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<地政学>ドイツの立地はG7最悪?世界大戦を引き起こしたドイツの地政学について語る

 またまた地政学解説シリーズである。筆者は書いていて一番楽しいのは、この手の記事だ。本当はこういう分野の研究者になりたかったなあという感想である。英語嫌いを克服しておけば良かった。

 さて、ドイツと言えば現在欧州最大の経済大国である。その国力は諸説あるが、見方によっては米中に次ぐ世界第三位とも言われる。そんな繁栄をドイツだが、一方で地政学的にはかなり脆弱な立場にある。大陸国家のドイツは世界最強の陸軍力を持ちながら常に周辺国に怯える奇妙な立場にあり、こうした地政学的問題が一度に爆発したのが二度の世界大戦だった。

 似たような地理的関係を持つのはポーランドやウクライナだが、ドイツはこれらの国とは決定的に違うところがある。それはドイツが強いということだ。ドイツは周辺国全てを敵に回しても勝利することができる軍事力を持っていた。今回はそんなドイツの地政学について見ていきたいと思う。

中央ヨーロッパの緩衝地帯

 細かく見ていけばきりがないのだが、中世から近世に掛けてドイツは小国にひしめく欧州の緩衝地帯だった。一応神聖ローマ帝国という緩い繋がりは合ったのだが、安全保障面で機能していたとは言えず、事実上大国のバトルアリーナとなっていた。この時代の欧州はドイツとイタリアが緩衝地帯で中東欧はポーランドとオーストラリアによって統合されているという現代とは逆の地政学的構造だった。

 このデンマークからシチリア島まで続く両方の塊はヨーロッパの戦場となると同時に安定をもたらしていた。欧州大陸の二大国であるオーストリアとフランスはドイツを舞台に常に戦争を繰り広げており、しばしばイギリスやスウェーデンが加わった。この時代、ドイツという国は存在せず、ただの地域名だった。

 状況が変わるのは19世紀である。ナポレオンのフランス帝国は一気に勢力を拡大し、欧州の大部分を統一した。この際、ドイツではフランスに対するナショナリズムが盛り上がった。フランス革命に影響された面が大きいが、ドイツもきちんとした国家を持たなければ周辺の強国に蹂躙されたままだという焦りもあった。しかし、ドイツ諸国はあまりにも細かく分裂しており、自らの意志でまとまることはできなかった。

 そこに現れたのはプロイセンである。プロイセンではドイツの中では例外的に規模が大きく、しかも強大な軍隊を持っていた。プロイセンはナポレオン戦背でも重要な働きを担っていた。この小さな軍事強国であるプロイセンが現在のドイツの源流である。プロイセンはデンマーク・オーストリア・フランスとの戦争に勝利し、西ドイツを併呑し、ヨーロッパの中央部に君臨する大国へと成長した。1871年ドイツ統一である。

ドイツ統一とビスマルク

 欧州を壊滅させた二度の世界大戦の根源はこのドイツ統一にあった。これにより欧州の勢力均衡は激変し、イギリスは次第にドイツを懸念するようになった。

 イギリスの戦略は常に大陸で一番強い国を警戒し、この国が大陸を統一しないように見張ることである。これまでイギリスが敵対していた国はフランスだった。しかし、1870年にフランスがプロイセンに敗れて以降は状況が変わり、ドイツとフランスが入れ替わる形になった。

 ドイツは欧州の中央部に位置し、周囲を大国に挟まれている。ドイツにとって安全保障上の懸念はフランスとロシアに挟撃されることだった。クリミア戦争に見えるように、ドイツ統一以前はロシアとフランスはどちらかと言うと対立関係にあったのだが、ドイツという共通の敵が生まれてからは次第に接近するようになった。露仏同盟はドイツにとって最大の安全保障上の脅威であり、ビスマルクは何が何でもこの同盟を弱体化させることに専念した。ドイツ・フランス・ロシアの三国間の関係はこれ以降欧州の勢力均衡の中心となる。

