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社会人はコスパよりタイパ

 最近はタイパ社会と言われる。以下に物事を時間を掛けずに達成するかが重要らしい。動画視聴も倍速が多いし、それすらも長すぎてショート動画が大盛況だ。TOEICなどを見ても、最近の社会が求める能力はじっくり考えることよりも素早く物事を処理することのようだ。

 筆者は人間の三大希少資源は「金」「時間」「エネルギー」と考えている。エネルギーというのは体力とか気力とか、年代によっては健康ならびに前頭葉から来る意欲なども含むだろう。この3つの資源をいかに活用するかが鍵である。

 一般的に学生は金が、社会人は時間が、老人はエネルギーがそれぞれ不足する傾向にある。生物学でいうリービッヒの最小律のように、最も不足している資源が全体の生産量を規定するというのは普遍の原理である。希少資源をいかにやりくりするかが鍵となる。

 それにしても社会人という生き物は兎にも角にも時間がない。「時間貧乏」といっても良いくらいだ。一日を考えてみれば分かる。一日の労働時間が8時間に加え、昼休みが一時間、通勤時間や朝の用意が2時間とすると、会社関係で拘束される時間は少なくとも11時間である。これに残業が平均2時間とすると、会社関係で奪われる時間は13時間にも及ぶ。

 残りの時間で私生活を送るわけだが、家事や食事などで1時間取られるとなると、残り時間はますます少なくなる。8時間睡眠をキープしようとすると、一日の残り時間は2時間だ。見方にもよるが、日中の苦しい仕事や人生の積み上げはこの2時間のために存在するということになる。随分と短い時間である。しかもこの2時間は体力バッチリの2時間ではなく、疲労困憊の2時間である。したがってできることはそう多くない。普通はスマホでぼんやり動画を見て終わってしまう。日頃の苦しい労働はこの2時間の楽しみのために存在していると考えると、虚しくなってしまう。

 もちろん休日などもあるだろうが、体力のない人の場合は土曜日は行動不能であることが多いだろう。疲れが回復した日曜になると、今度は翌日に備えて無理はできなくなる。休日に自由に使える時間は平日よりも少し長いくらいだろう。

 時間の無さは自明のことではないと思う。近代以前の人は現在よりも遥かに時間感覚がルーズだったし、狩猟採集民は一日の殆どを喋って過ごすらしい。狩猟採集時代は獲物が来た一瞬に体力を集中することが肝心で、時間は潤沢にあったのだろう。現代においても発展途上国においては夕方から喫茶店で長話に興じるという光景が良く見られる。これは肉食獣全般に見られる特徴かもしれない。犬は一日13時間寝ているという。猫やその他の肉食動物も睡眠時間が長い。

 一方、現代人は本当に時間がない。理由を一概に論じることはできないが、やるべきことが増えすぎてしまったからかもしれない。情報技術が進展した結果、日本人のやるべき内容は年々増えている。となると、現代人にとって相性の良くない活動は「時間のかかる活動」ということになる。

 時間がかかる「時間集約的」活動は社会人になるとあまり行わなくなる。典型例が勉強だ。勉強は本当に時間がかかるし、省略することはできない。社会人が勉強しなくなるというのも、最大の理由は時間なのだ。他にも読書もまた相性が良くないだろう。読書は金はかからないが時間がかかる活動であり、学生の時にやっておくべきことである。

 また、交友関係も時間集約的な活動の一つかもしれない。小学生の時は放課後に遊ぶと言ったことが簡単にできたが、社会人になると雑談すら難しい事が多い。相手の時間を奪ってしまうのではないかと気がかりだからだ。日常生活の会話量は明らかに減少した。学生時代のようにファミレスや喫茶店に何時間も籠もってあれこれ議論するという娯楽は不可能である。学生時代の友人との会話は4時間1000円だったのに対し、社会人の飲み会は2時間で6000円だったりする。時間の価値は明らかに高騰している。

 中でも最も邪魔なものは睡眠だ。これだけで8時間もの時間が取られてしまう。この損失は大きい。だから多くの人間は睡眠時間を削る。睡眠時間を6時間にすれば自由時間は4時間になり、二倍になる。この差は大きい。したがって現代人は寝不足なのである。睡眠というメカニズムは人間にとって不可欠のようで、厄介なシステムである。近代以前は睡眠が問題になることはなかったのだろう。それよりも物資の不足、すなわち金がないことの方が問題だった。先述の通り、肉食獣は一日の睡眠時間が長い。時間の無さはそこまで不利ではなかったと思われる。

