映画レビュー:リトル・マーメイド(実写版)★★☆☆☆
・ハリーベイリーのMV
・歌唱力すごい
・演技力しょぼい
・ホラー味あり
ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中の私です。
今回は地元のシアターで映画「リトルマーメイド(実写版)」を観ましたわ。
最初にお詫びしておきます、途中で少し寝てしまいました。アリエルが昆布かなにかといっしょに水揚げされてから小舟でひっくり返るところまで、記憶が途切れ途切れですの。申し訳ありません。
さて、結論から申し上げますと、5点満点中、2点。
歌唱力の一点突破に賭けるあまり、演出や脚本が雑になった、という印象ですわ。内容うんぬんよりも構成の面から見て駄作になってしまった感が強いのです。映画としては駄作です。理由は後述。
私自身はアニメ版リトルマーメイドは子供の頃に一回観たきりで、しかもアリエルはあんまり好きではなかったので、巷で喧々諤々のブラックマーメイド問題はあまり気にしてはいませんでしたの。しかし実際に観てみると、黒人アリエルに拒否反応を示す人たちの気持ちもよくわかりましたし、だからといってそれは俳優の人種がどうだから、という帰結にはならないということにも気がつきましたわ。詳しくはその他の項目で。
■あらすじ
海底の世界に住む人魚のアリエルは海王トリトンの末娘。好奇心旺盛で地上の世界に憧れている彼女はある日、航海中の船を発見し、そこで見た人間の王子エリックに恋してしまう。嵐に襲われ座礁した船から海に投げ出されたエリックを救助し、浜辺に横たえるアリエル。エリックの脳裏には、介抱してくれた人物の美しい歌声のみが残り、声の持ち主を探し出そうとする。
エリックへの恋心を募らせるアリエルに、海の魔女アースラが近づく。魔女は声と引き換えに三日間だけ人間の脚を与えてやろうと持ちかけ、アリエルに契約させてしまう。首尾よく脚を得て陸の世界にやってきたアリエルだったが、王子は「声」を手がかりに目当ての人を探しているので、それと伝えることができない。近づく期日。そこへ現れる妖艶な美女。実はアースラには邪悪な目的があり……
(※ここからはネタバレを含みます。ネタバレがお嫌な方はブラウザバックなどでお戻りください。)
■良かった点
・歌唱力がすごい
これは前評判どおり、圧巻の歌唱でした。「Part of your world」の歌い方はパワフル系。
歌い方は「フリッピンッ ニュァッ フィンッ ユッドンッ ゲットゥッ ファ~」みたいな感じの、かなりスタッカートを効かせた歌い方。おそらくこれが彼女本来の歌い方なのでしょう。歌唱力で一本釣りなのもこれなら納得ですわ。
・エリック王子のバックボーンが増えた
すこしキャラクターの掘り下げがなされ、記号的王子様からの脱却を果たしました。アリエルからエリックへの好意は分かりますけど、エリックからアリエルへの好意はどのように醸成されたのか謎だったので、理由と過程がある程度付加されたのは良い改変でしたわね。
新規に書き下ろされた曲では、その胸の内を朗々と歌い上げてくれますわ。人の言う事を聞かず、王子という立場にも無頓着なキャラ付けらしく、溺れて死にかけて外出禁止をくらった直後に歌いながら外に出て性懲りもなく船出していくのでかなり笑いました。
た・だ・し、自分を救ってくれた謎の女性を国じゅう探させているのに、それをそっちのけで、別の女の子と仲良くなるのはどうなの?という原作からの問題点はそのまま残っておりますわよ(✷‿✷)
・アースラ/ヴァネッサ、トリトンの再現度が高い