 仏独露の三国関係はいかなるバランスで安定させるべきか。ビスマルクはフランスとの和解を諦めた。両国は深刻な領土問題を抱えており、緩衝地帯が存在しなかったからだ。挟撃を恐れたビスマルクはロシアと同盟関係とは言わなくても最低限の友好関係を保とうとした。帝政という建前を取っている事以外共通点はなにもないにも関わらず、三帝同盟を結んであたかもロシアとイデオロギー的な繋がりがあるかのように振る舞った。ポーランド人が反乱を起こした時は鎮圧に強力した。日露戦争でドイツがロシアを支持したのもロシアの目を東に向けて起きたかったからだ。同様にビスマルクはフランスが植民地拡大に夢中になっているのを都合が良いと思った。ロシアとフランスの目が欧州に向けば必ずドイツにとって良くない展開になるからだ。

 ビスマルク時代はドイツはなんとかうまくやっていた。当時の世界は帝国主義全盛期であり、ロシアとフランスはイギリスと植民地獲得合戦に明け暮れていた。雲行きが怪しくなるのはヴィルヘルム2世の時代だ。

第一次世界大戦

 新たに即位した若いカイザーはビスマルクの外交のありがたみを良く分かっていなかったらしい。当時のドイツは非常に急成長しており、国力はロシアとフランスを圧倒していた。科学技術の歴史を調べてみると、この時代の発明の多くはドイツ由来であることが分かる。ノーベル賞受賞者もそうだ。ドイツは強くなったことである種のおごりが出てきたのかもしれない。

 カイザーは建艦競争を始め、こともあろうにイギリスに喧嘩を売り始めた。今まで露仏同盟を作らせないために行っていた数々の工夫も辞めてしまったようだ。ドイツはロシアとの再保証条約を延長しないことに決めた。そうする必要がないように感じたからだ。大した理由は無かったのだろう。こうしてフランスとロシアが手を組んでドイツに対抗する状態が作り上げられた。しかもここにイギリスも加わることになった三国同盟の誕生である。

 地政学的に最も危険な国は強くて弱い国である。戦前のアメリカのようにあまりにも安泰な国は外部の脅威が無いため、平和ボケしてしまう。バルト三国のように弱すぎる国は状況を打開する力も意志も持たない。厄介なのは強さと弱さが同居するような国だ。現代ではイスラエルがこれに該当する。強大な軍事力を持ちながら、常に潜在的な恐怖を抱えているため、問題解決のために非常に好戦的になる。近代ドイツもこれに該当し、極めて危険なタイプの国となった。

 20世紀初頭、世界のほとんどの地域が列強によって分割され、彼らの目は再び欧州に戻ってきた。日露戦争で敗北したロシアはフランスとの同盟を強化し、バルカン半島に進出し始めた。ここにオスマン帝国の衰退や地域の複雑な民族問題が絡んで世界大戦が勃発した。

 第一次世界大戦の経緯を簡略化すると、欧州最強の陸軍大国であるドイツをフランスとロシアが挟撃し、それをイギリスが支援した戦争である。ドイツは自信満々だったので、フランスとロシアを同時に敵に回しても余裕で勝利できるだろうとたかをくくっていた。ビスマルク時代の謙虚さはどこかに吹き飛んでしまったようだ。実際、1918年にドイツはあと一歩で勝利のところまで行った。だから、この自己認識は間違いとまでは言えなかったのかもしれない。

第二次世界大戦

 ドイツは戦争に敗北した。ドイツ国民は大きなショックを受けた。あと一歩で勝利ではなかったのか。

 ドイツの軍事力はフランスとロシアに勝っていたし、ロシアには実際に勝利している。フランスも崩壊寸前だった。ドイツが敗北した理由はイギリスによる海上封鎖もあるが、それでもどうにかなるだろうと考えていた。ドイツ敗北の最大の原因はアメリカだ。アメリカは欧州がドイツによって統一されるのを嫌がっていたのだ。

