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ブルシットジョブ問題とポスドク問題の最終的解決は出産・育児の奨励とキャリア教育の縮小である。

 ブルシットジョブ、この単語が定着して等しい。ホワイトカラーにありがちなつまらない事務仕事のことを指す。大企業に就職するまでは良く分からなかったが、会社員の仕事というのは本当につまらない。競争や責任やらだけが激しく、1日を無意味なことに潰している感覚に陥ってしまう。自分の人生は書類のフォント修正と上司の根回しのために存在したのだろうか。こうした空虚な気分に陥ってしまう。他にもこのように抜け殻のようになってしなうホワイトカラーは沢山存在するようだ。会社は個人が自己実現する場所ではないし、ビジネスライクでシビアな場所である。

 じゃあ楽しそうな仕事をしている人間はどうかと言うと、今度は別種の地獄が待ち受けている。代表例はポスドク問題だ。研究者は子供の夢で頻繁に上がるし、実際に社会的な地位は高いだろう。ところが、こうした非生産的な職種で食っていくのは至難の業だ。多くの人間は不安定な雇用と低賃金に苦しみながらストレスフルな職業人生を送ることになる。研究は楽しいのかもしれないが、結局プレッシャーと人間関係の苦痛はサラリーマンと同様に降りかかるので、幸福度が高いとは思えない。インターネットで検索すればいつでもポスドクの悲惨な境遇が引っかかる。
 
 筆者は色々人生経験を経た結果、2つの問題の解決策は一つしかないと確信した。それはキャリア教育の縮小と家族の素晴らしさの啓蒙だ。これが何を意味するかといえば、職業を通した自己実現を重視する風潮を改めることにある。仕事の意味を結婚して子供を育てる手段として捉えるようにするのだ。価値観としてマイルドヤンキーの職業観に近づけていくのである。

 稼げる仕事はつまらない。面白い仕事は稼げない。この現実を見つめることがスタートラインだ。社会を支えるうえでは大半の人間は不動産の営業とか、銀行の事務といった自己実現とは程遠い仕事に一生を捧げる必要がある。ここで言う自己実現とは何かと言うと、それは教育機関のキャリア教育の中で登場しない仕事のことを指す。子供の夢として上げられる仕事はスポーツ選手とか音楽家とか、ごく一部の人間しか必要とされない職ばかりだ。医者や弁護士はまだ再現性があるが、それすら一部の人間しか就くことはできない。となると、そうした職業を目指すことを後押しするような教育自体が間違っているのではないだろうか。

 キャリア形成を推奨する風潮は莫大な社会的ロスを生み出している。特に金銭から自己実現に重点がシフトした令和の時代はますます深刻化しているだろう。多くの人間が「将来の夢」に挫折するので、無駄なコンプレックスが生まれてしまう。このコンプレックスは幸福感を下げるだけではなく、自分の仕事に対する熱意や向上心を失わせる原因になりうる。子供の将来を後押ししているようで、社会は膨大なワナビーを生み出しているのだ。

 次に問題になるのは若年労働力の喪失だ。社会を支える上で重要な若年労働力が夢を追いかけることに浪費サれてしまうので、その分社会の労働力は失われてしまう。それどころか司法浪人やポスドクのように職業選択で重要な時期を全て事実上の浪人期間に使ってしまう人が出てくる。高齢になってからのスキルの習得は容易ではない。だったら最初から高卒で就職した方が生涯賃金も社会への貢献度でも上ということになるだろう。

 これから深刻になるのは結婚・出産の機会の喪失だろう。人生の目的がキャリア形成と自己実現になってしまうので、30代になってもまだ立場が不安定な人間が多い。安定した職に就いている人間であっても、転職や留学などを迷っていたりする。女性の場合はキャリア形成で婚期を逃したり、高齢になって不妊に苦しむ人が出てくる。こうなると、ますます少子化が進行してしまう。

 ここで社会的な風潮を180度変えてしまってはどうだろうか。キャリア教育は廃止し、子供を産み育てることを第1の幸福と社会全体で捉えていくことにするのである。すると、これらの問題はあっという間に解決する。

 まず、仕事に自己実現を求めるのではなく、家族から幸福感を得るようになるので、つまらない仕事に就くことが人生のロスに感じられなくなる。背伸びして研究者になる人間は激減し、4年で大学を卒業して地元の中小企業で働くことを厭わなくなる。いくら仕事が下らなくても、そこに人生の意味はなく、日頃の歯磨きとかゴミ出しと同じ位置づけになる。出世してもしなくても、幸福感の総量はあまり変わらない。