特にアースラですね。あの、相手のことを思って言っているようでいて、嘲笑っているような、嫉妬しているような表情と、下半身タコの不気味な造形がアニメ版の味をよく出していて圧倒されました。変身後の姿であるヴァネッサも、あの類まれな美貌で、心底邪悪な笑い方をするのには戦慄しましたわ。そしてハリーベイリーに劣らず歌もお見事。ねっとり絡みつくように歌う「Poor unfortunate souls」は必見の出来ですわ。
トリトン王は近くで見ると少し市川海老蔵に似ているかも?あと水面でチャプチャプ立ち泳ぎしているのがお茶目。
■気になった点
・水中感があまりない
水の抵抗感をあまり感じられません。浮遊感にも乏しいです。陸上の重力に近い動きとそうでない動きが混在しているので画面に統一感がありませんわ。実写+CGの限界を感じました。
最大の違和感は、アリエルの挙動ですわね……人魚といえど、上半身は人間と同じなのですから、水棲生物のような構造上の利は得られませんでしょう。なのにけっこうなスピードで泳ぐ、回転する、落下?する。マーメイドってそんなに早く水中移動できますのね……
アニメ版ならファンタジーとして片付けられていた点が、実写というリアルになると途端に違和感を帯びてきます。
・演技力がしょぼい
かなりの問題点。「表情豊か」「高い演技力」と評する方もいらっしゃるようですけども、まったくそんなことはありませんわ。本人の演技力が乏しいか、監督がそういうディレクションをしているかのどちらかです。
しょぼい、あるいは場面にそぐわない。特に水揚げされてからが顕著で、声を失ったのだからそれこそ身振り手振りや表情で意思疎通を図らなければいけない場面での薄味ぶりには閉口しました。眠くなってきたのも大半がこれが原因ですわ。食べ物で例えるならうっす〜い昆布だしの汁みたいなもの。お塩かお醤油持ってきてくださいまし!
・ホラー味がある
これは完全に個人的な好みですわ。海の中がガチ海と申しますか、光の届かない海底をリアルに描写しているのでそれなりの怖さがあります。
あと、目と目の間が離れたハリーベイリーの顔が、私の基準からするとホラー寄り。インスマウス面のクリーチャーってこういうのでしょうね、というのが初見の印象でしたわ。
なのでいくつかのシーンはホラー味の方が勝ってしまいました。特に、船を見つけて海面から顔だけ出しているシーン、救命ボートに這い上がって中を観察しているシーン、エリックを救助した後の岩礁によじ登るシーンなどにホラーみを感じましたわ。
・解釈違いが割と影響している
監督の思い描くアリエル像と、既存のアリエル像とでかなりの乖離があり、そこを受け入れられるかどうかが大きなポイントになると思いますの。例えば「Part of your world」の中で『you want thingamabobs? I got twenty』と歌ったあとに『But who cares? No big deal,anymore』と歌いながら、手にした懐中時計みたいなものを投げ捨てるように箱に戻すんですね。私は物を乱雑に扱う者が大嫌いなので、ここで(あっ、無理……)(このリトルサハギンに感情移入するのは無理……)となりました。
歌詞では『でもそれが何?大したことない』と歌っているので、この描写でも間違いではないのです。アニメ版のように箱ごとそっと置くのもありですし、実写版のような描写でもありなのです。要はそれが受け入れられるかどうかだと思いますの。
また、「Part of your world」の最後で手を差し伸ばした天井の穴──外を見渡せ、腕は入るけども、アリエルが通り抜けるには小さすぎる絶妙な大きさの穴──つまり憧れて手を伸ばすけど絶対に行くことができないという現状のメタファーになっている所を、続くシーンで実写版アリエルはそこを当然のようにくぐって浮上していきます。
いや、そこ通れるんかいヽ(`Д´)ノ!ですわ!