 最近の世相を反映すると、更にこの傾向は深刻になる。共働きが一般的になってきたからだ。ここからさらに共働きするとなると、男女共に2〜4時間の自由時間でどうにか家事育児を完了させなければならない。昭和のサラリーマン男性は家に帰ったら食事が出てきてダラダラしているだけで良かったが、現代のサラリーマンは家事育児で大忙しである。

 このタイパ志向は就職活動にも現れているらしい。現代のキャリア形成はとにかく「早く、早く」が原則だ。その前の段階の教育においても中高一貫校ブームのように前倒しが加熱している。生き急いでいる人間があまりにも多すぎるようだが、これが令和日本の世相である。

 現代人にとって時間は希少だ。だから時間のやりくりで人生が決まってしまうと言っても過言ではない。となると、時間を食うような活動はあまり人生の効用を挙げる上で適さないことになる。勉強・読書・長話といった娯楽は全て達成が難しい。昭和に長電話が忌避されたのは料金が高くなるからだが、令和に長電話が忌避されるのは時間が無くなるからだ。現代人は時間の貧困に陥っているのかもしれない。

 noteの執筆もそこそこ時間を食う趣味だ。筆者は文章を書くのが早いのでなんとかなっているが、それでも時間はどんどん無くなっていく。物事をじっくり考えて表現するという行為そのものがタイパが悪いのかもしれない。タイパが非常に良い娯楽の代表格は美食と風俗だ。原始的な欲求に関わる娯楽が現代人には適しているという皮肉な事態になっている。

 ただ、こうした事情は人によって違うだろう。筆者は倹約家で物欲に乏しいので金を無駄遣いすることはほとんど無い。一方、時間に関しては結構無駄遣いをしてしまう。この点にあまり以前は注目することがなかった。「時間の浪費家」というわけだ。筆者の好む活動は金はかからないが時間がかかる事が多く、社会人というライフステージでやりたいことが制限されることが増えたと感じるのは必然だったのだろう。一方、金のかかるが時間のかからない活動を好む人間は概ね満足度が高そうである。「コスパ」より「タイパ」も時代なのだ。

 最後のエネルギーに関しては人による面が大きいので一概に言うことはできない。筆者は体力が無いので土日はぐったりしていることが多い。学生の頃は頻繁に遊びに行ったり旅行に行ったりしていたが、社会人になってからはほぼ旅行に行ったことがない。ぶっちゃけ、noteの執筆意外にこれといってエピソードも趣味も学びも増えていない。学生時代のエピソードが多い理由も多分これである。

 一方でエネルギーが潤沢にあるという人物もいる。彼らは土日も本当にアクティブだ。仕事に全振りして残業を長時間やっても元気という人は一定数おり、めちゃめちゃ残業しているのに土日も結構遊んでいたりする。年代によっては不倫に精を出している人もいるが、筆者としてはどこにそんなエネルギーがあるのか不思議でならない。

 時間はほとんどの人間に不足しているが、エネルギーに関しては格差が大きい。体力のあるなしがQOLを分けている面もあると思う。体力のある人間は仕事でバリバリ活動するか趣味を充実させられるか、その両方をやっている。体力が無いと平日の帰宅後も土日もグッタリであり、しかも仕事の評価も大して高くないという状態になる。「エネパ」に関しては別の機会で議論したいと思う。

 この時間貧乏という問題を解決する方法は無いだろうか。今のところ人類は発見できていない。睡眠時間を大幅に短縮するか、寿命を決定的に伸ばすしか無いだろう。働き方改革やリモートワークの進展は共働きの普及で相殺されてしまうかもしれない。ただ、未婚率が増加しているので、ここはなんとも言えない。

 もしかしたら人生の効用の定義を時間軸で設定しないことが重要かもしれない。時間軸を取ると一日のうち、8時間は憂鬱な仕事時間、8時間は睡眠時間かウトウトしている時間、残りの8時間も多くは家事や残業や移動時間で消えてしまう。こうなると24時間のうち、楽しいと思える時間はほんの僅かになる。しかし、人生の効用を時間軸で設定しなければ問題ないかもしれない。子供が育つとか、マイホームを買うとか、時間を食わない達成感で人々は幸福を感じているのだろう。


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