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なぜ「普通の人生」を送っている人間が多いように見えるのか

 前回の記事では「普通の人生」の難しさについて論じた。すると、複数のコメントからこのような質問が飛んできた。

「普通の人生が難易度が高いとすれば、どうして周囲の人間がみな普通の人生を送っているように見えるのか」

 筆者の見解では周囲の人間がみな普通の人生を送っているように見える原因は主に3つである。

原因1:マイナス点を隠すから

 ある程度の年齢になると、人間は自分にとって不利な情報を話さなくなる。職場のような場所では特にそうだ。自分の人間性に疑問符が付けられるかもしれないし、舐められてしまうかもしれない。そもそも触れられたくないという人間も多いだろう。したがって、「普通の人生」を送っていない人間であっても、表面上は普通かのように振る舞うのである。

 例えば引きこもりの息子を殺害した農林水産省の元事務次官がいた。引きこもりの息子の存在は「普通の人生」とは言えないだろう。しかし、元事務次官は息子の存在を人には話していなかったらしい。彼を職場で知っていた人間は確実に「普通の人生」を送っている人間に見えたはずだ。厳密には職務上のキャリアの素晴らしさ以外は普通というべきだろうか。

 他にも普通の人生を送っているように見えて、そうではない人間がいるかもしれない。なんのネタも無い知人だってあなたに話さないだけで、実は障害を抱えている息子がいるかもしれないし、ギャンブルで借金を抱えているかもしれない。もしかしたら明日交通事故に遭って死ぬかもしれないのだ。

 医者の友人から良く聞くのだが、都内の大病院には有名人もしばしば来るらしい。その中には世間では知られていない深刻な問題を抱えた人間が多く含まれる。ただ秘匿しているだけなのだ。おそらく周囲の知人も同様に問題を抱えている人間は多いはずだ。

原因2:生存バイアス

 もう一つの原因として生存バイアスが挙げられる。例えば「普通の人生」の典型例であるJTCがそうだ。JTCが求めるのは普通の人間であり、なにも1000人に一人の特殊能力を求めている訳では無い。しかし、それでも難易度は非常に高い。JTCに所属している時点で日本人の上位3%に入っているはずだ。このような選抜された集団に所属しているとあたかも「普通の人間」が多いように思えるが、実際は全くそんなことはないのだ。

 新卒で採用ができないような会社の場合、何かしらの問題を途中で抱えた人間が多く流れてくるところもある。そういった職場は前歴の話はあまり好まれないし、話したところで快適な方向には向かわないだろう。

 もう一つ重大な生存バイアスがある。それは親と祖父母だ。あなたが存在しているということは、両親と祖父母の系6人が全員家庭形成に成功したということがある。これは普通のことではない。これまでに存在した人類のうち、子孫を現在まで伝えているのは4人に1人という。残りの3人は歴史の闇に葬られ、不可視化されてしまったのだ。両親と祖父母は普通の人生を遅れた数少ない生き残りであり、その背後には多くの敗北者が存在していたのである。

原因3:努力しているから

 世の中、普通にできているように見えて、実は水面下で凄まじい努力をしているというケースはいくらでもある。例えば超進学校の人間が東大にバンバン受かったり、医学部の人間が医師国家試験に受かったりするのも、その背後で大変な努力をしているからだ。合格率が高いと合格するのがあたかも「普通」かのように見えるが、実際の難易度が極めて高いのである。

 東大生が良く言う言葉がある。それは「入ってみると意外に普通の人ばかりでした」というものだ。これは一見東大生であっても大したことがない人間ばかりと言っているように思える。しかし、これは違うのだ。東大生は競争心が強く努力家が多いし、明らかに凡人ではない。学業面を除いた項目、すなわち体力・コミュ力・遊び・家庭形成などを「普通」の水準で決め続ける彼らはかなりの秀才だったのだ。実のところ、東大生や東大卒の競争は学業やキャリアだけではなく、「普通」を巡る競争も含まれる。貧困や発達障害などを抱えている学生はこの競争についていけず、しんどい思いをする。東大生の劣等感は学業面ではなく、意外にこの「普通」競争だったりするのだ。

 周囲にいる「普通の人生」を送っている人間は皆水面下で努力を続けている。子供を育てて、家のローンを払って、自分の健康に気をつけて・・・と何十年も頑張り続けなければならない。運だって必要だ。決してラクなことではない。

終わらざるマイナス回避競争

 大学受験のように有象無象が参戦する競争は、そこから抜きん出る人間が「非凡な人間」として称賛の対象となる。しかし、ある程度の年齢になると、こうした競争は少なくなってくる。一度選抜された集団に入ってしまうと、中で抜きん出ることよりも脱落しないで付いていくことの方が重要になるからだ。これを人は「レールに乗る」という。

 筆者は神社の絵馬を観察したことがあるのだが、年齢が若いほど「宇宙飛行士になれますように」といったプラス追求的な願いが多くなり、年齢が行くにつれて「家内安全」といったマイナス回避的な願いが増えてくる。願望の内容が変わってくるのだ。難しさはどちらも同じだ。

 筆者は以前、ありとあらゆる項目で上位10%に入っている人間を想定したことがある。

 随分と凡庸な人物に見えないだろうか。しかし、これを完全揃える難易度は非常に高いのだ。各項目が確率論的な意味で独立ではないとは思うが、少なくともこの人物は日本人の上位0.01%には入っているのではないかと思う。

 プラス追求競争は理解しやすい。プラスを得た人間は堂々とそのことを周囲に話すからだ。プラスのある人間は目立つし、ファンが付くことも多い。こうしたプラス追求競争の頂点がプロ野球だったり、ノーベル賞だったりする。

 これと比べてマイナス回避競争はわかりにくい。成功したところでほとんど目立たないし、マイナスを抱えた人間はそのことを隠したがるからだ。しかし、競争の難しさや熾烈さはプラス追求競争と同じだ。JTCで出世する人間が意外に地味だったりするのは、プラス追求よりもマイナス回避の方に重点が置かれているかもしれない。

 ただ、正直世の中ここまでうまくは行かないだろう。大きなプラスを獲得することでマイナスを埋め合わせている人間はかなり多いはずだ。ブサイクだけどべらぼうに高い年収のお陰で結婚できたといった例だ。逆説的だが、プラスの獲得はマイナス回避競争に敗北したときのための究極の保険かもしれない。

 実のところ、成功者とされる人間はマイナス回避競争に敗北していることが多い。林修はキャリア形成に大失敗している。イチローはおそらくASD傾向が強い。羽生結弦は100日で離婚している。ビートたけしは逮捕歴がある。孫正義は出自の問題で苦労を抱えていた。安倍晋三は難病を抱えた上に殺害されている。嵐やSMAPは性的虐待を受けていた可能性が高い。

 これらの人間はプラス追究競争に関してはスターかもしれないが、マイナス回避競争の観点では「その他大勢」であり、大きなプラスでマイナスを埋め合わせている状態だ。一方で高学歴エリートは受験と就職でレールに乗った後はリスクを取らずにマイナス回避競争に邁進することが多い。意外にこじんまりしているように見える原因はこれだろう。ただ、彼らにしても発達障害を知力で補っていたり、家庭関係で問題を抱えることは多い。先述の「10%人間」は減点法エリートの究極形態なのである。

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