

K浦先生は当時、生徒にビンタをした理由を話してくれた。
先生の口から「ビンタ」というワードが出ただけでも嬉しかった。 

ワードさえもお宝に昇華する。

これが追求者なのだ。

続く


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