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民族対立の8パターンについて語る

 世界には民族対立が耐えない。この手の対立は近代になってから激しくなったとも言われる。ただ、よく見ると民族対立は観点によって8つのパターンがあり、それぞれ性質は違うのだ。今回は8つのパターンについて考察していきたいと思う。

対立軸の設定

 民族、というより社会集団の種別は何があるか。真っ先に上がるのは強者と弱者の争いである。別の観点としてマジョリティとマイノリティの争いがある。同じくらい重要なのが豊かな集団と貧しい集団の争いだ。最後に見落としがちだが、生粋の民族と外来の民族の争いがある。この4つは相関していることもあるが、本質的には別である。貧しいけど権力を持っている集団もあれば、豊かだけど数が少ない集団もある。「権力」「数」「経済力」「プロパー」の4つの側面から対立軸は見る必要がある。

 理論を並べるよりも実際に例を挙げたほうが早いだろう。それでは見ていこう。 パターンは全部で8種類である。

移民型(強者・多数派・富裕・生粋VS弱者・少数派・貧困・外来)

 これはいわゆる移民問題に良く見られるタイプである。国民の多数派を占める民族は圧倒的な政治力を持つだけではなく、経済的にも豊かであるため、移民に大して優越的な地位を占めている。

 移民型の特徴は強者側の生粋の国民が移民に大して上から目線に出やすいということだ。生粋の国民は基本的に外来者が自分たちに合わせるべきだと考えているので、態度は強硬である。ただし、移民の場合はそもそも進んでその国にやってきた人たちなので、環境に適応しようという意志があることが多い。日本が嫌いなのに日本に移住してくるという外国人はあまり多くないだろう。

 移民型の弱者は後述する先住民型やゲルマン型に比べると遥かに融和的であることが多い。移民というとイメージが悪いが、多くの移民はホスト国に馴染もうと頑張っているのである。少数民族も自分よりも豊かな本土に魅了され、積極的に融合していくことは珍しくない。中国やロシアはそうやって拡大してきた。

先住民型(強者・多数派・富裕・外来VS弱者・少数派・貧困・生粋)

 オーストラリアの白人とアボリジニの関係がわかりやすい。社会のマジョリティは豊かな白人だが、その影で打ち捨てられた先住民が存在しているというケースである。従来は先住民族は無視されるか移民扱いされてきたのだが、近代以降は先住民族の権利を擁護しようという動きが出てきている。

 先住民問題の興味深いことは、同じ貧しいマイノリティであっても、全く立ち位置が違うということだ。主流派民族は先住民に対しては尊重する義務があると考えられているし、文化の押し付けはご法度だ。アメリカのマッキンリー山も先住民の命名を尊重しようということで、デナリに改称された。一方で移民の場合はその国の文化に合わせることが要求されるし、拒否すれば排除が待っている。人間社会は「先住権」というのが尊重される節があり、同じマイノリティでも先住者と外来者で全く扱いが違うのである。

 先住民型は一見マイノリティの権利が保障されているように思えるが、実体はかなり厄介だ。先住民は移民に比べて社会に馴染めない事が多いからだ。移民はやる気のある人の集まりだが、先住民はむしろ犠牲者という側面がある。北米にせよ、オーストラリアにせよ、先住民は発展途上国からの移民よりも遥かに困難な立場に追いやられているのだ。

 少数民族問題の扱いは難しいのだが、基本的に移民型に認識が近ければ融和モードで、先住民型に認識が近ければ分離モードであることが多い。前者は自国内での自分たちの地位の低さに憤慨しているのに対し、後者は国家という存在を排斥対象だと思っているからだ。

ユダヤ型(強者・多数派・貧困・生粋VS弱者・少数派・富裕・外来)

 これはユダヤ人が最も有名だろう。いわゆる「優秀なマイノリティ」系の民族である。他には東南アジアの華僑やインドのパールシー教徒などが挙げられる。アパルトヘイト廃止後の南アフリカもこの並びに加わった。

 これらのマイノリティは尊敬されると同時に嫌われるという奇妙な立場に置かれる事が多い。政治のような権力の中枢からは疎外されているが、商売や学術と言った分野においては第一人者だったりもする。

