パチ屋を出禁にしてもらった

やらかして出禁になったんじゃなく、出禁にしてもらうように頼んだ。頻繁に行く3店舗で。

生活動線上、この3店舗以外めったに行かないので、少なくともこれで当面はパチンコのことを考えずに済む…と思いたい。

そう。私はパチンコをやめようと思ってもやめられない依存症なのである。

私が打つのは1円パチンコ(レートが通常の1/4)で、一回に数千円から多くても1万円ほどのお金を使うが、それでも塵も積もれば山となる。負けが続き、無作為に遊戯を続ければ1ヶ月に20万円使ってしまうこともありえる。

それで、なんかもう惰性の遊戯に疲れて腐れ縁を断ち切ろうということで出禁にしてもらうに至った。
経済的な理由もあるけど、諸々の機会損失のほうがデカい。何よりリソースの無駄だし、パチンコのせいで人生棒に振って、ニートやってたこともあったくらいだ。

で、自主的に出禁になるために自己申告プログラムという制度に頼ってみた。簡単に言うと、店に「出禁にしてくれ」っていう嘆願書を提出するやつ。

っていうか、それついこないだ知ったんだよね。また1パチで16000円負けて、茫然自失してた時のこと。(4円打ちにはかすり傷かもしれないが、1円打ちの私には16000円は致命傷)
店内にあった自己申告プログラムの紙が目に入って、「この手があったか!」と思った。なんか運命的な出会いというか。
どうせなら8年前くらいに知ってれば人生棒に振らずに済んだのじゃが。

思えば、初めてパチンコに触れたのはちょうど10年前、大学1年生のときのことだった。大学の授業の空きコマと昼休憩が重なってだいぶヒマな時間ができたので友達に誘われてパチ屋に行った。そこで1パチの甘デジを打ち、ビギナーズラックで3000円勝ち、数日後に同じ友達と打ちに行った5円スロットで14000円勝った。

以来、"勝てさえすれば"簡単にお金が手に入る感覚が面白いのと好きなアニメがパチンコ台になってるのが面白くて自主的にちょくちょく打ってたけど、やがて負けを繰り返し、どうにも勝てないのと、当時は彼女もいたことだし、色々私生活に支障をきたすからパチンコを断った。

それから半年くらい経った頃、腹を壊してたまたまパチ屋のトイレを借りたあと、トイレだけ借りるのもなんだしと思って、20円スロットに2000円だけ使ったら大勝ちして12万円勝った。それが本格的にのめり込むトリガーとなった。

もうそれからのことは覚えてない。だいぶお察し。12万勝ったといっても、そのお金も結局はものの2〜3ヶ月でパチンコでスッてる。

それ以来、嫌なことがあるたびにパチンコに逃げてきたというか。ちょっと我慢すりゃどうにかなる問題も言い訳つけては逃げてパチンコ打ってたりもしたし。もう打つのが目的というか、何も考えずに打つのが当たり前になっちゃってるというか。

パチンコが原因で大学の単位を落としまくって就活をおじゃんにしたし、それで面接通るならどこでもいいやと思って変な会社に入って結局辞め、ニートになった。一応社会復帰したけど、そのドロップアウトの後遺症が今も響いてるし。

これでも、色んなキッカケが重なって半年やめれた時期が2回ある。その時は仕事に夢中で忙しくてそれどころじゃなかったり、アクティブな生活ができててパチンコの存在を忘れられてたんだと思う。

でも、ふとパチンコのことを思い出して「ちょっとくらいいいだろ」って思って打ったら少しだけのつもりが大負けして、その負けを取り戻すためにパチンコの事が頭から離れられなくなるという負の無限ループに陥る。

アルコール依存症や麻薬中毒と同じ行動原理。

うまく断絶できても、「最初の一杯」が命取りとなる。ちなみに、依存がぶり返すことをスリップというらしい。

そういや、5年前、当時ニートやってて社会復帰するかしないかの時期に、ギャンブル依存症の根治のヒントになるかもと思って、隣町でやってた自助グループに参加してたこともあったっけ。

そこで出会った人たちは想像以上の苦しみを経験していた。

パチンコ依存で堕落して家庭内暴力を起こして嫁と子供に愛想つかされ出ていかれ、失意の中、名古屋から神奈川まで歩いて更生施設にたどり着いた人。

会社の金を横領し、信用を失って下っ端に降格するも苦心惨憺、元の地位に返り咲いた人。

パチンコ打つ金欲しさに身体を売ってた人。

ギャンブル依存が原因で摂食障害になった人。

パチンコで全財産スッてホームレスやってた60代の人。

色んな波乱万丈の人生を送ってる人に巡り会えた。

それに比べたら私はまだやり直しの効く、むしろ依存症と呼ぶにはレベルが低いタイプかもしれない。

私も現状を打破できるのだろうか。

これを機に何か変われるといいが。


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