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<地政学>没落国家スペインの地政学について考察する

 またまたリクエスト記事である。トルコ・韓国と半島国家が続いたので、今度は同じ半島国家のスペインと行こう。

 スペインはヨーロッパの南西に位置するイベリア半島の国家だ。全盛期には太陽の沈まない国とも呼ばれ、中南米を始め広大な帝国を持っていた。しかし、19世紀になるとすっかり没落し、過去の国となってしまった。今回はそんなスペインの地政学的条件と没落の原因について考えたいと思う。

境界地帯の国

 現在では忘れられているのだが、スペインはヨーロッパの国でない期間があった。スペインは中世の長きに渡ってアラブ人支配下の中東の国だったのである。

 スペインの南にはジブラルタル海峡が存在しており、対岸のモロッコからは簡単に攻めることができる。というか、ジブラルタル海峡はスペインを征服したアラブの将軍の名前に因んでいる。スペインは長年中東とヨーロッパの境界地帯の国だったのだ。アラブ世界からスペインは随分と距離が遠いようにも見えるが、アラブ人はそこまで征服に苦労しなかった。理由の一つは気候だ。スペインの気候は特に南部は焼けるように熱く、北アフリカの延長線上だ。だからアラブ人にとっては北方を攻めるよりも容易だったのかもしれない。東西方向への拡大は南北方向への拡大よりも容易なのは歴史の常だ。

 スペインの北方にはピレネー山脈が横たわり、その向こうにはフランスが存在する。ここも自然の障壁として機能してきた。ピレネーを境界にイスラム世界とキリスト教世界は長年対峙していたのだ。ここがフランク王国とイスラム帝国の境界でもあった。アラブ人の征服軍から逃げ延びたキリスト教の貴族のペラーヨという人物は北部の山岳地帯に立てこもり、抵抗の拠点とした。イベリア半島のレコンキスタの歴史はこのペラヨが起源である。

 イベリア半島は山がちな地形も影響して、小国分立状態が長かった。強大な王朝が存在していた時ですら、分権的だったのだ。この時代のヨーロッパはフランスにせよ、ドイツにせよ、どこもそうだった。無数の政治勢力が割拠した中世のイベリア半島においてキリスト教徒とイスラム教徒は合従連衡を繰り返し、争い合った。1492年、イベリア半島でイスラム教徒の最後の砦が陥落し、イベリア半島はキリスト教徒によって奪還される。同年、コロンブスが新大陸を発見した。ここからスペインの黄金時代が始まる。

大航海時代

 大航海時代の口火を切ったのはスペインとポルトガルだった。どうしてこの二カ国だったのだろうか?他の国ではダメだったのか?

 まず大西洋に大規模な海軍力を展開するには大西洋に面していることが条件である。したがって地中海に大海軍を持っていたオスマン帝国は大航海時代の担い手としては不利だった。西ヨーロッパの国が明らかにこの点では有利である。

 一方でイベリア半島はそれらの国の中でもわずかにアドバンテージがあった。当時の世界では最も海上交易が盛んな地域は地中海であり、ここに面していたスペインはそれなりに海運に関心が強かったのである。ルネサンス時代のヨーロッパの重心は現在よりも南寄りだったと考えて良い。コロンブスはスペイン人ではなく、イタリア人だった。ただ、この時代のイタリアは小国分立時代だったので、コロンブスの冒険のパトロンになってくれる国が無かった。したがってコロンブスは隣国のスペインを頼ったのだ。スペインはジェノバやヴェネツィアと言った国よりも遥かに強大であり、地域大国となるのに十分な国土を持っていた。

 というわけで、イベリア半島の2カ国は大航海時代の先行スタートを切ったのには、それなりの必然性が存在した。地中海でヴェネツィアやオスマン帝国に勝てない両国は大西洋に漕ぎ出して新たな交易路を獲得しようとしたのだった。

新大陸の征服

 スペインはまたたく間にラテンアメリカを征服する。この征服の容易さは人類史上稀に見る速度だっただろう。新大陸はユーラシアの進んだ文明から隔離されており、軍事力に圧倒的な格差が存在した。このあたりは「銃・病原菌・鉄」で描かれている通りである。外来生物があっという間に在来種を駆逐するのと同様に、スペイン人はあっという間にインカとアステカを駆逐してしまった。

 この急速な拡大は近世における無主地の消滅の一環として捉える事ができる。少し後にロシアは同様にシベリアを高速で征服している。まだ文明世界の人間の手が及ばなかった地域がまたたく間に征服されていった。清朝が内陸部を征服したり、オスマン帝国がアラブ世界を征服したり、近世帝国は少数の帝国が多数の後進地帯を組み込んでいく過程と言えるだろう。この時代の5大帝国はスペイン・オスマン・ロシア・ムガル・清朝だ。こうやって並べるとスペインを過剰に特別扱いせずに済む。

