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<地政学>文明の十字路、トルコの地政学的重要性

 前回の記事で取り扱ったエジプトは地政学ネタがありそうでなさそうな国だった。今回取り扱うトルコはそれとは逆にネタが有りすぎて書ききれない国だ。全部丁寧に考察しているとキリがないので、なるべく概要だけをかいつまんで考察したいと思う。

 トルコは世界史に詳しい人間なら誰しもが注目する国だろう。文明の十字路たるトルコは古今東西あらゆる民族が関与してきた。地理的にトルコは非常に重要な場所なのだ。シルクロードもここを経由していた。トルコは21世紀になっても重要度を高めつつある。その理由はトルコの優れた地政学的位置にある。

三地域の結節点に位置するアナトリア半島

 トルコは大陸の結節点にある国家で、様々な地域に接している。これがトルコの重要度を高めている理由である。

 トルコはユーラシア大陸から突き出たアナトリア半島に位置する国家だ。ただし、トルコの中心都市イスタンブールはボスポラス海峡を挟む形で存在している。トルコの経済の半分近くは北西部のマルマラ地域が占めているので、トルコの重心はかなり北西寄りだ。となると、トルコとは中東の国というよりは、中東とヨーロッパの境界線の上にある国だと言える。

 トルコが中東の国と思われている理由の殆どはトルコ人がイスラム教徒だからだ。人種的にはトルコとギリシャはほとんど変わらないし、歴史的にアナトリア半島の特に西部はヨーロッパ世界の一部と思われていた時代も長かった。

 トルコに関して忘れてはならないのはこの国が内陸ユーラシア・旧ソ連地域とも接している国だということだ。トルコ民族の起源は中央アジアに居住していた遊牧民族だ。更に起源を辿るとモンゴル高原に住んでい匈奴らしい。ギリシャと匈奴が隣接していると考えれば、ソクラテスはびっくりだろう。トルコは中央アジア・ロシア・コーカサスとも歴史的に繋がりが深く、地政学的に重要な働きを担っている。

 トルコは陸だけではなく、海との関わりも重要だ。この国の心臓部を流れる2つの海峡は黒海と地中海をつなぐ大動脈である。国の中心に海洋のボトルネックが通っている国は珍しい。イスタンブールはいつの時代も海運で重要な地位を占めていた。トルコはシンガポールと対をなす海の要衝でもあったのだ。

アナトリアの歴史

 トルコという国名はトルコ民族という概念と不可分だ。この民族は1000年前に中央アジアから移動してきた民族であり、この地域の長年に渡る歴史を考察するにはアナトリアという概念で論じる必要があるだろう。

 アナトリアは文明揺籃の地であり、農耕文明発祥の時代から栄えていたらしい。ヒッタイトなどの王国が存在した土地でもあった。比較的山がちな地形だったのにもかかわらず、アナトリアは以外に独自の文化を持った民族を生まなかったようだ。ペルシャとはここが大きく違う。

 最重要都市のイスタンブールはビザンティオンという名前でギリシャ人によって作られた植民都市が起源だ。この時代から既に交易上の重要地点だったことになる。ローマ時代にビザンティウムと名称を変え、最終的にコンスタンティノープルという名前になった。末期のローマ帝国は(ローマなのに)コンスタンティノープルに遷都し、西方を放棄するようになった。ローマの東西分裂後は東ローマ帝国の首都として栄え、中世の暗黒時代もどこ吹く風で繁栄を謳歌していた。

 ビザンツ帝国は1000年も続き、非常にしぶとい国だった。イスラム教徒の侵略にも「ギリシャの火」なる謎の兵器で対抗し、生き延びる事ができた。この永遠の都を征服したのがオスマン帝国だ。アナトリア半島へのトルコ民族の侵入は1000年頃から激しくなっていった。アナトリアはおそらくは緯度の問題でトルコ民族が移住しやすかったのか、急速にトルコ化していった。そうしたトルコ系遊牧民の作った小国家がどんどん大きくなったのがオスマン朝である。

