時間軸で物事を考えないことの重要性? 

 前回の記事では現代人はどんどん時間が無くなっており、タイパの重要性が増していることを力説した。社会経済の法則は希少資源の重要性によって回っていると言っても過言ではない。人口動態の関係から今後の日本はますます労働力が希少になるため、労働力辺りの生産性を上げる必要に迫られており、タイパ社会の性質はますます強まるだろう。何をやるにも本当に時間がない。現代人は時間貧乏なのである。

 こうなると、筆者のように時間がかかるような活動を好む人間は、幸福感が下がってしまう。一日の大半を労働と睡眠に当てざるを得ず、人間らしい存在としていられる時間は2時間ほどしかないのである。これでは何のための人生か分からないではないか!!働くのは豊かな生活をするためと言っても、それは金銭面の話であり、時間面ではむしろ貧困と言っても過言ではない。

 ところで、物理では運動量と運動エネルギーという2つの概念がある。前者は$${mv}$$であり、後者は$${\frac{1}{2}mv^2}$$である。この2つの違いを理解するのはかなり難しい。昔はどちらが真の運動なのかを巡って議論が巻き起こったらしい。

 運動量と運動エネルギーの違いは時間軸で考えるか空間軸で考えるかである。

 運動量は時間軸を中心に考える。例えば地球の重量加速度は10なので、物体を離せば1秒後には秒速10m、2秒後には秒速20mになっている。加速されている時間が2倍3倍になるにつれ、運動量も2倍3倍になっていくことになる。

 一方運動エネルギーは空間を基準に考えられている。物体を話すと速度が一定のペースで増えていくので、エネルギー量は2乗のペースで増えていくことになる。物体の一秒あたりに加えられるエネルギーはどんどん増えていくのだ。これは一秒あたりに通過する距離が長くなるからである。重力加速度のもとでは1秒後に5m、2秒後には20m落下しており、運動エネルギーは時間の二乗に比例する。すなわち、落下距離が2倍3倍になる事に運動エネルギーも2倍3倍になっている。運動エネルギーはその物体が重力によって加速された距離に比例するということだ。

 運動量も運動エネルギーも軸の取り方が違うのであって、どちらが正しいということではない。時間軸に注目すると運動量になり、空間軸に注目すると運動エネルギーになる。物体の衝突を考えてみよう。速度が2倍になると運動エネルギーは4倍になるので、衝突された物体が動く距離は4倍になる。これは空間軸に注目した考えだ。衝突された物体の動く時間に関しては2倍であり、時間面に注目すると運動量の方が正しいことになる。ややマニアックになってしまったが、こうした考え方をタイパ社会に適用できないだろうか。

 時間は一定かもしれないが、時間辺りの体験のペースは一定ではない。家で寝ているGWとインド旅行に行っているGWでは全く体験の量が異なるだろう。人生の測り方を体験ベースにすれば様相は変わってくる。休みの期間は年間の3割かもしれないが、体験ベースで考えればもしかしたらもっと長いかもしれない。

 歳を取ると時間の流れが加速するように感じるという。これはまさに人間が時間よりも体験を重視していることの現れだ。歳を取るにつれて新奇の体験が少なくなるため、心に残る出来事が少なくなるのだ。平日昼間は労働で時間が潰れるので、これと言って価値ある体験は少ない。したがって、時間としてはあっという間に感じる事が多い。となると、意外に人生に占める比重は小さいかもしれない。

 体験ベースで考えると、意外に現代人は貧困ではないのかもしれない。時間は短くても、ワクワクするような楽しみは社会に溢れているからだ。現代人の1時間は古代人の10時間に匹敵する楽しみを生み出しているかもしれない。となると、現代人の人生は寿命の伸びを無視したとしても、古代人よりも長くなっている可能性がある。

 高速で落下する物体の一秒間で受け取るエネルギーが膨大になるように、高速で展開する現代人の一秒間もまた、密度が濃いものになっているだろう。実際、文明の発展はどんどん加速している。人口増加の影響を考えても、イノベーションは爆発的に拡大しているようだ。これもまた、時間効率性がアップしたことが原因と思われる。昔はアイデアをやり取りするのに何ヶ月もかかったが、今は一瞬だ。物体の運動エネルギーが2乗のオーダーで増えていくように、文明の進歩も時間軸で考えると加速していくのである。


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