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ありのままを生きること〜ルチアのラスール物語〜

第3話 共感の難しさ

コネクションプラクティスパート1、2を学ぶ中で、NVC(非暴力コミュニケーション)の学びが重要だと言うことで、くみくみのNVC基礎クラスを受講することにした。ここでは、NVCの基礎を体系的に学ぶことができる。

自分用のパソコンがない私は、スマートフォンでその講座を受講した。家族の目が気になって、毎回徒歩15分のスタバまで行きそこから受講していた。今思うとなんでそんなに家族の目にビクビクしていたのだろう?と可笑しくなってしまうが、当時の私は、うつ真っ只中、あらゆることが不安要因になっていた。

小さな画面で必死に講座を受けながら、感情と考えの区別もつかず、考えばかりを言っていたことを思い出す。それまで、感情、気持ちだと思っていたことが考えであったこと。それだけ思考に囚われていたことで自分自身をも追い込んでいたことに、そのころの私はまだ気付いていなかった。

霞をつかむような感じで、ただただ講座での学びを忘れない様にと書き留めることが精一杯で実践など全く追いついていかなかった。
そんな中、共感バディがセッティングされて夜クラスの方とペアを組むことになった。
最初のうちは、共感コールなのか雑談なのか?わからない感じだった。(私がそうだった)それでも、定期的に繋がって話すことで、聞いてもらえること、つながり、信頼、安心が満たされていった。いつの間にか、他の人には話せないことも自然に出てきていつしか、かけがえのない親友となっていった。
今でこそ、お互い多忙で中々つながれないけれど、ここぞ!と言う時に真っ先に浮かぶのは彼女の顔だ。NVCの講座から5年近く経った今もつながりの糸は切れる事なく、むしろ強固なものとなっている。

それは、NVCと言う互いに思いやりでつながるスキルの質が本物であることを表しているのだと思う。

NVC基礎クラスで思考の渦から這い上がろうともがきながら、精神薬でぼーっとする頭と重だるい体を引き摺りながら亀の歩みですこーしずつ進み始めた。

今、講座のサポートをするようになって、その当時のことなどすっかり忘れて「できてるつもり」になっている自分にゾッとすることがある。
ふと、立ち止まり、自分はもっと頓珍漢だったこと。そんな私でも繰り返し練習することでちょっとづつ出来る様になっていったことを思い起こしながら、同じ目線であり続けることを学んでいる。

あの頃の自分に言いたい

「よく頑張ったね」「あの時、やり続けてくれてありがとう」

「できないからやらない」

のではなく

「できないから、やる」

ことがどれほど大事なことかを噛み締めている。

                  次回へ続く


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