 オスマン朝はアナトリアの北西部で生まれ、順調に勢力拡大をしていった。一時期ティムールとの戦いで崩壊しかけたが、なんとかもちこたえた。オスマン朝は1453年にコンスタンティノープルを陥落させ、永遠の都の新たな支配者となった。これは当時のヨーロッパにとって衝撃的な事件だったようだ。オスマン帝国は更に拡大を続け、スレイマン1世の時代には中東の地域覇権国として猛威を振るっていた。

 オスマン帝国は中東の国ではなく、むしろバルカン半島の国という性質を持っていた。オスマン帝国で名を挙げた人物はほとんどがヨーロッパ側の出身者だ。イェニチェリが有名だが、ケマルもキョプリュリュもヨーロッパ側の出身者だった。となると、オスマン帝国の本質とはバルカン半島と海峡付近の住民が中東を征服して作り上げた帝国ではないかと思えてくる。オスマン帝国は中東の帝国であると同時にヨーロッパの帝国だったのだ。近世のヨーロッパの帝国の中ではスペインやポルトガルよりも長持ちした。オスマン帝国はスペインと良く似た近世の帝国で、征服地が中南米か中東かという違いだったのではないかと考えている。

 そんなオスマン帝国だが、流石に19世紀になると衰退が隠せなくなってきた。特に深刻だったのが北方のロシアの脅威だ。オスマン帝国とロシアは10回以上も交戦しており、近世から近代においては最も交戦した二カ国ナノではないかと思われる。それでもオスマン帝国は持ちこたえた。最大の理由はイギリスがそう望んだからだ。トルコが消滅してロシアが好き勝手に振る舞うようになれば大変だ。ロシアが海峡を通過して地中海に進出するのをイギリスは恐れており、基本的にオスマン帝国の存続を希求した。もちろん借款で首を回らなくするのも怠らなかったが。

 しかし、それも次第に厳しくなってくる。バルカン半島の民族がナショナリズムに目覚め、反乱を起こすようになってきたからだ。バルカン半島はオスマン帝国にとって重要であり、この地域を失うことは帝国の縮小を意味した。全盛期のオスマン帝国はハンガリーまで支配していたが、オーストリアにこの地域を奪われてしまい、それ以降ズルズルと後退を続けた。1878年の露土戦争でロシアに大敗した時はバルカン半島の大半を失いかけたが、これはイギリスの介入でどうにか持ち直した。しかし、20世紀になるともはやブルガリアやセルビアが勢いづいており、オスマン帝国はついに末期になった。二度のバルカン戦争やボスニア併合でついにオスマン帝国はヨーロッパの領土の大半を失うようになった。

 第一次世界大戦でオスマン帝国はついに英露を敵に回し、敗北する。戦時中にはジェノサイドも行われた。敗北の結果、オスマン帝国は崩壊する。その残骸の中からケマルが立ち上がり、トルコ独立戦争の結果、アナトリア半島を中心とした新たなトルコ共和国を建国した。これが現在まで至るトルコ国家の起源である。

20世紀トルコの安全保障

 新たに建国されたトルコ共和国だが、前途多難だった。周囲は敵だらけである。南のシリアを支配するフランスや、海峡の進出を狙っていたイギリスは警戒するべき相手だった。戦間期はドデカネス諸島に存在するイタリア軍が最大の脅威と考えられてきた。西のギリシャとはいつの時代も仲が悪く、伝統的なライバルである。

 しかし、トルコにとっての最大の脅威はソ連だった。戦間期は比較的関係が良好だったが、戦後になるとソ連は差し迫った危険となっていた。ソ連はトルコの領土の一部を要求し、隣国ギリシャで共産主義者の反乱を支援していた。トルコは戦後間もなくNATOに入り、西側と極めて緊密な関係を保つようになった。トルコは西側の一員として協力な軍隊を持つようになり、それは現在まで続いている。

 ソ連が崩壊してもこの基本構造は変わらなかった。トルコにとって最大のライバルはいつもロシアだった。トルコはいくら関係が悪化してもNATOの脱退をほのめかしたことはないし、軍事的な協力も絶やさない。イスラエルとも定期的な軍事演習を重ねている。トルコは西側志向が強く、ソ連を敵視していたため、20世紀のほとんどの期間で中東地域に関心を持たなかった。そんな後進地域に興味を持っても仕方ないという話である。

