フレイルの祖父と学歴厨の孫

 先日は90近い祖父が体調不良らしいという話を聞き、久しぶりに祖父母宅を訪問した。家の中に入ってみると、祖父が苦しそうな声を上げて横たわっていた。一瞬ドキッとしたが、いつものパターンだと思い、見守ったら祖父は起き上がって「良く来たな」といった。祖父は80代後半になってから、いつも訪問すると常に筆者に「死んだふり」をする。まだ頭ははっきりしているらしい。

 祖父の体調不良の原因はすぐに分かった。祖父は病気になったわけではない。しかし、前身の筋肉が驚くくらいに消滅していた。腱が浮き上がり、筋肉のあるべきところに何も存在していなかった。いわゆる「フレイル」という現象が起きているようだ。買い物に行ったり、荷物を上げ下ろししたりという日常生活がどんどん難しくなっているらしい。

 一般に高齢者は65歳以上、後期高齢者は75歳以上とされる。それ以上の高齢者については明確な等級がない。しかし、筆者の経験によると、意外に大きいのが85歳近辺の壁だ。ここから先に定着した名称はないが、「超高齢期」というべきだろうか。70歳とか80歳で死亡する老人は明確な理由があることが多い。「ガン」とか「脳卒中」というものだ。アルツハイマー病によって行動不能になるというパターンもある。しかし、85歳以上になると、こうした疾患というよりも、老化による身体的な衰えの方が深刻になるようだ。顕著な点として、足腰が明確に悪くなり、それが日常生活に深刻な影響を及ぼすというものがあるだろう。この点は普通の60代70代の高齢者と超高齢期の高齢者を分ける大きな点だと思う。アメリカのバイデン大統領のノロノロした歩き方はしばしば話題に登るが、おそらく85歳以上のどこかで歩行不能となるはずだ。

 超高齢期の高齢者を見ていると、それ以下の年代にはあまり見られないパターンの死に方が増えてくる。例えば最近だと桂由美やキダ・タローのように、先月まで元気だったのに体調を崩して特に理由もなく死亡する、というパターンがある。それよりも深刻なものとして、身体的に衰え、要介護になり、そのまま何年かして死亡するというパターンがある。これらの人物に「脳梗塞」といった明確な要因が指摘されることは少ない。70歳や80歳で要介護になる人間は認知症や脳梗塞によるものが多いが、超高齢期になると、特に問題がなくても要介護になる人が多いようだ。逆にガンで死ぬ人は少なくなる。85歳以上の人間のほとんどにはガンが存在しているらしいが、その多くは細胞分裂の不活発さ故に深刻な事態にはなりにくい。

 祖父も完全に健康ということはないが、一般的に意味での致命的な疾患にかかっているわけでではない。単純に老化しているのだ。要するに、老衰が始まりかけているのである。老衰死が始まってくるのが85歳以上の超高齢期というゾーンなのだろう。今までは超高齢期まで生存する人間が少なかったので、老衰に関しては世間の認知度が高くなかった。むしろガンや脳卒中、最近はアルツハイマー病といった疾患を免れた幸運な人というイメージだっただろう。しかし、実際の老衰は楽な死に方ではない。少しずつ身体の自由が奪われ、できないことが増えていき、最後はベッドから起き上がることも難しくなっていくのだ。まるでALSのようである。実際、ALSは神経の老化が原因という説が有力らしい。

 最近の医学の進歩は目覚ましく、ガンすらも克服されそうな勢いだ。したがって、日本人の半分以上が85歳以上まで生存しているという未知の領域に到達しようとしている。日本人の寿命中位数は88歳という驚異的な水準だ。こうなると、日本人の死に方は今までとは変わってくる。老衰という要因がどんどん大きな割合を占めてきているのである。あと少しすれば日本人の多くが老衰によって死ぬようになるだろう。85歳辺りから身体の機能が深刻に衰え、社会的に孤立し、ついには寝たきりになり、死んでいくのである。人生で最も幸福度が低いのは85歳以上らしい。それはおそらくこうした要因によるものだろう。

 祖父は頭がはっきりしている分、意気消沈しているようだ。今までのように外で遊んだり、友人と話したりするのが難しくなってしまったからだ。これからもフレイルはどんどん進行していくだろう。ただし、こうした傾向は精神的にふさぎ込むとますます悪化するようだ。筆者は祖父に元気になってもらおうと学歴の話をすることにした。祖父に若かりし頃を思い出させ、興味のある話題で興奮してもらうには、これがベストだろうと思ったからだ。

 すると祖父は昔を思い出したようで、「駿台予備校で浪人した時は〜」などと色々と語り始めた。しまいには力を振り絞って行きつけの店に行き、「この店主の息子は名古屋大学医学部に進んで〜」などと話していた。90近くなっても祖父は学歴にこだわる人間のようだった。知り合いの話をする時には必ず「〇〇さんは〇〇大学法学部の出身で〜」との文句が付く。家を訪問した時に比べると随分と元気になったようだ。相変わらず筋肉は細いままだったが、気力がなければますます筋肉を使わなくなって老衰が進行してしまう。だから訪問して良かったと思う。

 かなり精神をやられた土日だったが、この世を去りゆく世代のためにも頑張らなければならないと、気を取り直している。

 

 


 

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