 これらの少数派の運命は予測不能だ。普段なら問題がなくても政治状況が変われば大量迫害が起こる時もある。ホロコーストは典型例だ。権力を失った後のツチ族も似たような立場にあった。インドネシア930事件でも華僑は襲撃に遭った。「優秀なマイノリティ」型の民族はこうした事態に備えて海外移住の準備をしていることが多く、ディアスポラのネットワークをしばしば持つ。

ゲルマン型(強者・多数派・貧困・外来VS弱者・少数派・富裕・生粋)

 あまりメジャーではないケースである。想像しやすいのはゲルマン人に征服されたローマ帝国だろうか。ゾンビのように押し寄せる貧しい民族の群れに都市文明を築いていたローマ人が飲み込まれる様子である。

 ゲルマン型の対立が起きるのはかなり例外的な状況だ。通常は貧しいが数の多い民族は征服者よりも征服される側になることが多いからだ。発展途上国からの移民も受け入れ先の国で権力を握ることはないし、そもそも多数派にならないように調整されている。このような征服が行われることは稀だ。

 近代の例だと、東欧を征服したソ連が挙げられるだろう。バルト三国や東ドイツの住民はソ連よりも遥かに豊かだったが、数で圧倒するソ連軍に服従するしかなかった。住民がソ連を尊敬することはなく、いつの時代も分離独立を狙っていた。これはソ連よりも貧しいブルガリアや中央アジアとは様相を異にする。他にもユーゴ崩壊期のスロベニアやスペインのバスク地方も同様の構図があるかもしれない。

貴族型(強者・少数派・富裕・生粋VS弱者・多数派・貧困・外来)

 近代以前の社会に良く見られたケースである。基本的に貴族というのは少数派だが、社会の実権を握っており、「エラい」存在だった。これに対する農民は貴族の持つ土地に住まわされている存在であり、貴族に大して頭が上がらなかった。貴族制度は農耕文明と土地の所有制度との関連が非常に深いのだ。

 貴族型の場合は弱者が強者の文化を真似ることが多いので、民族的分断は階級的分断に変化することが多い。アメリカ人が皆英語を話しているのが良い例だ。WASPは国の一割に満たないのに、ドイツやイタリアやメキシコからの移住者は皆WASPの言葉を話している。貴族型の民族対立としてはオスマン帝国末期のバルカン半島が挙げられるだろうか。現地の地主階級がトルコ化していたからだ。同様に旧ハプスブルク帝国のドイツ貴族も挙げられる。

 後述する入植者型は数世代経つと貴族型へと変化することもある。これは世界の歴史で何度も起きてきた。ノルマン・コンクエストの影響で英語にフランス語の語彙が大量に入っていたり、中南米の住民の大半がスペイン語を話していたりという具合だ。

入植者型(強者・少数派・富裕・外来VS弱者・多数派・貧困・生粋)

 先述の貴族型に比べると、こちらは遥かに理解しやすく、露骨に非民主的だ。典型例はスペイン人による新大陸の植民地化である。少数の豊かな白人入植者が多数の先住民を支配している構図だ。アパルトヘイト時代の南アフリカやフランス領アルジェリアもまさにこれだった。

 近代以前はこのような地域は沢山見られたが、近代化と共に難しくなっている。入植者型の民族問題は最も解決が難しい。強者の側は貧しい弱者に合わせても何一つ良いことがないし、弱者の側はよそ者の入植者を侵略者としか思わないからだ。強者の側は選挙権を与えると自分たちが負けてしまうので、非民主的な政治体制を考えざるを得ない。

 移民と入植者の違いはここにある。移民は大体が受入国よりも貧しい国から来た人々で、受け入れてくれた国に感謝し、社会の一員になろうと頑張る。そうでない人もいるが、多数派は馴染むことを優先するだろう。ところが入植者は現地人よりも豊かであることが多く、軍事的にも強力だ。したがって、現地人を有害鳥獣のように思っていることが多い。

 現在ではパレスチナがこれに当たる。ユダヤ人入植者は現地の人間とトラブルになることが多く、融和は難しい。入植者目線では現地人は本当に邪魔なのだ。当然現地人は自分たちの土地を守ろうと戦うので、紛争はいつまでも解決しない。北米のように入植者が数で圧倒している地域とどちらがマシかはなんとも言えない。