 というわけで、ドイツは敗戦国として過酷な運命を辿った。ドイツをめぐる地政学的問題は一切解決されなかった。それどころか、戦前よりも更に厄介になっていた。ソ連が誕生したからだ。

 ソ連は革命国家であり、非常に危険な国だと思われていた。地政学的要因を越えた恐怖を持たれていたようだ。現代でいうISISのような扱いである。英仏はソ連を恐れていたが、同時にドイツも恐れていた。そのため、2つの問題国家を封じ込めるために大変不安定な外交政策を取るようになった。不安定な積み木のような状態だった。

 フランスはドイツと和解する気はさらさらなかったが、ドイツが無力化されているなら、中東欧のリーダー国になれると勘違いしていた。建国されたばかりのポーランドに軍事援助や同盟で友好関係を結び、同様の行為を東欧の他の国に対しても行った。

 1933年、ドイツでヒトラーが当選すると欧州は一気に不安定化した。イギリスとフランスはソ連とドイツを争わせ、打ち消そうとした。ところがドイツとソ連の間にはポーランドが存在したため、ドイツとソ連は協力することができた。独ソ不可侵条約でドイツとロシアは手を結び、ポーランドを侵略した。続いてドイツは電撃的にフランスを侵略して欧州大陸を統一した。最後の仕上げとしてソ連に全面攻撃をしかけたが、これはうまく行かなかった。理由は前回と同じだ。アメリカが参戦したからである。

 二度の世界大戦はドイツとそれを挟むフランスとロシアの戦争だった。第一次世界大戦でドイツはロシアを倒したが、フランスを倒せなかったために敗北した。第二次世界大戦でドイツはフランスを倒したが、前回とは逆にソ連を倒せなかったために敗北した。その原因はアメリカの参戦だ。イギリスも重要な働きをしたが、アメリカに比べると力不足だった。

冷戦

 戦後のドイツはまたまた状況が変わってしまった。ナチス・ドイツの崩壊によってドイツは東西に分割され、悲惨なまでに没落したように思えた。

 この時代のドイツにとっての外交政策は明白だった。まず二度の世界大戦のようにフランスとロシアを同時に敵に回すことは破滅を意味する。仮に国力で勝っていても、避けるべきだと学んだ。ドイツは欧州の中央に位置し、倒しても倒しても後ろから敵が出てくるのだ。

 ドイツとロシアは2度手を組んでいる。ビスマルク時代にドイツはロシアと疎遠だが一応の友好関係を結んでいた。ヒトラーは独ソ不可侵条約でソ連と協力したが、この関係は2年で崩れた。時代を遡れば、プロイセンはロシアと共にナポレオン戦争を戦い抜いていた。この時代のフランスは非常に協力だったので、勢力均衡の関係で両国は利益を共有していた。

 しかし、東西冷戦という状況下でソ連と組むという選択肢はない。となれば、ナポレオン戦争の時と逆をやれば良い。欧州最強のソ連に対抗するためにドイツはフランスと手を組むのだ。こうして第二次世界大戦後の劇的な仏独和解が始まった。

 欧州の勢力均衡は単純だ。フランスが一番強かった時代はプロイセンはロシアと手を組んだ。ドイツが一番強かった時代はフランスとロシアが手を組んだ。ソ連が一番強かった時代はフランスとドイツが手を組んだ。常に大陸で一番強い国を封じ込めるように同盟が組まれ、その同盟のサポート役は常に英米である。

 フランスとドイツは統合を進め、EUへとつながった。現在では両国の対立は全く考えられなくなっている。独仏の同盟はフランスにとってもドイツにとっても安全保障の柱だ。EUがある限り、両国はお互いの脅威に怯えることがなく、安全が確保される。EUの存在意義は単なる経済関係だけではなく、地政学的な安全保障だったのである。

