韓国美術館#08.「エドワード・ホッパー: 道の上で」at ソウル市立美術館
4月20日~8月20日まで、ソウル市立美術館(서울시립미술관)ではアメリカ・ホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art)協力の下「エドワード・ホッパー:道の上で(Edward Hopper: From City to Coast)」が開催されました。
行こう行こうと思いつつ、4か月間あるしと余裕をこいたら8月に突入。時が経つのは早いですね(しかも、もう9月)。チケットを予約し、猛暑の中、久しぶりにソウル市庁エリアまで繰り出しました。
エドワード・ホッパー
エドワード・ホッパー(1882‐1967)は20世紀のアメリカを代表する画家です。
1882年にニューヨーク州ナイアックで生まれたホッパーは、絵画と文学を愛する少年でした。高校時代は海軍建築家になる夢を描いていましたが、卒業後は芸術の道へ進むことを決意。そんな彼に両親は手に職を付けることを勧めます。1899年には通信制の商業美術学校に進学し、コマーシャル・イラストレーターの訓練を受けますが、翌年にはニューヨーク美術大学に編入。アメリカ印象派を代表するウィリアム・メリット・チェイスや20世紀前半の写実主義画壇を率いたロバート・ヘンライらから6年間学びます。
卒業後はイラストレーターの仕事をしていましたが、それは決して好きだからではなく、経済的な必要性に迫られて仕方なく、嫌々やっていたそうです。好きでもないのにクリエイティブな仕事で食べていけるなんて、才能があってうらやましいと思ってしまいますが、本人にとってはそうではないのでしょうね。
結局、1906年から1910年までの間に、仕事から逃れるため計3度に渡ってヨーロッパに向かいます。都市開発が積極的に進められていたニューヨークとは異なるパリの姿に魅力を感じたホッパーは、パリを中心に周辺国を旅行しながら絵画を学んでいきます。ホッパーに強い影響を与えたのは、当時盛んだったフォービズムやキュビズムではなく、フランスの印象派やオランダのバロック美術だったそうです。
ヨーロッパ帰国後も、画家としてはうまくいかない日々が続きます。仕方なくイラストレーターの仕事を再開。それでも、映画や演劇が大好きだったホッパーは、映画のポスターなどを任せてもらうようになりました。
しかし、油絵に行き詰まりを感じていた1915年。33歳のときにエッチングを始め、1923年までに作り上げた約70点のうちほとんどをエッチングで作成します。
その後、1923年には将来の伴侶となるジョゼフィン・ニビソンと再会したことで、人生が動き始めます。
彼女の助けを借りて、同年にはブルックリン美術館の展示に水彩画6点を出品。結果、大絶賛を受け、そのうちの1点《マンサード屋根》は100ドルでブルックリン美術館に購入されました。
翌年にはフランク・リーン画廊で人生初の個展を開きます。この水彩画個展で出展した全作品に買い手が付き、ついに42歳にしてイラストレーターを辞めて、画家に専念することになりました。
そして、同年に2人は結婚。
性格は正反対な2人ですが、画家ロバート・ヘンライの教え子で、文学、映画、演劇、フランス好きという共通点がありました。ジョゼフィンは妻としてだけでなく、ホッパーのキャリアやメディア関係も管理し、またモデルとしても支え続けます。
エドワード・ホッパーといえば、やはりこの《ナイトホークス》が思い浮かびます。
シンプルな構図に、単調ながらも強烈な色使いが印象的で、都会の夜の静寂と現代人ならではの孤独を感じさせます。今回の展示では、本作品の(たしか)素描(だったはず)が来韓していました。
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「エドワード・ホッパー:道の上から(Edward Hopper: From City to Coast)」
「エドワード・ホッパー:道の上から」は、学生時代から画家として活動したホッパーの65年間の軌跡をたどる特別展です。
ソウル市立美術館の1階から3階までを埋め尽くす作品の数々。期待していた以上の規模で、絵画、デッサン、版画が約160点、その他の資料約110点が一堂に会していました。
2階から3階までは写真撮影禁止。1階のみOKとのことだったので、以下の写真はすべて1階の展示で観て気に入ったものを載せています。
◆イラストレーターとして
◆モデルのジョゼフィーン
◆油絵
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展示の終わりにはドキュメンタリーを見ましたが、なかなか興味深かったです。
ホッパーの絵画には、シンプルな構図、強烈な色彩と質感、そしてそこに登場する建物や人々の物語性という特徴があります。その独特なスタイルを見て人々は、「都会の空虚感」「孤独のリアリズム」などと言って絶賛したわけですが、どうやら本人はそのような絵画を描いたつもりはないそうです。
インタビュー映像では、自身の絵画に対する世間の評価に関し、「人々が勝手に、見たいように観ているだけだ」みたいなこと(記憶があいまい)を語っていました。それを聞いて、確かに、当時のアメリカの人々に共通する深層心理がホッパーの絵画と勝手に共鳴を起こして、あたかもその意味がそこに存在するかのように信じただけなのかもしれないと思いました。
また、こうしてホッパーの人生を追っていると、ジョゼフィンが彼の人生においていかに重要だったかが分かるわけですが、それほど仲の良い夫婦だったわけではなさそうです。ホッパーはかなり気難しい性格だったようで、ジョゼフィンは「彼は冷たい」と想像の10倍以上を超える重たい表情で嘆いていました。普通の、冷めた夫婦のようですね(あまり幸せそうには見えなかったのはここだけの話)。
さて最後に、今回は様々な作品が展示されていましたが、個人的には油絵よりもイラストに魅力を感じました。とっても、おしゃれで、かっこいい。イラスト嫌いの人が描いたとは到底思えません。
そして、今回最も気に入ったのがこちらの作品《歩くパリジェンヌ(Parisian Woman Walking)》です。なんか笑っちゃう。
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