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読書が好きというより、読書が好きな自分が好き

中国発の超人気SF小説「三体」を今更になって読んでる。面白くて久々に活字を読むスピードがノリにノッてる。

近ごろはスマホ依存が祟って本を買っても積読しがちで、お気に入り以外の大量の本を断捨離した。そんな体たらくの自分としてはなかなか劇的な本に巡り合えたものだと嬉しく思う。

私は、これまで曲がりなりにも小説や実用書といった色んな本を読んできた。読書を続ける理由はいろいろある。「映像とは違った面白さ」「自分の想像力で物語を展開したい」「知的探求心を刺激される」「知らない言葉に出会うのが楽しい」…。

だけど、一番は「カッコつけたいから」っていう、潔いけどなんか俗っぽい理由。

そう。私は「読書を好きな自分が好き」。自分に箔をつけたくてサブカルチャーに強くなりたいし、趣味に読書って肩書が欲しい。でも、嘘や見栄で言うのは野暮だ。だから、既成事実を作るために定期的に活字に触れる機会を作ってる。休日に外出するときは必ずと言っていいほど本屋に寄る。

一応、本は心の底から好きだ。でも、ぶっちゃけ我慢してる時もある。立ち読みした時は面白く思えたのに、いざ買ってみると「あれ?しんどくない?」ってことが結構ある。
もちろん、レクリエーションや息抜きは純粋に楽しめるに越したことがないし、趣味ごとき世間体や競争心なんてあっても意味がない。「好きこそものの上手なれ」ともいうし。だけど、持論だがあえて趣味に義務感を持つってのもアリだと思う。

趣味は原体験や成り行きで獲得するのが一般的だが、「よし、ゆっくりでいいからこれを好きになってみせるぞ」って取り組んで結果的に本当に好きになれればそれも趣味になる。

聞くところによれば、無趣味で楽しみがない人の多くは、冷笑主義や完璧主義をこじらせて、「その物事にハマる自分を想像すると気持ち悪い」「その道のエキスパートになれなければ意味がないんじゃないか」という風に邪念が芽生えるみたいだが、結論を急ぎ過ぎだと思う。

私は、高校3年生のころから"無理矢理"読書をしてきて10年以上経つけど、未だに読書が好きな自分を演じてるに過ぎない。

別にいい。だってそれがめちゃくちゃ楽しいから。

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