 1980年代になると新たな脅威が出てきた。東部に居住するクルド人だ。クルド人は世界最大の少数民族とも言われ、トルコから分離独立運動を常に狙っている。クルド人の独立運動は建国当初から存在していたのだが、人口動態の関係で次第に激しくなっていった。クルド独立勢力のクルド労働者党はこの時代に激しい武力闘争を繰り広げ、トルコにとって極めて深刻な脅威となっていった。クルド労働者党はソ連とシリアの支援を受けたマルクス主義政党で、容赦のないテロ活動は恐れられていた。

 また、ギリシャとの関係も悪かった。原因はキプロス問題である。キプロスは1970年代に内戦が勃発した。もともとは東西冷戦絡みだったのだが、次第に紛争がトルコ系住民とギリシャ系住民の争いという性質を持つようになり、トルコ軍が軍事介入したキプロスの北半分を未承認国家にしてしまった。当然キプロスの後ろ盾であるギリシャとは深刻な対立状況になり、戦争一歩手前になったこともある。

 20世紀のトルコは比較的おとなしい時期だったと言える。対外的脅威は存在したが、それらが火を吹くことはなかった。トルコは内向きでいることができたのだ。幸いにして冷戦の代理戦争に巻き込まれることはなく、トルコは内政に集中することができた。

トルコの強大な国力

 トルコの躍進を支える要因は2つ存在する。一つはトルコの国力が伸びていることである。

 トルコは人口8000万人を超える中東でも有数の人口大国で、欧州の国として考えるとドイツを抜いてロシアに次ぐ水準となっている。しかもトルコはまだ少子化の影響を受けていないので、まだまだ増加傾向だ。

 また、一人当たりGDPも堅調に伸びている。トルコの一人当たりのGDPはアメリカの50%の水準にまで届こうとしており、2020年代に入ってからロシアとギリシャを抜いた。トルコは現在周辺諸国で最も豊かな国になっている。ブルガリアやセルビアといったバルカン半島の国よりも上である。地域経済の中心地というトルコの姿はオスマン帝国時代の復活を予期させる。

 トルコはケマルの思い切った近代化が成功し、他の中東の国とは一線を隠している。サウジアラビアのようなレンティア国家ではなく、それなりに発展した工業国だ。トルコの発展レベルはイスラエルに次いで地域で2番目である。先進国に比べれば政情は不安定だが、それでも他の中東の国に比べれば遥かにマシだ。

 トルコは強力な軍隊を持っている。そのパワーを正確に割り出すことは不可能だが、中東で最強であることは間違いなく、ヨーロッパにおいてもロシアに次ぐ戦力を持っているのではないかと思われる。トルコがその軍事力を十分に投入したことはないので分からないが、仮に中東の紛争をトルコが軍事的に解決するとなればかなりの影響力が予想されるだろう。

トルコの恵まれた地理

 トルコのもう一つの強みは地政学的に有利な位置にいることである。トルコは半島国家だ。通常このタイプの国は周囲の強国に攻められて大変な目に遭うと言われているのだが、トルコに関してはあまり当てはまらないようだ。トルコは国土が山がちで、征服活動が難しい。ケマルがアンカラを首都にしたのもこういう理由があるのだろう。宿敵のロシアもアナトリア半島まで入っていったことは無かった。せいぜいコーカサスとバルカン半島止まりである。第一次世界大戦前後の最も弱っていた時であっても、アナトリアの心臓部は敵を寄せ付けなかった。アナトリアの直接侵攻を狙ったイギリスは無様な敗北を喫している。

 トルコはイランと同様に山岳の要塞国家という性質を持つが、イランよりも遥かに良港に恵まれている。イスタンブールが伝統的な通商都市であることからも明らかだ。地中海を通じたヨーロッパ諸国やロシアとの貿易は極めて盛んである。山岳国家に付き物の困難をトルコは抱えていない。トルコは山岳国家であると同時に沿岸国家でもあるのだ。