存在せず(強者・少数派・貧困・生粋VS弱者・多数派・富裕・外来)

 8つのパターンのうち、これに関しては該当するケースが見当たらなかった。貧しい少数派が多数の豊かな移民を支配するなんてケースはなかなか思いつかない。先住民がやたらと尊敬されている国があったとしても、権力側にはなり得ないはずだ。もし可能ならば独立しているだろう。

遊牧民型(強者・少数派・貧困・外来VS弱者・多数派・富裕・生粋)

 一番なさそうなケースにも思えるが、世界の歴史ではかなり多いパターンである。近代以前の遊牧民は数は少ないながらも強大な軍事力を持っており、文明世界の富に魅入られてしばしば略奪を行っていたからだ。

 近代以前と近代の一番の違いはこれかもしれない。近代以前においては「貧しくて強い民族」が沢山存在したのである。近代の場合は工業力で強弱が決まってしまうので、豊かな民族は戦争が強いし、貧しい民族は戦争が弱い。

 そんな遊牧民だが、文明地帯を征服してしまうと、数世代のうちに現地の豊かな生活に慣れてしまい、貴族型になることがほとんどだ。

まとめ

 全パターンを考察したが、かえってわかりにくくなってしまったかもしれない。重要なのは強者と弱者、多数派と少数派、富裕層と貧困層、生粋と外来の区別がそれぞれ別のものであるということだ。ここに注目しなければ、民族対立の理解はしにくくなる。

 特に見過ごされがちなのが富裕層と貧困層だ。通常、貧困層は富裕層から学び取るものが沢山あるが、逆は存在しない。したがって、豊かな民族が貧しい民族に合わせるといった形の融和は存在し得ないのだ。これが先住民型や入植者型の対立を複雑化させている。

 だいたいこの8類型に分ければ民族紛争の先行きは予想できる。

 移民型は弱者が強者に最終的に同化されることが多い。例外は強者の側が弱者を排斥した場合だ。こうなるといわゆる被差別民族が出来上がる。欧州のロマがそうだ。

 先住民型の場合は分離独立運動に走るケースがほとんどだ。ただし新大陸のように先住民の側があまりにも弱いと強者の活動家の手を借りて権利擁護運動が行われる。

 ユダヤ型は複雑だ。弱者は尊敬されると同時に嫌われるという奇妙な立場に置かれており、強者と弱者が見下し合っているという展開になることもある。同化が進んだ場合はそのままエリート層になるケースもある。軍事紛争になることはまず無く、虐殺になることが多い。

 ゲルマン型は不安定だ。機会があらば必ず分離独立運動に走る。先住民型と違い、ゲルマン型の場合は宗主国による支配は害でしかないからだ。

 貴族型は社会そのものと言っても良いかもしれない。このような形の支配は長年続く事が多い。このような民族対立が近代で稀な理由は、多数派の人間が貴族の文化を真似るからでもある。アメリカにおいてWASPは一割ほどだが、彼らの言語をみんなが話しているのだ。貴族型は民族対立というよりも

 入植者型は民族紛争で一番厄介なパターンだ。ほとんど解決不能と言っても良いかもしれない。世界の分離独立運動もよく見ると入植者型であることが多い。貧しい少数民族にとって宗主国の一部であることはメリットも多いが、入植者が乗り込んでくると話は別だ。入植者は人種差別的になることが多く、現地人と軋轢を産む。現地人が勝利すると入植者は民族浄化に遭ってしまう。入植者型が解決する唯一のパターンは入植者の文化が現地人を圧倒して貴族型へ移行するケースである。

 遊牧民型は近代では見られない類型だ。このパターンでは強者は数世代のうちに弱者に吸収され、見分けがつかなくなってしまう。

 世界の民族紛争はだいたいこれらの要素を併せ持つ事が多い。メジャーなものはだいたいこれらの要素の一つか複数を併せ持っている。ただ、レバノン内戦のように分類不能の時もある。こういったケースはそもそも国民国家が成立していないことがほとんどだ。マジョリティすら存在しないモザイク国家がこの世には多数存在するのである。

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