「教養」はそのうち役に立つ

"役に立つことしかしない人間は家畜と同じ"

中野信子(脳科学者)

よく、書店で『教養としてのワイン』『教養としての統計学』『教養としての孫子の兵法』『教養としての日本史』といった本を見かける。なんか、とりあえず教養って頭につけとけばいい的な感じ。

教養ってそんなにいいものなのか?つーか、教養って何?って感じだが、教養とはなんだと聞かれたら「なんかタメになる味わい深い知識と情報」といったところ。

なので、英語や簿記なども知識っちゃ知識ではあるが、どちらかというと実用的なスキルや専門知識にあたるので、教養とは少し違うかなと思う。

そういう意味では、教養はあるにこしたことはないが、別に絶対になきゃダメというわけではない。

にしても、なぜこんなにも教養は重宝され、大人たちは含蓄に富む人に憧れたりするのか。

教養が大事なのは分かるが、その必要性をどう建設的に説明すればいいのか。

とりあえず、広辞苑とかの字引による「教養」の定義をおさらいするのは回りくどくなるので置いとこう。私が思うに、教養には2つの機能があると踏んでる。


その1…アイデアの素材。

「知識は知って納得するだけじゃなくちゃんと応用しましょうね」って二宮金次郎やブルース・リーも言ってたっけな。

例えば、日本史、特に戦国史なんか知ってると、偉人の失敗や教訓を知れる。
武田勝頼は頼りなさすぎて父・信玄の亡霊を払拭して重臣からの信用を集めることに固執して長篠の戦いで織田信長・徳川家康に敗れたとか、織田信長が本能寺の変を起こされたのは「部下は自分を裏切らない」という思い込みと慢心だからとかエトセトラ。

仕事や人間関係でも歴史を学ぶことで得られる教訓というのは実に応用が効く。こういう失敗学としての戦国史なんかは、反面教師の材料としてこれ以上望めない最高のデータベースだ。私も、武田勝頼みたいに世間体気にしてヤケクソになって結果を急がないように気をつけよう。焦らなきゃ武田家全滅しなかったもんね。

それに、仕事やイベントで何か企画するための題材として諸文化からコンセプトやネーミングを引用したり、問題解決だったりマネジメントのために戦争論に出てくるドクトリンや戦術をスキームの参考するなど、どこかしらのタイミングで教養が役に立つことがある。孫子の兵法なんかがその最たる例だ。

かといって、別に歴史とかワインとかインテリが嗜みそうなスタイリッシュで小難しいものを無理して体系的に身につける必要性はそこまでなく、スポーツ、音楽、映画、プラモデル、 ボーイズラブなど、自分が好きなものであっても"詳しくなれば"なんだって芸の肥やしにすることができる。

教養は、ふとした時にインスピレーションを与えてくれるので、その発想を少しでもより豊かにするために仕事熱心もしくは好奇心旺盛な人ほど普段から学ぶことに貪欲なのだ。


その2…文化を嗜むための予備知識。

言い換えれば、私生活を営むための予備知識とも言える。

例えば、食生活、旅行、映画など。

この場合、ビジネスとはだいぶかけ離れてるので、ぶっちゃけ教養が役に立つかどうかなんてもはや二の次だ。「自分が興味ある分野を見方を変えて、もっと楽しめるようにする」ためのスパイスといったところだろう。そうともなれば一応は結果的に役に立ってる。

ビールが好きならば、醸造の仕組みを知っていればよりビールに興味が湧き、味の感じ方も変わってくる。

北海道に旅行する前に漫画『ゴールデンカムイ』をイッキ読みするとアイヌ文化についてもっと知りたくなり、現地でジビエを食べたくなる。

映画『2001年宇宙の旅』を観たあとに小説版を読むと、映画じゃ意味不明だった部分が全て補完される上に、人類史の勉強にもなる。

…といった具合だ。

特に映画の批評なんて読んでると、「作品を観たまんま辛辣に書くタイプ」と、「文化的背景・社会的背景を加味して作品を分析するタイプ」の2通りのライターがいるように感じる。無論、プロの批評家は後者が多い。

去年、北野武監督の『首』という映画が公開された。内容は日本史最大のミステリーと言われる本能寺の変を題材としていて、豊臣秀吉をはじめとする織田信長の重臣たちが天下人の跡目を狙う壮絶なスペクタクルものだ。

で、ある自称・映画批評家の口コミで「『首』って映画を観た。いや〜ビートたけしの演技がダメダメだね笑」とだけ書いてあるのを見かけたが、「ああ、この人、ぶっちゃけストーリーを理解してないんだろうな」ってのがバレバレだった。「演技については分かった。で、ストーリーは?」っていう。この人はおそらく、「作品を観たまんま辛辣に書くタイプ」だろう。しかも、自分の理解力のなさを棚に上げる感じの。

批評家やご意見番を気取って感想を書くにも、全貌をざっくり理解してないとテキトーにレッテルを貼るしかなくなる。正直言って、この手の知ったかぶりは見苦しいし、無知なものは無知とハッキリ言ってやったほうが潔い。

しかし、まあ…無理もないな、とは思う。『首』は面白いと感じるかどうか以前に戦国史中級者レベルの予備知識がないとそもそもついていけない複雑な作品だし。人を選ぶ。私も戦国史に関しては付け焼き刃程度の知識しかなかったので、ちょくちょくついていけなかった。「面白かったー」っていう小並感あふれる感想を言うのが精一杯。この映画について詳しく解説しろと言われたらバカがバレる。

戦争映画やノンフィクションモノなんかは、事前情報ゼロでも楽しめる作品のほうが多いが、予備知識ないとついていけない作品が沢山あるので、私はもっと幅広い教養が欲しい。

最近だと『オッペンハイマー』は全編ついていくのに必死で地獄だったな。少なくとも、基礎知識としての量子論、イデオロギー、時代背景、ロバート・オッペンハイマーの功罪は知らないと3時間もの間、睡魔と戦わなければならなくなる。

ゆえに、予備知識としての教養は、理解力の助けにもなるのだ。

教養はすぐに役に立つなんてことは少ないけど、時を経て間接的に役に立ってるんだね。

専門知識と専門外知識は表裏一体。学ぶのに無駄なことなんてないのだ。

私も、『教養としてのボボボーボ・ボーボボ』なんて本を出版したら誰か買ってくれるのかな。


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