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<地政学>あまりにもラッキー過ぎる国、タイの地政学を考察する

 さて、今回はリクエストにあったタイの地政学を考えていきたいと思う。

 タイは東南アジアの有名な国であり、日本と同様に王政の国である。タイは近代に置いて深刻な地政学的紛争に巻き込まれることのなかった稀有な国だった。スイスの場合は山脈という自然の障壁が存在したが、タイの場合はそうではない。タイが深刻な事態を免れたのは類稀な運の良さが原因であり、この国はユーラシアに位置していながら平穏そのものなのだ。微笑みの国タイとは言ったものだ。ただし、似たように温厚な国民性が特徴の隣国す
カンボジアは世にも恐ろしい目に遭っているので、やはり見た目で判断するのは禁物である。

 今回はタイのあまりにもラッキーな地政学を紹介していこう。

殺戮を免れた国

 以前筆者はこのような記事を書いている。

近代におけるほぼすべての紛争をピックアップし、犠牲者の人口比をマップ化したものだ。

 ユーラシア大陸の多くの国が大規模な殺戮を経験している。旧ソ連が特に真っ黒になっているが、この辺りの事情はさんざん語っているので割愛する。被害が少なかった国はタイの他に南アジアや湾岸産油国がある。

 しかし、タイはインド亜大陸の国や湾岸産油国と比べてもかなり平和という印象が無いだろうか?インドとパキスタンは何度も戦争しているし、多数の国内紛争を抱える。サウジアラビアはアルカイダと9月11日のテロの震源地となった。これらと比べてもタイには紛争のイメージが無い。ある程度の大きさのユーラシア国家の中では最も平和と言っても過言ではないだろう。

なぜか植民地化されなかったタイ

 東南アジアは民族の移動が激しく、民族の歴史と地域の歴史が結構乖離している。どうにも中世の東南アジアは人口が希薄だったようだ。現在のタイ民族の先祖は雲南省に住んでいたが、1000年前に南下し、インドシナ半島の中央部に定着したとのことだ。タイの周辺の民族の系統はバラバラだ。ミャンマーは中国語と近く、ベトナムはオーストロアジア語族、カンボジアはクメール語族である。東南アジアとは民族のモザイク地帯であり、東欧に近いマージナルな地帯なのだ。

 最初タイ民族が建国した王朝はスコタイ王朝だったが、後でアユタヤ王朝に交代した。こちらの方は遥かに有名だろう。アユタヤ朝はそこそこの大国だったが、ビルマのタウングー王朝によって首都が陥落し、滅亡した。タイとビルマは長年に渡ってライバル関係にあり、何度も刃を交えている。

 19世紀に入ると、ヨーロッパ人がやってくる。帝国主義全盛期である。隣のベトナム・ラオス・カンボジアはフランスによって植民地化され、ビルマは無謀にもイギリスと戦争したことで敗北し、植民地化された。しかし、タイは最後まで植民地化されることはなかった。これは結構珍しい。アジアの国家で植民地化を免れたのは日本と清朝とタイとアフガニスタンとペルシャだけともいわれている。この辺りの話は有名だろう。

 それにしてもタイの幸運の原因は何だったのだろうか?まず指摘されるのはイギリス領ビルマとフランス領インドシナの緩衝地帯となっており、両国ともに手が出せなかったというものだ。タイは清朝のように膨大な人口を有していたわけでも、アフガニスタンのように山岳によって守られていた訳でもない。このような大国の勢力圏の間に存在している中立国は大体が悲惨な目に遭っているが、タイはそのようなことがなかった。

 タイがある程度の近代化を進めていて、列強が手を出しにくかったという説もある。ここに関しては定量的なデータが無いので論証は難しい。ただ、後述するように東南アジアにおいてタイは突出して発展しており、隣国よりも強い国だった可能性は否定できない。総じて国家の絶対的なサイズよりも、経済水準の高低の方が影響している印象である。

結局のところ、タイが植民地化を免れた明確な地政学的理由は見当たらない。中国やアフガニスタンは色々と理由が当てはめられるが、タイの場合は、隣国のベトナムやミャンマーとの明らかな違いは無いかもしれない。やはり、運が良かったのでは無いかと思う。

戦後のタイ

 第二次世界大戦でタイは日本と同盟を組み、枢軸国の一員となる。ただし、タイは弱小国であり、ほとんど戦闘らしい戦闘をしなかった。したがって連合軍から敵視されることもなかった。少し仏領インドシナと戦ったくらいである。