 新大陸から膨大な銀が流入するとスペインは一気に大国へと躍り出た。いわばゴールドラッシュのようなものだ。一攫千金でスペインは大金持ちになったのだ。

スペイン没落の謎

 さて、ヨーロッパの黄金時代はこのスペインの冒険から始まったというイメージで語られている。しかし、これは本当に正しいのだろうか?筆者はスペインの黄金時代はヨーロッパ黄金時代のきっかけとなった事件ではあるが、黄金時代そのものではないという見解を持っている。スペインは近代化に失敗した国家だからである。

「近代」という時代は18世紀後半のイギリスで始まった。この時にイギリスでは工業化が急速に進展し、一人あたりのGDPが2%という当時としては高速で伸び始めた。いくつかの国はイギリスに続いて工業化を開始した。これが近代の起こりである。近代化がイギリスで始まったのは近世末期において世界で最も進んだ地域だったからだ。可燃物の温度が上昇し続けた結果近代化の火が付くイメージである。

 ところがスペインにこのような事態は起こらなかった。スペインは近代化が訪れず、中途半端な状態で停滞を余儀なくされる。イギリスが世界で初めて「先進国」になった国とすれば、スペインは「中進国の罠」に世界で初めて囚われた国と思われる。スペイン帝国は近世帝国であり、近代帝国では無かったのだ。19世紀末にはスペインの一人当たりGDPはロシアと同程度だった。

 スペインは新大陸で大量の銀を手に入れたことによって裕福になった。しかし、その実態は先進国というよりも産油国に近かった。現在でいうところのサウジアラビアである。スペインの富は王室の贅沢や戦争のための費用で無駄遣いされていった。銀によってもたらされた富は工業化のために使われるのではなく、インフレを引き起こしただけだった。

 スペインの停滞は地政学で説明することはできない。国力に関するパラメータのうち、一人あたりのGDPだけは地政学にあまり関係がない。なぜ西欧と東アジアは先進国になれたのに、ラテンアメリカやロシアは停滞しているのか。こうした理由は未だに謎であり、様々な考察や研究がなされている。近代以降の先進国と途上国の分布に地政学はほとんど関係がないのである。内陸国が不利とか、ユーラシア大陸以外は不利とか、個別の論点はあるのだが、一番肝心なところは説明できていない。

スペインの落日

 こうしてスペインは没落していった。スペインが有利だったのは最初の一歩だけだった。大西洋へのアクセスという優位はイギリス・オランダ・フランスも持っており、これらの国は次第にスペインを圧倒するようになった。この構図は17世紀になるとハッキリしてきた。イギリス・フランス・オランダには優れた文化や学術的発見が花開いたが、スペインにはベラスケスの絵画くらいしか見るべきものは無かった。明らかに差が付けられているのが見て取れる。

 スペインが衰退した根本の理由は先程の近代化の失敗だが、地政学的な要因も存在する。スペインが帝国であり続けるには海洋国家として自らを定義する必要があった。しかし、スペインは大陸にどんどん深入りしていき、国力を使い果たすようになった。オランダ独立戦争でネーデルランドでの長年に渡る軍事行動に莫大な資金をつぎ込むようになったし、三十年戦争においても軍事介入を行った。スペインは莫大な資金を投入して神聖ローマ帝国のカトリック勢力を支援したが、大した成果は挙げられなかった。大陸に深入りして失敗した点では大日本帝国に近いものがあるかもしれない。

 三十年戦争の結果、スペインは敗北する。フランスとの直接対決に敗れ、オランダとポルトガルは独立し、膨大な費用が失われた。これ以降、スペインが立ち上がることはなかった。フランスはスペインよりも遥かに人口が多く、明らかに有利だった。三十年戦争の帰趨を決したのもフランスの参戦だった。この辺りを境にスペインは歴史の第一線から姿を消すことになる。

 18世紀のスペイン継承戦争の結果、スペインはフランスの格下の同盟国となっていく。フランス革命が起きるとフランスと決別し、ナポレオン戦争ではゲリラ戦を勝ち抜き、なんとかメンツを保った。しかし、この戦争が原因でラテンアメリカの植民地が独立し、帝国を完全に失ってしまうことになる。イギリスやフランスよりも100年早い。

 スペインの没落はヨーロッパ黄金時代においてどのような文脈で位置づけるべきだろうか。筆者の見解はスペイン帝国が近世帝国であり、近代帝国ではないというものだ。要するに、スペイン帝国はオスマン帝国と同列の帝国だったのである。オスマン帝国はバルカン半島とアナトリア西部の住民が後進地帯の中東を征服して生まれた帝国だった。スペインはイベリア半島の住民が後進地帯の中南米を征服して生まれた帝国だった。両者は近代になるにつれてイギリスやフランスと言った近代国家に差をつけられていった。スペイン帝国はナポレオン戦争が原因で崩壊したが、オスマン帝国はそれより100年も長生きした。こう考えるとスペインを特別視しないで済むだろう。

スペインの地政学

 さて、スペインの地政学的条件について考えてみよう。まずスペインは基本的に海洋国家である。地中海と大西洋の両方に面しているという強みを生かしてスペインは大航海時代にいち早くスタートを切ることができた。イベリア半島は北部で大陸と接しているが、ピレネー山脈のお陰で侵略的な軍事行動は難しく、事実上の島として振る舞うことが可能になっていた。フランスとスペインの境界が1000年以上も変わっていないことを考えると、ピレネーの障壁はそれなりに強力なのではないかと思われる。スペインの拡張政策はイタリアなど他の地域で行われたし、逆にスペインは完全に衰退してからも滅ぼされることはなかった。この点ではスペインの地理的条件はイギリスに似ているかもしれない。