ここもまた、解釈の違いですわね。こういう細かい解釈違いが受け入れられるかどうかで、この映画の評価は変わってくるでしょう。
蛇足ですけど「Under the sea」で、アリエルがいっしょに歌い出すシーンはよく批判の的になりますが、基本的にアリエルはアホの子(※個人的見解)なので、楽しくなってくればコーラスくらいは歌うかもしれない、と解釈しておりますわ。
■悪かった点
この作品には明確に悪い点がふたつ存在します。
ひとつは「端折りすぎ」。それも致命的なところをはしょっています。
それは、物語の大団円につながる過程。ラストのあのシーンにつなげるためには、そこまでの過程を描写しなければなりませんわ。
なぜ、冒頭で船乗りたちは人魚(らしき魚影)に銛を投げつけているのか。
なぜ、女王は人魚を危険視しているのか。
なぜ、トリトンは人間を敵視しているのか。
なぜ、女王は一気に態度を軟化させたのか。
なぜ、最後に多種多様の人種と肌の色の人魚が一斉に出てくるのか。
それらの理由と過程の描写をはしょっているのです。
仲良くなるにも、反目するにも、歩み寄るにも、和解するにも、すべて理由と過程がございます。
例えば作中ではトリトンと他の娘たちが沈んでくる難破船の後片付けをしながら『人間はサンゴ礁を荒らす』的なことを言うシーンがあるのですけど、難破船は沈もうとして沈んでいるわけではないので、ここからもうひと押しの工夫が必要だと思いますの。
また、巨大化したアースラを倒す役割がエリックからアリエルに移っているのも大きなはしょりポイント。あの場面は、海を三叉矛でかきまわす巨大アースラに、この大渦に飲み込まれたら100%死ぬであろう普通の人間のエリックが命を賭して立ち向かう姿を見せることによって海の種族が人間を見直す重要な因子となるのに──もしくは『こんな海に投げ出されても必ずまたアリエルが助けてくれる』という全幅の信頼を寄せる姿を見て海の種族の翻意をうながすという重要な因子となるのに、そこを変えてしまったのです。
この部分は、強い女性像、自ら行動する女性像を見せたかったのかもしれませんけども、引き換えにエリックの見せ場という重要な転換点を丸ごと失っております。上手い改変とは思いませんわ。
いまひとつは、「キャラクターの記号化」ですわ。
キャラクターの記号化とは、そのキャラクターになんのバックボーンも持たせず、悪役なら「悪役」というテンプレートだけ、周りの大人なら「周りの大人」というテンプレートを当てはめただけの、現実味の無い、中身からっぽのキャラクター造形のことです。
今回新たに付け加えられた「エリックの母親である黒人の女王」と「人種も肌の色もさまざまな大量の人魚」はそれに該当します。特に後者は記号以外のなにものでもなく、いきなり脈絡もなく大量に出てくるので、「あなたがた今までどこにいらっしゃいました?」とツッコミそうになりましたわ。
沈んだ難破船の後始末をトリトンとアリエルシスターズが自らやるという会長と支社長しかいない組織みたいなムーブを見せるくらいなら、あそこでマッチョ人魚に憤らせ、少年人魚に『にんげんは、どうしてこんなことをするの?』と無垢な瞳で語らせでもすれば、幾分なりとも印象は変わりましたでしょうに。
私が本作を駄作と断じるのはこれら2点が理由ですわ。他の点がどれだけ良くても、「理由と過程をはしょっている」「キャラクターを記号化している」、このうちどちらかひとつでも当てはまれば自動的に駄作判定となります。
■総評
音楽と歌唱力だけがずば抜けた残念作。ゆえに冒頭で申し上げた通り、ハリーベイリーのMV(ミュージックビデオ)としてなら、高い価値を持つでしょう。アランメンケンは変わらず神の地位を保っております。
アニメ版リトルマーメイドを知らない世代がこれをどう感じるかは、正直わかりませんわね……
■その他
さて、今作で避けては通れない「人種変更(もしくは肌の色変更)」について触れていきましょうか。
私の結論は
「新作でおやりなさい」
ということになりますわ。なぜか?
