学力上位0.1%に入るのに意味はあるか~学歴の頭打ちゾーン~

 前回は学力上位0.1%の進路選択について考えた。今回は学力上位0.1%の人間が本当に相応の価値があるのかという話である。

 筆者は以前、学歴ピラミッドを対数スケールで考えてみたことがある。レベルが1上がるごとに存在比が3.2倍希少になっていく。レベル1が普通の大卒、レベル2がMarch地方国立、レベル3が早慶旧帝、レベル4が京一工医、レベル5が東大、レベル6が阪大医学部、レベル7が東大理三である。今回論じる上位0.1%人間は基本的にレベル6以上のゾーンである。医学部であれば阪大や慶応に現役で受かるゾーン、それ以外であればA判定で東大に現役合格するゾーンである。

 年収は600~1000万円あたりから幸福感が上がらないという。学歴も似たような頭打ちゾーンが存在する。それがどこかと考えると、おそらくレベル3から4近辺である。これより上に行ってもあまり社会に出た時の効用は変わらないのではないかと思われる。

 まずエリサラであるが、前提としてある程度の学力は必要だと思う。基礎的な教養が欠けてはいけないし、読解力や計算力に問題があってはならない。レベル2(March)は必要だし、レベル3(早慶)くらいはあっても困らないだろう。問題はそこから上だ。優秀なエリサラは早慶か一橋当たりの学歴が多く、それ以上はあまり関係ないように見える。早慶で出世する人は早稲田政経や慶応経済の人が多いのだが、レベル的にはこのあたりの学部は3.5だ。サラリーマンとしての頭打ちゾーンはレベル3から4にかけてなのではないかと思う。一流企業内定率も一橋と東工大が一番高い。東大京大になると逆に下がる。もちろん一流企業以外の選択肢を探っている人が多いことが理由だろうが、一方でエリサラにはオーバースペックであるという見方もできる。東大卒の出世度は他の大学に比べて高いとも言われるが、民間企業でバリバリ働いている層の東大出身者はレベル5が多い。レベル6にも優秀なエリサラは多いだろうが、割合としてはあまり変わらないと思う。感覚として、レベル2は必須、レベル3はあるのが好ましく、レベル4になると尊敬され、レベル5になるとややオーバースペック、レベル6になると全く使い道がないという印象である。

 じゃあ会社員以外の進路はどうなのかという話だが、これまたレベル4以上は頭打ちになる可能性が高い。理系研究者は早慶旧帝以上でないと難しいところがあるが、一方でレベル5以上となると頭打ちの様相が強くなる。少なくともレベル6以上に関してはあまり関係がないと言えるだろう。レベル6以上の人間は東大に極端に集中しているが、東大と京大で研究者の排出力に大きな差があるとは思えない。また、東大内部に関しても言える。レベル6の人物は原則として現役合格者だが、現役と浪人でアカデミアの能力が異なるという話も聞いたことがない。どうにもレベル6以上は学力に見合った効用はなさそうに思える。

 医者は出身大学と能力が全く一致しないと言われる。強いて言うならば下位私大医学部やコネ入学とそれ以外の差だろうか。こうした現象が起きる理由は医学部が原則としてレベル3以上だからだろう。一部を除いて学歴の頭打ち点を超えているため、出身大学がほとんど意味をなしていないのかもしれない。

 では自由業はどうかとなると、やはり学歴はレベル3から4辺りで頭打ちになる。作家の学歴を考えてみても、早慶旧帝以上の存在比は高いと思うが、東大京大となると、存在比は早慶旧帝とあまり変わらないと思う。ブロガーとか社会起業家などを考えてみても同様だ。最も学歴と関係の強い仕事は塾講師だろうが、名物講師の東大率はそこまで高いわけではない。これも早慶旧帝以上は頭打ちだろう。東大卒の看板講師であっても受験生の時は浪人してギリギリ滑り込んだといった人も多く、レベル6以上の効用はあまりなさそうだ。