 トルコを脅かす国は今のところロシアだけだ。しかし、そのロシアも衰退傾向にある。ウクライナ戦争はロシアの弱体化をより印象付けた。この戦争でトルコはロシアとの仲介に前向きだが、裏を返すとロシアをあまり脅威に感じなくなったとも言える。

 トルコはかなり地政学的に恵まれた状態にある。山がちな国土に守られながら、周辺地域へのアクセスは容易い。周囲にロシアを除けば強いライバル国が無く、NATOがある限りロシアもトルコに深刻な脅威を与えうる存在ではなくなっていっている。アメリカは対露封じ込めのためにトルコを寵愛しており、西側がトルコに敵対的な態度を取ることはない。トルコは周囲に十分な緩衝地帯がある状態であり、この点では現代のドイツに似ているかもしれない。

半島国家なのになぜ有利?

 一般に地政学的に半島国家は不利と言われることがある。海からも陸からも攻められやすいし、海洋帝国を目指すにも大陸帝国を目指すにも中途半端になってしまうことがある。例えば朝鮮半島は伝統的に日本と中国に挟まれて不遇な運命を辿ってきた。

 しかし、トルコの特徴は海と陸の両方に接するという特徴をうまい具合に強みにしているということだ。こんな国は珍しい。理由はトルコが広大な緩衝地帯に囲まれているからに他ならない。トルコを脅かすような深刻な脅威を与える国は存在しないし、トルコは思うままに周辺地域に進出できるだろう。

 原因を考えてみると、トルコは欧州においても中東においても内陸ユーラシアにおいても「端っこ」に位置しているという構造が読み解ける。トルコの立地はこう考えるとアフガニスタンに近いが、海に面しているため、内陸国特有の低開発状態を免れている。日本にせよ、イギリスにせよ、活気あふれる地域に位置していながら、少し外れたところにあるという立地は非常に有利である。一方で地域の中心部にある国、例えば欧州におけるドイツとか、中東における肥沃な三日月地帯とか、東アジアにおける朝鮮半島とかは常に地域の勢力均衡の争点になってしまう。こうしたアリーナ型国家は悲惨な運命を辿ることが多い。

 トルコへの脅威を考えてみよう。

 東方から度々アナトリアへ侵入してきた遊牧民は現在は消滅してしまった。イランは存在するが、アナトリアの山脈によって隔離されており、トルコの脅威にはならない。イランが西方にどんどん進出して地域覇権国になればトルコは脅威に晒されるだろうが、アメリカとイスラエルがそれを許すとは思えない。トルコの国力はイランを上回っており、本気で覇権を争えばイランの勝ち目は無いだろう。それにシーア派のイランはイスラム教徒の心情に訴えかける際にトルコよりも不利だ。トルコはイランと友好関係を維持しているが、それはイランがトルコの脅威になりえないことを分かっているからかもしれない。

 南方のアラブ世界も中世にはアナトリアへ進軍したことはあるが、現在はそんな力はない。アラブ世界は途方もない混乱状態であり、トルコとの経済格差も開いている。サウジアラビアやイスラエルは地域覇権国になるための条件は全く満たしていない。唯一ありうるとすればエジプトだが、この国の国力や経済状況を考えるとそんな立場にはない。少なくともイスラエルを破れない限りエジプトが地域覇権国になることはないし、トルコがそれを許す可能性も無いだろう。南方の脅威として深刻なのはクルド人武装勢力だ。特にイラクとシリアでの混乱が悪化することでクルド人は強大化している。トルコとしては南方に進出するインセンティブが生まれるだろう。

 西方のバルカン半島には宿敵のギリシャが存在するが、この国がトルコの国力を上回ったことはなく、しかも衰退傾向にある。バルカン半島は巨大な緩衝地帯であり、トルコに脅威を与えるような国力を持った直近の国はドイツくらいしかない。ドイツがわざわざ東欧とバルカン半島を越えてアナトリアに攻撃を仕掛ける可能性は低い。ナチス・ドイツの全盛期にすら起こらなかったことだ。むしろドイツとトルコは協力したほうがより多くの果実を得られるだろう。西方の脅威として他に考えうるのは西側と対立状態に陥った時だ。今のところは西側とトルコにロシアという共通の敵が存在しているので、海洋勢力との決定的な関係悪化は起こり得ない。

