「親切」が「ありがた迷惑」にならないために

「メサイアコンプレックス」という言葉がある。

簡単に言うと、「自分には価値がないと思う人間が他者を救うことで劣等感に対する埋め合わせをする心理」のことだ。
誤解を恐れずに言うなら「人助けをしてる自分が好き」。

耳が痛い。私も度を越したお節介を焼いてしまうことがあった。大人になって自重するようになったが、今でも時々出しゃばってしまう。会話で不要な発言をしたり、クソリプ書いては削除するときもある。我に返った後は一人反省会。

なので、私は人生相談とかそういうの持ちかけられるのに適すタイプではない。結論を急いで変なアドバイスをしてしまい、困らせてしまう。

そして、他人が半端なお節介をしてるところを見ると無性に腹が立つ。同族嫌悪。

2年前にウクライナ有事が起こった際、現地に千羽鶴を送ろうという企画に対し、「ありがた迷惑だ」「どう考えても要らないだろ」といった批判が殺到してる中、「せっかく作ったんだから」「私だったら嬉しいけどな」といった浮世離れしたコメントを見かけたときは「この人たちはホントに大人なのか?」なって思った。

行動せず野次を飛ばすのは良くないが、これに関しては正当な批判だ。現地の人からすれば「ゴミを送られる身にもなれ」って話だし、反応に困る。これなら何もしないほうがマシだ。

腐っても善意でしたことだから何をやってもいいわけではなく、人助けをするにも相手を慮る気持ちがなかったら文字通り偽善になりかねない。

無論、先ほども書いたが、こういった私の感情は同族嫌悪だ。「私はこういうデリカシーのない大人に比べてまだマシ」といったことを示したいマウントなのだろう。

私は、お節介には「モラル」と「TPO」があってしかるべきだと思うが、なかなかセオリー通りにはいかない。

私含め、メサコンの人というのは所詮エゴと承認欲求の塊みたいなもんで、純粋な気持ちで人助けをしたいと考えてるようで、実は先輩風を吹かせて悦に浸ってることがしばしばあるのだ。そして、メサコンはギブ&テイクで物事を考えるので、見返りを求めるあまり、雑なお節介を焼いて蹂躙しがち。
気遣ってるつもりでも実は見当違いに無神経に相手を振り回してる、そんなことも自覚なしにしょっちゅう起きてるかもしれない。

なので、私は他人と接するうえでお節介をするからには見返りや感謝を求めてもしょうがないし、親切心やサービス精神が仇となって嫌われたり煙たがられても仕方ないと思う。
お節介は高尚で神聖な行為ではなく、ただの自己満足だし、その自己満足によって世の中成り立ってる面もあるにはある。親切心や利他精神というのはなかなかに難しいものだ。

そういえば、私はもうすぐ献血をやり始めて5年経つ。
キッカケはニートをやってるときに暇で金なかったから何となく始めた。
これで徳が積めるんならそれでいいやと始めたが、ここまで続くとは思ってもみなかった。
献血で徳を積んだからといって、金持ちになれたり成功者になれたりとかそんな劇的な変化など何もない。だが、それでいい。どうせ自己満足のなんちゃって篤志活動でしかないし。

私はこれを人助けだと思ってない。むしろ、徳を積まさせてもらってるこっちが助けてもらってる。献血センターに。

献血のポイントが溜まったら洗剤とかハンカチとか景品色々もらえるから助かってるよ。

おしまい

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