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名目GDPと購買力平価GDPの間にはなぜ乖離が発生するのか

 世界経済を定量的に評価する上で最強の指標はGDPだ。ところがGDPには二種類のタイプがある。それは名目GDPと購買力平価GDPだ。私の考察では基本的に購買力平価のGDPを使用していたのだが、これは必ずしも一般的とは言えない。最近は購買力平価を使用する統計も増えてきたが、以前は名目GDPの方が盛んに使われていた。

 名目GDPの定義は簡単である。GDPをそのまま為替レートに従って変換すれば良い。日本のGDPが500兆円で、1ドル=100円ならばGDPは5兆ドルということになる。ただし、名目GDPは投機や通貨政策の影響を多分に受けるので、その国の経済力の水準を本当に表しているのかは疑問視されることが多い。

 購買力平価の方はより難しい。購買力平価はその国の実質的な生活水準に注目した指標だからだ。国によって物価水準は異なる。例えば日本の物価がアメリカの半分だったとしよう。1ドル=100円とすると、アメリカで1ドルの商品が日本では50円=0.5ドルで購入できることになる。したがって同じ年収でも日本での生活水準はアメリカの二倍ということになる。先程の定義に従うと、日本のGDPは1000兆円ということになる。

 一人あたりに注目すると分かりやすい。一人あたりGDPと所得水準はほぼイコールである。年収1万ドルのアメリカ人と年収1万ドルのインド人は名目で考えると同じだ。しかし、インドの物価はアメリカよりも更に低いので、インド人の方は実質的に年収3万ドルとか4万ドルに相当することになる。こうした物価の違いに注目して日本の金持ちがタイに移住したり、自動車産業がベトナムに進出したりするのだ。

 名目GDPと購買力平価GDPでその国の経済力の評価はズレる。前者は先進国が優位であり、後者は発展途上国が大きく評価されることになる。例えばIMFの2023年のデータによると、アメリカの一人あたり名目GDPは80034ドル、メキシコの一人あたり名目GDPは12673ドルだ。名目で考えると両国の経済格差は6倍ということになる。購買力平価で考えるとメキシコの一人あたりGDPは23820ドルであり、名目の値より高い。購買力平価で考えると両国の経済格差は3倍ということになる。メキシコの物価はアメリカの半分とも言えるし、メキシコ人の労働はアメリカ人の半分しか評価されていないとも言える。

 名目GDPと購買力平価GDPのズレを比較した地図をネット上で見つけた。緑の国は名目GDPが比較的大きな国であり、赤の国は購買力平価が比較的大きな国だ。

 概ねその国の豊かさに比例していると言えるだろう。先進国は購買力平価GDPに比して名目GDPが大きいので、通貨が過大評価されているとも、物価が高いとも言える。貧困国は購買力平価GDPに比して名目GDPが小さいので、通貨が過小評価されているとも、物価が安いとも言える。

 なぜ豊かな国ほど物価が高くなる、あるいは通貨が過大評価されるようになるのだろう。その理由は貿易財と非貿易財の違いに起因している。

 自動車やソフトウェアのような国際貿易が可能な財は輸送コストを考えなければ価格は均一だ。理論の上ではホンダの車をアメリカで買おうがカンボジアで買おうが同一の値段になるはずである。もしカンボジアの車が安ければ、それはアメリカにガンガン輸出されて価格が裁定されるからだ。為替の相場は原則として貿易財の動向によって決定されている。

 一方で、非貿易財も世の中には多数存在する。代表格はマッサージだ。こうしたサービス業は日本もカンボジアも対してやっていることが変わらないが、日本の方が賃金が高いからと言って外国移住するマッサージ師は少ないだろう。こうした地場産業は国際貿易から切り離されており、しかも先進国と途上国でサービスの内容が変わらない事が多い。(カンボジアのマッサージはメチャクチャ気持ちよかった)

 さて、国内の労働市場ではマッサージ師と自動車工場の従業員が均衡していたとしよう。高校卒業後にどちらの進路に行くかは選べるので、両者の賃金は同一だとする。

 先進国の自動車産業の生産性は極めて高いので、経済的生産性は途上国の10倍としよう。両国の自動車工場の従業員の賃金も当然10倍の格差が開く。一方で、両国のマッサージ師の生産性は同一なのに、両者の賃金もまた10倍に開くことになる。なぜなら自動車工場の従業員もマッサージ師も賃金が拮抗しているからだ。見方によっては先進国は非貿易財に従事する人間の賃金が人手不足で高騰しているとも言える。要するに、先進国の輸出産業の生産性が非常に高いので、つられてローカル産業の価格も高くなっているのだ。これは東京と地方の物価に関しても同様である。

 長々と説明を書いてしまったが、身近な例で例えると早い。会社には営業部門と管理部門がある。営業部門は会社の収益をもたらす部門で、要するに稼ぎ頭だ。管理部門は人事とか経理とか総務と言った部門だ。管理部門はどの会社もやっていることが変わらないのに、営業部門の生産性によって給料は変わってくる。総合商社の管理部門は高給だし、斜陽産業の管理部門は給料が低い。日本企業の社員は横並び賃金で、管理部門に外部の人間を登用することはないため、非貿易財のような性質を持つ。

 所得水準の割に物価が安い国を考えてみよう。地図上で目立つのは産油国だ。湾岸産油国は先進国と似たような経済水準だが、物価は安い。理由として考えられるのは二重経済だ。石油は不労所得であり、ほとんど雇用を産まない。そのため国内の労働力は豊富な状態にある。産油国ではサービス業は安価に済み、それが生活水準の高さに繋がっている。実際に湾岸産油国ではパキスタン人の労働者を悪い条件で働かせている。

 ここまで書いたが、実際は為替変動や金融政策の影響で名目GDPはいくらでも変動する。通貨価値が購買力平価に一致するという購買力平価説はほとんど成り立っていない。台湾は輸出型工業立国だが、一人あたりのGDPは購買力平価だと非常に大きくなる。所得水準の割に物価が安いとも、台湾ドルがほとんど評価されていないとも言える。トルコやマレーシアも同様だ。ポーランドやハンガリーはユーロに加盟していないため、経済力の割に通貨が安い。為替に関する議論は複雑極まりなく、専門家にとっても手が負えないようだ。

 ここ数年、日本の円安の進行が話題になっている。以前であれば円安は輸出型産業に有利となるので、好景気を産むはずだった。人為的に実力よりも通貨レートを押し下げる事によって経済を操作するのである。しかし、最近の円安はあまり景気を浮揚させなかった。どうにもこの30年で日本の輸出産業はめっきり弱くなり、現在の円安は「実力相応」だったのではないかと言われている。 

 余談だが、しばしば「専業主婦の労働価値は1000万」と言われることがある。専業主婦の家事労働は先程の非貿易財に振る舞いが似ている。「あちらのほうが金払いがいいから」という理由で他所の家に行く主婦はいないからだ。

 どの家庭であっても主婦の大変さは変わらないだろう。しかし、夫の年収によって価値は変わってくる。夫婦で価値を折半するとすれば、年収2000万円の夫の専業主婦の労働価値は1000万円となり、年収500万の夫の専業主婦の労働価値は250万円となる。輸出産業の生産性が一般市民のドル建て年収を決めるように、夫の年収が専業主婦の労働価値を変えてしまうのである。

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