 このように価値観が転換すると、人々は仕事を選り好みしなくなる。音楽家や芸能人の枠はごく少ないが、結婚や子育ての枠は非常に大きい。家庭形成という自己実現は凡人にも手が届く幸福なので、多くの人間が何者かになれた感覚になる。こうなると、司法浪人やミュージシャン志望のフリーターは姿を消すだろう。

 こうなると、多くの人間は結婚や出産が早くなるだろう。それが人生の目的なのだから、余計な迷いはない。職業に自己実現を見出さなくなるので、受験戦争は緩和され、子供の教育費は大幅に低下する。子供を複数設ける人間も多くなるだろう。少子化問題は解決し、日本の人口減少は止まることになる。

 筆者は色々な幸福論争を見た結果、キャリアに理想を投影することが諸悪の根源なのではないかという感覚を抱いた。成功者というと、多くの人間は表の肩書ばかりに注目する。総理大臣とか、芸能人とか、大学教授といったものだ。そうした人間は確かに目立つ。しかし、そうした人間を目指すことが幸福だろうか。愛する妻と3人の子供をしっかり育てたお父さんがこうした人物に劣ると言えるだろうか。前者はほとんどの人間に手が届かないが、後者は比較的容易に手が届く夢である。前者を称揚しても大量のワナビーを生み出すだけだが、後者は多くの人間が実現できるどころか、日本の財政問題も解決するのである。しかも皮肉なことに成功者は往々にして日本の少子化問題の解決を熱弁していたりするのである。

 日本人を幸福にするにはマイルドヤンキーの価値観をもう一度浸透させることだろう。仕事に夢や自己実現を追い求めるのはやめるべきだ。それよりも若くして就職し、結婚し、子育てに体力を使うべきだ。大学教育すら意味があるかは怪しい。どうしても頭を使わない単純労働に一生を捧げる人間は必要だし、そうした人物にキャリア教育を刷り込んだり高等数学の面白さを伝えても残酷な結果しかもたらさないだろう。そういった人であっても、結婚して子供を育てることは可能なのだ。

 このような世界に生じる問題は一つだけ存在する。最先端のイノベーションを起こしたり、医者など高度専門職に就く人間が欠乏しないかという問題だ。しかし、意外にこの問題は浮上しないのではないかと思う。AIの研究をしたり、外科手術に従事したい人間はキャリア教育いかんに関わらず我道を行くだろう。むしろワナビーが減少した分、ライバルとの競争に神経を使わなくて良くなるので、のびのび活動できるに違いない。

 日本やその他の東アジア諸国の問題は一言で言えば過剰教育にあると考えている。高い教育を受けすぎた結果、ワナビーが大量に誕生してしまったのだ。自分が弁護士になれると勘違いして司法浪人で人生を棒にふる高学歴、恵まれた職に就きながらブルシットジョブで不幸になるサラリーマン、ライバルが多すぎるが故に常勤職を得られないポスドク、昇進とスキルの習得に気を取られ妊娠が難しい年齢になってしまったキャリアウーマン、子供の塾代が払えないので二人目の出産を諦める夫婦。こうした存在は全てキャリア教育の犠牲者である。

 それよりも高卒で工場に就職してフォークリフト操縦で安定して年収400万を稼ぎ、妻子を養っている人間の方がよほど健全だ。大学院で哲学の博士号を取った人間の場合、こうした職に就くと不幸になる可能性が高い。高い学費を払い、一生懸命勉強し、若い貴重な10年を浪費し、その結果不本意な就職をするのである。だったら高等教育など要らないではないか。確かに学問の世界は美しい。しかし、その美しさは社会において麻薬だ。一度学術的な面白さを知ってしまうと単純労働やブルシットジョブが苦痛に感じられてしまう。そうして労働の苦痛が増すばかりか、家族形成のタイミングも失ってしまうのである。

 人間はどこまで背伸びしても社会的な動物であり、根源的な目的は子孫の再生産にある。教育が高度化しすぎた結果、日本人はこうした使命を忘れ、仕事上の自己実現を人生の目的と思うようになってしまった。ブルシットジョブ問題とポスドク問題は表裏一体だ。いずれも仕事に何らかの意義を求めようとした結果発生した問題なのである。仕事で自己実現できる人間はごく一部で、彼らは社会が後押ししなくても勝手に現れる。普通の人間にとっての幸せはそんなところにはなく、結婚して子供を愛することなのだ。社会が称賛すべきは大谷翔平ではなく、野原ひろしなのである。


 

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