 タイは戦後も引き続き王国として存続することになった。ここで気になるのは東西冷戦である。東南アジアは東西冷戦の焦点となっており、タイは激しい戦争の舞台になってもおかしくなかったはずだ。ところがタイは東西冷戦の舞台となることを免れた。アメリカと条約を結び西側諸国の一員となり、ベトナム戦争においては重要な基地となったが、タイに戦火が及ぶことはなかった。本当についている。

 アジア太平洋地域の冷戦は1949年の中国革命とその余波によって引き起こされたと解釈するとわかりやすい。中国と隣接する朝鮮半島とベトナムは共産党が強大化し、西側陣営と激しい戦争を行った。ところがタイはラオスとミャンマーを緩衝地帯に中国と接することが無かったため、共産主義革命が及ぶことはなかった。タイの安全保障上最大の脅威となっていたタイ共産党は弱体で、中国から直接支援を受けられる、ビルマ共産党やラオス人民革命党のような深刻な脅威となることはなかった。

 東西冷戦の天王山と言えるのがベトナム戦争だ。この戦争は東西冷戦において最も激しく、インドシナ三国では少なくとも500万人以上の人間が殺害されている。ベトナムで戦争が起きている時はまだタイは南ベトナムやカンボジアを緩衝地帯にすることができたが、1975年のサイゴン陥落でインドシナ三国が共産化するとついにタイに戦火が及ぶかように思えた。

 しかし、ここでまたもやタイには幸運が訪れる。中ソ対立である。中国と関係が悪化したベトナムはソ連と同盟を組み、カンボジアに侵攻した。同じインドシナの共産主義国の間で仲間割れが発生したということになる。お陰でベトナムはタイに脅威をもたらしている場合ではなくなった。タイはベトナムに反乱を起こすポル・ポト派の軍を支援した。中国はタイを経由して物資を補給できたので、ポル・ポトは政権崩壊後もゲリラ戦を続けることができた。10年にも及ぶカンボジア戦争でベトナムは疲弊し、1989年に撤退した。結局、東西冷戦において一度たりともタイが正面に立つことはなかった。

タイの地政学

 タイはこれと言った地理的強みが存在しないにも関わらず、大変恵まれた地政学的状況にある。この国は本当にツイている。周辺国の事情が絶妙に組み合わさり、タイは安全保障に関して何もしなくても安全が守られているのだ。

 東南アジアにとって大きな存在である中国だが、タイはラオスとミャンマーが緩衝地帯となって中国の脅威を心配する必要がない。それどころか、タイと中国は基本的に友好関係にある。東西冷戦の時も、インドシナ三国が悲惨な戦争に巻き込まれ、ミャンマーが巻き込まれまいと厳しい鎖国政策を取ったのに対し、タイは平和で開かれた国のままだった。お陰でタイは周辺国よりも遥かに経済を発展させることができた。

 隣国のミャンマーは伝統的にタイのライバル国であり、近代以前は何度もタイを攻撃している。しかし、タイはミャンマーの脅威にも晒されていない。戦後に独立したミャンマー国家は終わりなき内戦が続いており、ミャンマー国軍は自国の少数民族すら制圧できていない。その結果としてタイとミャンマーの経済水準には4倍程度の差があり、ミャンマーがタイに対抗するのは不可能だ。それにミャンマーは孤立主義的であるため、この国が中国の衛星国となって基地に使われる可能性も当分の間はないだろう。タイにとって気がかりなのはむしろミャンマー国家が弱すぎて崩壊し、難民が流入するリスクだろう。

 タイはベトナムの脅威にも晒されていない。ベトナムの軍事力は強大で、経済も急速に発展しているため、本来ならタイの強力なライバルになってもおかしくないはずだ。しかし、ベトナムとタイの間にはラオスとカンボジアの緩衝地帯があり、ジャングルが障壁になっている。しかも両国には中国が食指を伸ばしている。ベトナムが西進すればカンボジアは必ず抵抗するだろう。ベトナムは北方の中国と西方のカンボジアに気を取られ、タイを脅かすことはない。むしろ中国とベトナムが対立する中でタイは安全な後方支援基地になるかもしれない。

 タイは絶妙なバランスによって外部の脅威に晒されていない。タイ軍はそこまで切羽詰まっていないのだ。タイの安全保障上の脅威は国内にもあまり存在しない。以前は散発的に反乱を起こしていたタイ共産党も現在は骨抜きにされている。現在も脅威となっているのは深南部のイスラム教徒の反乱だ。ただし、深南部はタイの中央部から遠く離れており、タイの中心部に打撃を与えることはない。また地理的に孤立しているため、外部勢力がこの地域に進出することも考えられない。したがって反乱の範囲は小規模に留まっている。

