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MBTI考察に最適の場所は会社の飲み会である

  筆者がMBTIを始めとする人間考察を行うのがライフワークだが、それが出来る場所は限られている。もちろんそれほど希少という訳ではないのだが、何時でも何処でもとは行かない。今回は手短にそんな話をしていこう。

  結論から言ってしまうと、人間考察が1番しやすいフィールドは会社の飲み会である。なぜなら会社の飲み会は「均質性」「自由度」「無作為性」を兼ねているからだ。

  まず均質性から見ていこう。MBTI考察をする上で、年齢や国籍があまり異なるような集団は考察しにくい傾向がある。社会経済上の立場などの違いがあまりにも大きく、性格的な違いが掻き消されてしまうからだ。筆者も70代80代の老人の人間考察はそれほど精度が高くないし、MBTIよりも老化や長年置かれた環境の違いのインパクトの方がはるかに強い。それに自分より歳上の人間は人生経験の問題から考察するのが難しい。

  次に取り上げるのは自由度だ。人間の性格や価値観の違いを見出すには最低限自由に発言したり行動したりする余地がなければならない。全く同じ行動をしている場合、性格の違いは内面のストレスの違いとして現れるので、外形的に視認するのは難しくなる。それでも会話がはずめば良いのだが、その余地すらないと雰囲気や表情に頼らざるを得ず、手がかりが少なくなってしまう。例えば筆者も近所のスーパーの店員MBTI考察は全く不可能だ。「いらっしゃいませ」等の定型文とレジ打ちといった定形作業しか外形的には観測できないからである。

  最後に無作為性だ。均質性と相反するようにも思えるが、対になる概念では無い。MBTI考察は異質な他者との接触によって生まれる。もし自分の周囲の人間が都合の良い人物ばかりであれば、考察としては材料不足に陥るだろう。学校や職場であれば自分の好き勝手に人間関係が作られるわけではないので、偏る危険性は低い。これがネットの交友関係の場合は、最初から気が合う人間ばかりで固めている可能性が高く、ちょっと頼りない。

  というわけで、MBTIに最適な環境というのは限られている。

 まず多くの人間が挙げるのは中高のクラスだろう。筆者は友人と人間考察の議論をすることが多いが、やはりベースとなる価値観は中高であることが多い。別学の中高一貫校の人間と人間考察の話がしにくいと感じる理由の一つである。やはり公立高校の出身者の方が議論がしやすい。中学校の雑多な環境から受験である程度学力で選別された環境に入り、そこから大学受験をするというオーソドックスなコースが共有されているので、何かと当てはめがしやすい。ここは均質性の話とも絡む。中高のクラスは仲良くない他人の目も意識することになるので、無作為性の問題も浮上しにくいだろう。

 大学はある意味で人間に出会える幅が一番多いともいえる。均質性が高い分、むしろ出会いは多い傾向があるだろう。しかし、大学の場合はあまりにも広い海なので、かえって知り合いが減ってしまったり、偏ってしまう傾向がある。この点はマイナスである。学生時代の友人なども、お互いの価値観や好みを知り尽くしているケースが多く、新規の人間考察にはなりにくい。それに間柄があまりにもリラックスしすぎているという問題もある。学生時代の友人はMBTI考察の対象と言うよりも議論相手の方が適切かもしれない。

 会社はどうか。会社といっても均質性が低い状態だとMBTI考察がしにくいという問題はあるだろう。また、業務の会話だけをしていても、あまり性格は見えてこない。仕事ぶりは性格検査でいう「作業検査」であるため、本人の体力や処理速度などが反映されやすく、純粋な価値観は見えてこないだろう。要するに、行動の自由度が低いのだ。

 また、顧客対応に至ってはほとんどMBTI考察はできないと考えたほうが良いだろう。特に雑多な人間を相手にする業界はMBTIと違った意味で興味深いかもしれないが、純粋な性格考察には不向きである。

 この点、会社の飲み会、特にJTCの場合は最も人間考察がし易いと思う。JTCでなくても均質性の高い職場であれば問題ないだろう。そこでは職場の人間が自由度が高い場合にどのように振る舞うかが人目で観測できるからである。中高のクラスよりも人間的に完成されている分、精度も高いだろう。MBTI考察が好きな皆さんは是非職場の飲み会に行こう!この話題が好きな人間はINFPなどが多く、ストレスを感じることも多いかもしれないが、職場の飲み会ほど高密度で情報が得られる場所は無いので、是非大切にしてほしい。



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