 最後に残ったのは北方だ。ここにはトルコの最大の敵であるロシアが鎮座している。だが、ロシアは衰退傾向にあり、トルコへの圧力は年々軽減している。地理的条件を考えると、ロシアのトルコへの進入路は意外に少ないことがわかる。北東部はコーカサスの山脈によって通行が難しい。第一次世界大戦の時もこの境界が突破されることはなかった。北方の黒海沿岸はロシアが大陸国家であることもあって、上陸作戦が仕掛けられることは考えにくい。露土戦争の大半はバルカン半島で戦われていた。冷戦時代にトルコに脅威を与えていたのもこの国境だ。現在はルーマニアとブルガリアがNATOに加盟している以上、この領域をロシアが突破してくる可能性はない。それに現在はロシアはウクライナという厄介な障害物に直面している。ウクライナが存在する限りロシアは黒海に軍事力を投射できないだろう。ウクライナはただ存在するだけでトルコの重大な利益になっている。エルドアンがウクライナ戦争の仲裁役を買ってでているのも、余裕の現れなのだろう。

トルコが脅かされる時

 トルコの安全保障の3本柱はアナトリアの山岳・周辺の緩衝地帯・NATOだった。この3つのお陰でトルコは恵まれた地政学的状況にあり、周辺地域を思うままに開拓することができる。だが、あまりにも恵まれているため、トルコは周辺地域の勢力均衡に深く関与したことはない。どちらかというと気まぐれで行われる「趣味的」介入である。トルコは西側と同盟を組みながら矢面には立たないという日本やフランスに似た地政学的条件にあり、深刻な脅威から守られている。

 ところがトルコの地政学的立場が一気に変容してしまうシナリオが一個だけある。それは西側との決裂だ。トルコは国力を増すにつれて独自路線を取るようになり、アメリカとの齟齬が目立ち始めている。

 トルコと西側の同盟が決して崩れない理由はロシアの存在だった。オスマン帝国をイギリスが断固として支援していたのもロシアの南下政策を食い止めたいからだ。しかし、もし西側がロシアと融和するような状況になったらトルコの立場は変わってくる。第一次世界大戦がまさにそうだった。イギリスとロシアが同盟を組むという今まで無かったシチュエーションが起こったため、トルコはロシアのみならずイギリスとも戦うことになった。ロシアは米土関係の「かすがい」になっているのだ。

 もしロシアが弱体化しすぎて西側に脅威を与えなくなったらどうだろうか?中国の強大化に応じて西側がロシアと同盟関係になったらどうだろうか?この場合は地域の安全保障戦略は激変することになる。西側がトルコと組むインセンティブが無くなったらトルコとアメリカは様々な場所で衝突する可能性がある。NATOはロシアの脅威に備えて作られた同盟であるため、ロシアの脅威が消滅したら結束が維持できるかもわからない。

 トルコが西側と決別したら、この国は現在のイランが行っているような勢力拡大政策を打ち出す必要に駆られるだろう。東西南北に不安定な緩衝地帯を抱えるトルコはこれらの地域で確固たる勢力にならねばならない。トルコが地域覇権国を目指せば当然アメリカとの関係が悪化する。こうしてトルコは様々な地域で複雑な地政学的ゲームを行うだろう。

 この場合、トルコがやるべきことは沢山ある。西方のバルカン半島は最大の脅威であるため、ライバルの地盤を少しでも揺るがさなければならない。ブルガリアやルーマニアに進出したり、バルカン半島の不穏分子を支援してギリシャを脅かしたりといったシチュエーションは十分に考えられる。

 クルド人勢力が脅威になるのを防ぐにはトルコは南方に進出するしかない。クルド人の根城になっているシリアやイラクの北部を制圧するのだ。これは石油資源を確保する上でも有用だ。アラブ世界にトルコが進出すると現地で人気取りを行う必要がでてくるため、イスラエルの問題を無視できなくなってくる。この時代のイランが西側と親密か敵対かは分からないが、これらの勢力を巻き込んだ複雑な勢力争いが始まるだろう。

