ちゃおしか勝たん

 今日もいつもと変わらぬ日常だった。朝学校に行って、友人たちと談笑する。これがなくては学校なんてあってないようなものだろう。
靴箱で靴を履き替えようとして、自分のトートバックから水が滴り落ちているのに気づいた。はてな、今日はカンカンに晴れていて、濡れるはずないのに。
そう思い、トートバッグの中を覗き込んだ。あ、お茶が。きちんとしまっていなかったふたから、お茶がポタポタとこぼれ落ちていた。
慌てて取り出したのは、蓋がしまっていない水筒でも、そこそこお金が入っているお財布でもなく、最近購入した文庫本だった。
 「たゆたう」という、長濱ねるさんのエッセイを、厳選して本にしたものである。随分前からねるちゃんのファンなので、もちろん詳細が出た時にはすぐに特装版を予約した。
ダヴィンチの連載も毎回欠かさず読んでいたが、買わないという選択肢はない。撮り下ろし、書き下ろしまでつけていただけるとは感激だった。
ただ、特装版だと持ち歩きづらいなと思い、つい先週、文庫本を買い直したばかりだったのだ。ねるちゃんの言葉は、いつも私を助けてくれる。だから、いつでも読めるようにと、そう思った矢先だった。素早く本を手に取って濡れていないかを確認した。宝物がシワシワになるのはごめんである。幸い、ブックカバーが守ってくれていた。ふう。危なかった。
安心したのも束の間、お茶がこぼれていることに変わりはない。そそくさと靴を履き替えて、三階の教室まで一気に階段を駆け上がった。朝から体力使いたくないんだけどなあ。
息を切らして教室に入ってきた私をみて、友人がクスッと笑った。月曜日からほんと慌ただしいね、と。お茶が閉まってなかったの、といえば、ありゃりゃ、後ろに乾かしときな?それくらいなら帰るまでに乾くよ、なんて会話を交わした。
 私にはこんなこと日常茶飯事なのである。常に走り回って忙しくしていたりするし、いつも焦っている。小テストの範囲を間違えていて、先生からお情けで五分勉強時間をもらったり、英語の授業なのに間違えて音楽のファイルを持ってきたり。迷惑かけっぱなしである。
それはそれとして楽しいのだ。みんなで笑うのは、いつ何時であれ楽しい。人に迷惑をかけっぱなしなのは本当に申し訳ないが、その分役にたとうと奮起する毎日である。
 複数の友人たちと、お昼休みに恋愛トークをした。正直あまり馴染めていない感はすごかったが、自分としてはとても楽しいのだから関係ない。男子はモテたいならちゃおを熟読すべきだよねという、よくわからないトークテーマではあったけれども。
 確かに、ちゃお派だった私も同感だった。世の中の女の子というのは大体ちゃおやらなかよしやらの少女漫画を通ってここまで育ってきているのだから、男子に求めるのがそれだというのは当たり前の話である。少女漫画のベタ中のベタ、体育館裏に呼び出されて告白されるシチュエーションに憧れを抱くのも無理はない。告白はどの女子もされたいものではないか。女子は最終的な判断をしかねるタイプだからなあ。求められたい生き物なのだ。道徳とかいうふざけた授業やってないで、日本の少子化止めたいなら男子にちゃおを使って授業しろ、なんて言っていて、久々にお腹を抱えて笑った。なんとも、理由から頭の良さが滲み出ている。さすが進学校なだけあると思わざるを得ない。ボケもツッコミも頭がキレすぎていて、それがまたなんとも面白い。最終的に男子にちゃおの良さを力説しはじめ、さらに小学校の時に、学校帰りにスーパーマーケットでちゃおを買うのが楽しみで幸せだったというほっこり平和なエピソードトークが盛り上がりそうになったところで、五限目始まりのチャイムがなった。恋愛トークというより、ちゃおしか勝たんトークである。
 三十年後の小学生が、ちゃおを授業で熟読していることを切に願おう。

さて、もうそろそろ楽しみにしていたドラマが始まりそうなので、今日はここまでにしておこう。ふう、また自担のXの通知が十分おきにくる予感がする。
時間を共有している感覚がしてとてもうれしいし、とにかく楽しそうで本当に何よりである。

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