 近世スペインの地政学的欠点は同国の海洋国家としての性質にある。スペインはピレネー山脈と莫大な人口を抱えるフランス国家の影響で地続きで勢力拡大が難しく、イタリアとネーデルランドに飛び地状に領土を拡大した。いかにも海洋国家らしい領土の取り方だ。しかし、海洋国家という性質上、大陸の戦争では不利である。仏独と違ってスペインは欧州に陸の帝国を築くのは難しかっただろう。フランスを破れないため、スペインの欧州覇権はほぼ不可能である。スペインが大陸の泥沼で消耗した様は百年戦争のイギリスやベトナム戦争のアメリカを彷彿とさせる。

 近世スペインの活路は海洋帝国にあったはずだ。スペインがもし産業革命に成功していたら今頃イギリスに替わる存在になっていただろう。こちらも近代化に失敗したことで頓挫してしまった。スペインはイギリスやオランダという国々に引き離されてしまい、18世紀には埋めようのない差になった。最後は地中海の制海権すら奪われてしまった。英領ジブラルタルの存在が全てを象徴している。

 近代のスペインは停滞していたが、決定的な地政学的抗争に巻き込まれることはなかった。スペインがジブラルタル海峡という要衝に位置していることを考えると、これは驚くべきことだ。二度の世界大戦には参加していないし、19世紀の戦争にもほとんど参加していない。というか、内戦でそれどころではなかった。

 スペインは積極的に軍拡を行ったわけでも、勢力均衡を操ったわけでもない。近代スペインは何もしていない。ではなぜ戦争に巻き込まれなかったかと言うと、それはナポレオン戦争以降のヨーロッパの地政学的変化にある。ナポレオン戦争までヨーロッパの平和を乱す国はフランスだった。したがってフランスとそれを包囲する同盟国というタイプの戦争が目立っている。フランスと隣接するスペインは必ず戦争に巻き込まれることになる。スペイン継承戦争がまさにそうだったし、オーストリア継承戦争や七年戦争にもスペインは参加している。

 しかし、ナポレオン戦争を最後にフランスは地域の秩序をかき乱す国ではなくなり、争点はドイツやロシアにシフトしていく。この段階になるとスペインは地域の勢力均衡にとって重要な国ではなくなった。二度の世界大戦でも冷戦でもスペインはフランスを盾にできるため、何もする必要が無かった。

 南方はどうか。伝統的にスペインを脅かしてきたのは南方の北アフリカ方面の敵だった。中世はもちろん、近世初期においてもオスマン帝国と組んだ北アフリカの海賊は手ごわい相手だった。しかし、近代になると北アフリカのイスラム教徒は衰退してしまう。スペインはこれに乗じて南進するかというと、そうでもなかった。北アフリカを植民地化したのはフランスである。スペインはモロッコ北部の狭い領域を併合しただけだった。英領ジブラルタルを根拠地にイベリア半島の周囲の制海権を握っていたのはイギリスだったが、この国は大陸に深入りしないという国是の下、スペインを侵略する可能性は無かった。むしろナポレオン戦争でイギリスはスペインを支援し、過酷な戦争を戦い抜いたのだ。

 スペインの脅威は内部にある。この国は近世から常に分裂した状態にあり、なかなか中央集権が実施されなかった。内戦も何度か繰り返されている。レコンキスタの時代からスペインは分権的のようである。現在もカタルーニャで独立運動は起きているし、バスク独立勢力のテロも以前は起きていた。だが、EUとNATOがある限り、スペインが深刻な状況になることはないだろう。

まとめ

 以上がスペインの地政学である。スペインは近世において繁栄していたが近代になると全くうだつの上がらない国になった。その原因は、近代化に失敗したことである。お陰でスペインは西欧にありながらアジアの帝国と似たような雰囲気となった。イギリスが海外帝国を築き上げたのに対し、スペインは新大陸の富をヨーロッパの戦争に注ぎ込み、破産してしまった。

 18世紀以降のスペインは無気力状態だったが、それでも独立は守られた。南方のイスラム教徒は何世紀も前に衰退しており、脅威ではなくなっていた。北方のフランスとは複雑な関係にあった。対立したり従属国になったりということを繰り返している。フランスがスペインを完全に征服することはなかった。それはピレネー山脈によって隔離されていることと、イギリスがそれを許さないからである。

 19世紀に入り、フランスが現状維持勢力に変わるとスペインに対する地政学的脅威は本当に存在しなくなった。ドイツやロシアの勢力もスペインまでは届かず、二度の世界大戦と冷戦を他人事としてやり過ごすことができた。

 ユーラシアの喧騒から隔離されていて、深刻な地政学的脅威が存在しないが、勢力拡大を目指すほど強くないという点でスペインはまさにラテンアメリカの国にそっくりである。


 

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