 東方への進出は全く違ったロジックが使われる。トルコはトルコ民族のよしみを利用してコーカサスと中央アジアに進出するだろう。弱体化したロシアは両地域へのパワーが揺らいでいるだろうから、絶好のチャンスである。アゼルバイジャンや中央アジアは豊富な天然資源を持っており、ロシアからの石油輸入の代わりになりうるだろう。

 北方の状況は予測不能だ。もしかしたらトルコはウクライナに進出しているかもしれない。実際、オスマン帝国は常にウクライナ方面に根拠地を持ってきた。ウクライナと組めれば黒海の安全を確保できるし、バルカン半島に睨みを効かせることができる。ロシアが弱体化または西側と融和した場合に西側との関係がおかしくなるのはウクライナも同様なので、両国は確かな相互利益を共有するだろう。

 もしトルコが世界大国として名乗りを挙げれば、もしかしたら中国と組むかもしれない。シルクロード同盟の誕生である。トルコがイスラム世界の代表として中国と組めば強大な勢力となる。パキスタンやインドネシアといった地域への進出にも繋がるだろう。中国がイスラム世界と最終的に組むという予想は「文明の衝突」でもなされていた。それがありうるとすればトルコなのではないか。

 ここまで予想してみると、これは20世紀中盤の大日本帝国の地政学的立場と良く似ていることが分かる。当時の日本は周辺に広大な真空地帯を抱えていたため、これ幸いと勢力拡大に走って大帝国となった。しかし、日本の地域覇権が近づくにつれてアメリカとの関係が悪化するようになり、日中戦争の泥沼を経て、日本は大陸の反対側のドイツと組むようになった。今世紀中盤のトルコも同じ道を辿るかもしれない。

 今世紀中盤のトルコの国力がどの程度のものかは予測不能だ。ただ、それほど悪くはないだろうと思われる。ロシアやバルカン半島の国々はどれも深刻な少子化に苦しんでおり、トルコはこれらの国に比べて優位性がある。エジプトやイラクの人口は増え続けるが、これらの国はトルコのライバルとなるよりも、むしろ不法移民の送り出し国になるだろう。先進国入りするかは分からないが、現在の水準で成長を続けても、大国の末席へと躍進することは可能だ。フランスに匹敵する国力を確保できれば十分に世界の勢力均衡に割って入ることができるだろう。

まとめ

 トルコの地政学は分類が難しい。トルコの地形は世界の国の中でもかなり独特で、海洋国家とも大陸国家とも言い難い。エジプトの場合はどちらの強みも活かせなかったが、トルコはどちらの強みも活かしてきた。

 トルコの中心部はアナトリア半島というよりも、イスタンブール周辺の領域だ。トルコ経済の重心は見かけ以上に北西に偏っており、バルカン半島に近い。オスマン帝国にとってバルカン半島はアナトリアと同等かそれ以上に重要な地域だった。トルコは中東の北側の国ではなく、欧州と中東にまたがる地域の国なのだ。

 トルコは地政学的に恵まれた立ち位置にある。まず国土が山がちなので大陸から攻められにくい。それでいて海洋交易もスムーズに行える。十分に大陸と接続しているので海上封鎖にも強い。半島国家のモデル国とも言えるかもしれない。それにトルコは周辺に強大なライバル国がいたことがない。どうにもアナトリアの隣接地域は大国が存在しにくいようなのである。北のロシアとは海と山岳によって隔てられている。西方の勢力はバルカン半島が緩衝地帯となってアナトリアまでは来ない。南方の勢力がアナトリアを征服したことはほとんど無い。度々アナトリアに侵入してきたのは東方の遊牧民だが、現在は姿を消している。ロシアは陸軍国で英米は対露戦略のためにトルコを必要とするから、海から攻められるおそれも低い。

 トルコの周辺地域はトラブルが多いが、トルコの国力を弱めるほどではなく、むしろ勢力拡大を助ける側面があるだろう。トルコは世界史において常に重要な位置を占めていたが、21世紀もそれは変わらないはずだ。

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