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母の日に、ほんの少しの贖罪を。

GWで混雑している大型スーパー、その2階へと昇るエスカレーターで、1人の男の子とすれ違いました。紫のスウェットに、黒のジャージ姿。背が高くスラッとした、高校1年生くらいの男の子。

手に持っているのは、光沢のある赤色の包装紙に包まれた荷物。タブレットくらいの大きさで、左上にリボンのシールがついています。


そうか、もうすぐ母の日か。


家をこっそり抜け出して、2階の日用品コーナーへプレゼントを買いに来た、そんな印象を受けます。

GWなのでお母さんもおうちにいたかもしれません。「ちょっとジュース買ってくるわ」なんて言って出てきたのかな?、そんな妄想をついついしてしまいます。


ぼくは、大学生になり一人暮らしを始めてから、母の日・父の日にはプレゼントを贈るようになりました。

と言いつつ、父の日はたまーに忘れてしまうことも。打率で言うと.667くらい。一方で母の日は、毎年必ず何かしらやっています。

ぼくの場合、「父より母が好き」とかではなく、少し”贖罪”みたいな気持ちもあると思います。

***

小さい頃に一度だけ、母が家を出ようとしたことがありました。

当時の母は専業主婦。小学校にあがったばかりのぼくと、2つ下の弟を育ててくれていました。それくらいの歳の男兄弟ふたりというのは、もの凄くやんちゃで生意気だったんだと思います。

母の言うことをまっったく聞かない子どもたち。それが毎日つづいて、とうとう我慢の限界がきたのでしょうか。


あるとき、

「もうしらん!お母さんは実家にかえる!!」

と言って、ズシズシと足音を立てながら車庫へ向かっていきました。

「ふ〜ん、別のおじいちゃんがいるあのおうちに行くだけなんでしょ」

なんてのんきに思っていると、祖母が血相を変えて走ってきます。


あんたらなにしてんの!
はよ止めなさい!!!



その鬼気迫る表情を見て、幼心になにやらこれは一大事だぞと思い、弟とふたり、あわてて母の背中を追いかけます。

「ごめんごめんごめん!ちゃんと言うこと聞くから!!行かんといて!!!」

と、車庫に通じる勝手口で靴を履こうとしていた母を、必死で引き止めた記憶があります。



それから何年か経って、母は一度、体を壊しました。「顔面神経麻痺」というもので、顔の右側が上手く動かなくなりました。

家庭内で暴力があったとか、そういうことはありませんでした。客観的に見ても幸せな家庭だったと思うし、家族もみんな仲良しです。

ただ、田舎の古い伝統や価値観が根強く残る地域で、家事は全て女性がやる、みたいな傾向が強かったんです。

我が家もまさにそうでした。母は仕事をしながら、掃除も、洗濯も、晩ご飯も、翌日のお弁当すらも、ほぼ1人で全てをこなしていました。

そうしてもらうことが当たり前だと思っていたぼくは、母が体を壊して初めて、負担をかけていたんだと気付きました。


***


大学生になって始めた一人暮らし。

掃除や洗濯、料理をすることの大変さを見に沁みて感じました。今までまったく手伝ってこなかった自分が情けなくて、申し訳なくて、少し悲しくなりました。

そんなこともあり、母の日には必ず、ぼく・弟・妹の3人でプレゼントと花束を用意します。

母の好みに合わせて、妹がプレゼントを選び、ぼくが花束を選ぶ。これが毎年のパターン。花束の候補を2つに絞って、シャイで無口な弟に、LINEで写真を送りつけます。

「今年の母の日さ、花束この2つで迷ってるんやけどどっちが良いと思う?」
「左」
「おっけー。これで用意しとくわな〜」
「うん」


「うん」じゃねえぇえ!手伝わんかいぃ!!



今年もきっと、5月の第2日曜日には母から電話がかかってきます。「プレゼントと花束ありがとう〜。今日届いたわ!」と。

「3人からやで」と、ふたことしか喋っていない弟も含めてやります。なんてったってお兄ちゃんですから。


ほんとは直接渡したいんです。実家に帰って一緒にご飯を食べて、皿洗いの1つでもしたいんです。

2021年、大阪に住んでいるぼくに、それは叶いません。

だからせめて、照れくさいけど、電話越しに「いつもありがとう」と言ってみようかと思います。

育ててくれた感謝の気持ちと、ほんの少しの贖罪として。

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