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韓国語#15.괜찮은 사람(いい人)~それって結局どういう人なのさ~

 最初に聞いたとき、なんだか不思議な言い方をするなと思った言葉があります。

 それが、괜찮은 사람。

괜찮은(ケンチャヌン/クェンチャヌン):大丈夫な(基本形:괜찮다)
사람(サラㇺ):人

 直訳すると「大丈夫な人」になるのですが、これだけ聞くと、それじゃあ大丈夫じゃない人がいるのかと思ってしまうような表現です。

 さらには、ここに、強調の意味を持つ 아주 が付いた「아주 괜찮은 사람(とても大丈夫な人)」という言葉を聞いた日には、とても大丈夫じゃない人がこの世にいるのだろうかなんて、その場には全く関係のないことを勝手に考えてしまったものです。

아주(アジュ):非常に、とても、甚だ、随分

 実際には、「いい人」と訳されることが多い 괜찮은 사람 。
 今回は、この言葉について書きたいと思います。


1.いい人(まともな人)

 괜찮은 사람 で、おそらく最もよく使われる意味は「いい人」です。
 例えば、以下のように使います。

나는 그저 괜찮은 사람이 되고 싶다.
私はただいい人になりたい。

남들이 나를 괜찮은 사람으로 생각하는지 늘 신경이 쓰였다.
他の人が、私のことをいい人間だと思っているのか、常に気を使っていた。

 『괜찮은 사람』 より

 ただし、いい人と言われても、なんだか漠然としている気がします。

 また、一般的に「良い人」と言うときは「좋은 사람(チョウンサラㇺ)」という言葉もあるため、できれば区別したいところです。

좋은(チョウン):良い(基本形:좋다)

 まず、좋은 사람 は良い(좋다)・悪い(나쁘다)という基準から来ている言葉なのに対し、先ほどの例文にあった 괜찮은 사람 は「まともな人」という意味で捉えることができます。真面目で、誠実で、きちんとしていて、人から信頼されるようなまともな人という意味での、いい人です。

괜찮은 사람 の英訳としては a decent person を見掛けます。まさに「まともな人」ですね。また、場面によっては good person や nice person でも良さそうです。


2.いい人(〇〇に合う・適している人)

 それ以外にも、「〇〇に合う・適している人」という意味でも使うことがあります。

내 친구 중에 괜찮은 사람이 있는데 한 번 만나 볼래? 
私の友達にいい人がいるんだけど、一度会ってみない?

 ここでの 괜찮은 사람 は、「あなたの性格や理想に合う人」と解釈することができます。

 また、同じような使い方で、就職や転職など、企業が人材を採用する場面でも使うことができます。

면접에서는 자기가 얼마나 괜찮은 사람인지 어필을 해야 합니다.
面接では、自分がいかにいい人間か(この仕事・ポジションに適している人間か)アピールしなければなりません。

 このように 괜찮은 사람 は「ある条件や適性に合う人」という意味で使われることが多いため、覚えておくと便利です。

昔あった結婚条件の三高(高収入、高学歴、高身長)を満たす彼は 괜찮은 사람。誠実で、思いやりがあって、優しくて、家庭的な彼は 좋은 사람。ま、どちらかと言えばという話なので、両方とも言い換え可能です。


3.結局、どんな人がいい人かなんてその人次第だと思う。

 ただ、「まともな人」「〇〇に合う人」と解説してはみましたが、やはりこれらの意味や判断基準は人や場面によって変わってくるため、決まった訳があるわけではありません。

 괜찮은 사람 と同じような意味で「괜찮은 딸(いい娘)」「괜찮은 아들(いい息子)」といった言い方をすることもあります。

 しかしこれも、何をもっていい娘・息子とするかは、人によるでしょう。もちろん一般的には、親に心配を掛けない孝行娘・息子なのかもしれませんが、やはり一概には言い切れません。

犬を可愛がるボクは 괜찮은 아들(いい息子)に認定だ。小さな子どもに優しく付き合う君もね。

 そう考えると、結局どのような人が 괜찮은 사람 なのかは、人それぞれだと思うのです。

나는 그저 괜찮은 사람이 되고 싶다.
私はただいい人になりたい。

 最初に挙げたこの例文も、非常に難しい問題ですね。いい人になりたいと思っても、何をもっていい人とするかは、決まっていないのですから。

 こちらは今回意味を調べるにあたり、おもしろいなと思った記事です。 
 タイトルは『괜찮은 사람이란?(いい人とは?)』。

 そこには、こんな一文がありました。

그런데 괜찮은 사람이 되기 위한 공부는 정답이 없는 문제를 끊임없이 갈구하고 찾아 나서는 것입니다.

ところが、いい人になるための勉強というのは、正解のない問題を、終わることなく追い求め、探し続けることなのです。

 まさに、これがすべてを表しているような気がします。

 괜찮은 사람 という言葉で表現すると、誰もが共通して持っている概念がありそうに見えますが、実は存在しない・・・つまりは自分の頭の中でしか定義されていない何かを、相手も同じであると信じて使っている言葉に過ぎないのかもしれません。

 そんなことをうだうだと考えていると、日本語としては少し違和感を覚えますが、「大丈夫な人」という直訳は、案外的外れな訳ではない気がしてきます。何が大丈夫かなんて、それこそ、人それぞれですからね。

 ーーという結論で終わろうかと思ったけど、やっぱり、「大丈夫な人」はおかしいか(笑)

 一応、撤回しておきます。

まあなんだかんだ、何が 괜찮은 사람 かなんて、気にせずに生きたいものですね。おう、いいね。そうしよう。そして、両手を大きく広げて、新鮮な空気をいっぱい吸い込んだりしちゃおうぜ。

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