 というわけで、タイは深刻な安全保障上の脅威に晒される可能性が極めて低い。タイの周囲はラオス・カンボジア・ミャンマーが緩衝地帯になっており、強国の中国とベトナムはお互いに目が向いている。両国が対立しても争点になるのはラオスとカンボジアで、タイまで及ぶことはない。唯一問題が発生するのは何らかの事情でミャンマーが完全に中国の勢力圏に入った時だが、西側がこれを許容する可能性は低く、タイは1980年代にポル・ポト派を支援したようなやり方で少数民族のゲリラ戦を後押しするだろう。この場合も被害を受けるのはミャンマーである。

地域大国になる気がないタイ

 各国の一人当たりGDPを見てみよう。

 この図からもタイが周辺国に比べて明らかに発展しているように見える。東南アジアではシンガポールとマレーシアに次いで三番目だ。中国には追いつかれてしまったが、追い抜かされてはいない。

 議論あるところだが、タイは東南アジアで最強の地域大国といっても問題はないだろう。シンガポールは突出して豊かだが、狭小な都市国家だ。マレーシアも人口がタイより少ない上に国内に深刻な民族的分裂を抱えているため、タイよりも強力には思えない。圧倒的な人口を抱えるインドネシアは多民族帝国といっても良いくらいだが、まさにその理由により国内が慢性的な分裂状態で、地域大国として存在感を発揮する余力がない。ベトナムは強力だが、まだタイの経済水準には追いついていないようだ。

 それにもかかわらず、タイは地域大国として地域に勢力を伸ばすような素振りは一切見せていない。なんとも控えめな国だ。その理由は色々考えられるが、一つは東南アジアという地域が雑多な要素の詰め合わせで、他の地域のような統一的な秩序を生み出していないことにあるだろう。東南アジアを統一するような帝国は大日本帝国が一瞬達成したことを除けば存在しない。宗教的にもバラバラで、中国・インド・中東・ヨーロッパの影響がモザイク状に存在している。ある意味で地域そのものが緩衝地帯とも考えられる。地域大国になろうにも、地域が存在していないのだ。

 東南アジアの地政学的立場は東アジアの「おまけ」であり、タイは中国の周辺国という位置づけでしかない。しかもタイは中国の脅威に直接晒されているわけではないので、安全保障に力を入れたり地域覇権を目指す必要がほとんど存在しないのだ。タイのやる気の無い立ち位置はヨーロッパにおけるスペインに近いかもしれない。

 というわけで、タイの政治と軍は大変内向きだ。この国の軍隊は外国と戦うよりもクーデターを起こすことに注力しているようだ。第二次世界大戦後、最も多くのクーデターが成功したのはタイである。ただし、第三世界の多くの国に見られるような深刻なものではなく、強硬な総選挙のような感覚らしい。国民の王政と軍部に対する信頼は熱く、タイの現体制が崩壊する可能性は低い。

 タイの問題として考えられるのは格差だ。タイは東南アジアの中でも成長を遂げた国だが、バンコクへの一極集中が極端だ。バンコクとそれ以外の経済格差は世界の新興国の中でも激しい。タイの都市はバンコクが突出して大きく、二番手の都市が特に存在しない。首都一極集中型である。民族的な分裂が少ないタイにおいて、最大の政治的断層はここだ。タイは地方の農村を支持基盤としたタクシン派と、首都のエリートと結びついた軍部によるエスタブリッシュメント勢力とで二分されており、彼らは「赤シャツ派・黄シャツ派」などと呼ばれていつも暴動が起こしている。タイの政治はインドシナ三国やミャンマーに比べれば民主的なのかもしれないが、先進国の基準に照らすとまだまだ不安定である。

まとめ

アジアで植民地化を免れた数少ない国として知られるタイだが、その歴史は幸運極まりない。これと言った自然の特徴があるわけでもないのに、タイは国家を引き裂いたり、大勢の人間が死亡するような事態を全て回避してきた。地政学的な必然性だけでは説明できない。周囲の国家の配置や国際情勢が常に絶妙な具合にタイに味方していたため、こうした事態が起きたのだ。

 帝国主義時代のタイは英仏の緩衝地帯として独立が許され、王政は存続し続けた。戦後の混乱期も近隣国に起きたような混乱がタイには起こらず、平和を謳歌することができた。冷戦が激化してもタイはうまい具合に圧力がかからず、高みの見物をすることができた。

 タイは本当にラッキーだ。その一言に尽きるだろう。東南アジアの地域大国もどきであるこの国は、これからも安タイだろう。

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