 こうなる原因を考えてみよう。学歴は高くなれば高くなるほど受験に特化して進化したという様相が濃くなる。ある種特殊化しすぎているのかもしれない。石炭紀の巨大トンボのように、特殊化しすぎた生物は脆弱になるというのは生態系の普遍の原則だ。

 もう一つの理由も考えられる。上位に行くほどいろいろな科目を高い位置で達成する「ジェネラリスト」としての要素が求められる。ところが専門分野は一つしか選べないので、あれこれ沢山の科目に通じていても、あまり意味がない。早慶旧帝の場合、得意科目であれば東大生に引けを取らないという人間が多く、専門分化が進んで以降は東大の優位は薄らいでしまう。レベル6の人間の選択肢は非常に多いのだが、選べる選択肢が一つである以上、社会に出た後のパフォーマンスはそこまで高くはない。

 いろいろ考えてみたが、大抵の業界で学歴と能力の相関はレベル3から4辺りで頭打ちで、それ以降はあまり意味がなくなってしまう。レベル4と5ではわずかな違いはあるが、問題なく逆転できる範囲だ。レベル6以上に関しては本当に社会で生かす場所がない。最も頭の良さが求められる物理学者であっても、受験学力は京大や一浪東大で問題は全くなく、阪大医学部並みの偏差値は不要である。学力上位0.1%は日本社会における「浮きこぼれ」なのかもしれない。

 以前の記事でレベル6以上の人間はあまり一般企業には就職せず、専門職などに流れるということを述べた。興味深いのはレベル6以上の就職先はいわゆる「つぶれない」業界が多いということだ。裏を返せば、レベル6以上の人間はビジネスに不向きなのではないかという疑念が湧いてくる。興銀や長銀のような銀行が昔はあったが、すでに破綻している。レベル6以上の人間が多い職場はあまりに官僚的すぎて、パフォーマンスは下がるのではないか。一部の一流企業はその気になれば新入社員を全員レベル6でそろえることも可能に見えるが、そうしないのは理由があるのだろう。

 また、レベル6の人間の収入がレベル5や4と比べて多いという話も聞かない。寧ろレベル6で花形とされる学者や官僚は大手企業よりも賃金水準が低い。例外は外資系投資銀行だが、彼らにしても生涯賃金がレベル5に比べて多いとは言えないのではないかと思う。終身雇用ではないし、入ってからの競争にレベル6が勝ちやすいとは限らないからだ。

 多角的に考えると、日本社会で学力上位0.1%に入る意味は乏しいということが分かる。確かにレベル6の人間が行きがちな業界はあるが、そうした業界の生産性が高いわけではない。これらの業界の高学歴率の高さは能力というより文化の問題に思える。官僚も文化として東大卒が殺到しているだけで、そこに必然性はほとんどないのかもしれない。官僚が全員早慶卒になっても官僚のパフォーマンスは変わらない可能性が高く、下手すると上がる可能性も否定できない。「東大卒でないと入りにくい就職先」は生産性というよりも「特殊感」こそが本質で、ここを逆手に取った「やりがい搾取」が横行している職場も珍しくない。

 最もレベル6が威力を発揮している業界は何かと考えてみると、それは意外な業界だ。政治家である。政治家の出身大学・学部を見るとダントツで多いのは東大法学部だ。一昔前の東大法学部はレベル6くらいはあったはずだ。政治家の能力とはあまり関係ないようにも見えるが、なぜか多いのである。ただ、東大法学部出身の政治家が有能という話は聞こえてこない。西村経産相は久しぶりの出世株だったが、安倍派のスキャンダルで失墜した。

 ちなみにレベル7にもなると、もはや効用はマイナスになるようにも思える。受験であまりにも強い達成感を感じてしまい、その後の人生に劣等感を抱えるようになるのだ。東大理三に合格してしまうとそこが人生のピークになりあとは下り坂になってしまう。さらに上を目指すこともできるが、医局のどろどろした内部競争に巻き込まれ、幸福感は上がりにくい。私の記事を読んでくれた東大医学部卒の友人は興味深いことを言っていた。

「レベル7まで行ったら戻れない」

 

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