現代ドイツ

 というわけで、現在に至る。ドイツの地理的位置は全く変わっていない。相変わらず欧州の中心に位置する最強国のままである。ただし、安全性は以前よりも遥かに高まっており、経済的にもメリットが多い。

 現在のドイツが欧州で最も生産的な大国であるのは相応の理由がある。それはEUの東方拡大だ。西ドイツは冷戦時代から既に英仏よりも強力な経済を持っていたが、東西ドイツの統一で更に国力は高まった。その上東欧諸国がEUに加盟したことによって欧州の重心が東に移動したため、ドイツは未曾有の繁栄を見せることになった。

 冷戦時代の仏独関係はフランスが優位だった。そもそもフランスがドイツとの和解に乗り気だったのは、ドイツを子分にすればフランスが独自勢力としてアメリカに張り合えると考えたからだ。戦後フランスの知識人はいつでもアメリカに懐疑的で、欧州としてのプライドを主張してきた。

 ところが、ドイツがここまで強力になると、フランスはドイツの衛星国のようになってしまう。現在のドイツは戦後西ドイツほど自信喪失状態ではないし、経済力の格差は広がる一方だ。人口増加はフランスの方が勝っているが、移民や人口動態はどう変わるか分からない。ドイツは現在世界有数の移民大国になっている。

 現代ドイツは以前よりも安全だ。EU諸国がドイツの周りを取り巻く緩衝地帯となっているからだ。近世ドイツは周辺の大国の緩衝地帯となっていたが、現代ドイツは周辺諸国がドイツの緩衝地帯となっている。200年で完全に関係が逆転してしまったようだ。

ドイツの地政学

 ドイツの問題は国力の強さが地政学的な強さとリンクしないという顕著な例である。強くなればなるほど周辺諸国のドイツへの恐れも大きくなるため、むしろ脅威を増してしまった側面がある。戦後のイタリアは特に何もされなかったが、ドイツは世にも悲惨な目にあった。これは周辺諸国のドイツに対する恐れが原因の一つだろう。強くて弱い国というドイツの不安定性が二度の世界大戦と関連する悲劇の原因になった。

 ドイツが安全になった理由は3つある。一つはフランスとドイツが和解し、それが当分崩れる可能性がないということだ。もう一つはロシアとの間に広大な緩衝地帯があるということだ。最後に最も重要な点として、NATOの存在がある。地政学的に不安定な国が生き残るのに最善の方法は「小国」として大国の保護下に入ることだ。ドイツはあえて小国として振る舞うことで、以前では考えられなかった安全を享受している。経済面と軍事面で全く振る舞いが違うのもドイツの特徴だ。

 今後ドイツの安全保障上の環境が変わることがあるだろうか。ウクライナ戦争の時にその可能性が示唆された。現在のドイツは地政学的問題をほとんど意識することがないが、ロシアが攻撃性を増し、NATOが弱体化したらドイツは自力で動かなければならない。ドイツ軍は既に東欧諸国を軍事的に統合する構想を打ち立てている。ドイツが覚醒した場合、ドイツ軍がバルト三国やルーマニアに駐屯し、地域の安全保障を担うことになる。「ドイツ覚醒」というシナリオが実現した場合、今までの欧州の安全保障環境は大きく変わってしまうだろう。最悪の場合、英米との断絶もありうる。フランスが英仏とドイツのどちらに付くかは予測不能だ。

 ドイツ覚醒のシナリオは今のところ延期されている。NATOは相変わらず健在であり、ロシアはウクライナの泥沼にハマっている。現在のドイツはロシアの脅威には積極的に立ち向かわず、フリーライダーのように振る舞っている。ドイツはなるべくロシアと問題を起こさずにガスを購入したいと思っている。ポーランドやバルト三国とは温度が異なるようだ。ロシアの脅威はドイツを覚醒させるほど強くはなかったということになる。


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