逆算しながら考えてみましょう。
現在、「私の思い出の中のアリエルと違う」という意見でこのキャスティングを拒否する人と、その意見を「黒人差別だ」と指摘する人との勢力が確認できます。
しかしよく考えてみてください。アリエルを演じるのが赤毛の白人以外許さない、というのであれば、そもそも国内で行われているミュージカルなど猛バッシングを受けているでしょう。にもかかわらず受けていないのは、観客がそれをアリエルと認め受け入れてくれるための努力を、演じる側がしているからに他なりませんわ。
要は、どれだけみんなの心にあるアリエルに近づけることができるかどうかで決まってくると思いますの。ところが、今回の実写版にはそれが感じられなかった。単なる外見だけではない、みんなの心に深く根ざしたアリエル像とは大きくかけ離れていたから、『私のアリエルじゃない』という批評が出てくるのでは、と思います。では、「イメージと違う」ことによって是非を論じるのはどうなのでしょうか。
我が国のアニメ作品実写化でも、実写化したアニメ・マンガ作品が受け入れられるかどうかは、この「イメージに沿っている再現度か」「イメージに沿っていなくても受け入れられるか」に二極化されると思いますわ。
例えば「テルマエ・ロマエ」は、古代ローマを描くシーンがありながらローマ人役のキャストを全員顔の濃い日本人で固めるという奇策でヒットし、「孤独のグルメ」は漫画版とはおよそかけ離れた顔の俳優を起用し、独自のキャラ付けをしながらも、「こういうのでいいんだよ、こういうので」と言わんばかりの評価を得ています。
とはいっても、すでに多くのファンが長年ついている作品を解釈違いでリメイクすれば、評価が割れるのは自明の理。それは子供の頃に飲んだ濃厚なコンソメスープが再販売するので飲みに行ったら昆布だしが出てきたようなもので、よほどの美味でなければ『うん、これはこれでいいね』と言える人は少数派だと思いますし、まして商品名が「濃厚コンソメスープ」のままだったら、怒りを覚える人がいるのも当然ですわ。それほど「固着したイメージ」は強力かつ繊細なものなのです。
昨今、アメリカのエンターテインメント業界は急激にポリティカル・コレクトネスに舵を切り、ディズニーはその急先鋒となっているイメージすらあります。
私は、ポリティカル・コレクトネスに配慮すること自体に問題があるとは思いません。多種多様な人種や特性の人が活躍する作品は、これからの時代の土台として、「違うことが普通」という空気を醸成するために必要なものでございましょう。
今作で黒い肌のマーメイドに自分を重ね合わせた方も多くいらっしゃることでしょう。今まで黒人のプリンセスに恵まれなかった黒人のファンは、快哉を叫んだことでしょう。
中には、今まで白い肌で赤い髪のアリエルを楽しませてもらったのだから、これからは黒い肌でドレッドヘアのアリエルがスタンダードでいい、とまでおっしゃる方もあるいはいらっしゃるのかもしれません。
しかし、それらすべての希求は、この一言で回答できますわ。
「新作でおやりなさい」と。
物事には陽の面あらば陰の面も必ずあるもの。喜び、希望を見出す人の裏で、悲しみ、落胆する人のことは顧みられないのであれば、多様性の尊重などと、どの口が言うのか──という話になりはしないでしょうか。
黒人の味わった苦労や悲哀はわかる、だから我々も我慢すべき、という反論はナンセンスです。『あなた達が我慢したのだから私達も我慢する』という考え方は、『私達が我慢したのだからあなた達も我慢するべき』という論法に容易に転化しますわよ。
誰かの絶望の上に築かれた他の誰かの希望など、私は断じて認めませんわ。どのような理由を持ってきても、ひとさまの大切な思い出を土足で踏みにじるような行為の免罪符にはなりえません。だから新作でおやりなさいと言うのです。
というあらすじなどで。
ここで、ピンチに陥った主人公ズを助けに現れるのが、エリックの商船に乗り組んだ大人アリエルだったりすれば、成長したアリエルの姿を見て涙するお兄さま、お姉さまがたの心はガッチリつかめますし、アリエルから託される想いを受け継ぐ主人公だったりすれば、彼女と同年代の少年少女たちのワクワクはとどまるところを知らないでしょう。
ところが、新作にはしなかった。
過去の名作の改変という形にしてしまった。
これはクリエイターとしては敗北であり、商売人としてはハイリスク/ローリターンな賭けだと思いますの。それはなぜか。
全世界へ向けて公開する映画という興業である以上、誰のために・誰に向けてという答は常に「大多数」です。しかし、現状は容認派と受け入れがたい派とでまっぷたつに割れています。これでは大多数にアプローチするのに適した作品とは言えませんでしょう。
特に巨大な市場であるアジア圏において苦戦を強いられている現実を見れば、リターンに関する読みが甘かったとしか言いようがありませんわ。
本当にこれが世界にもろ手を挙げて歓迎されると思っていたのでしょうか。アニメ版のファンにそっぽを向かれる危険が大いにあったのにもかかわらず、それを実行してしまうところに、今のディズニーの危うさを感じますわ。クリエイター的にも、商売人的にも。現に相互理解どころか対立をもたらしているのですから。
最後に。ファンタジー作品にそもそも人種などないから自由に変えてよい、黒人マーメイドを否定するのは差別主義者だ、などと言った意見はすべて論点ずらしです。そういう問題ではありません。それらの意見を良しとするのは、思い出の破壊を許容するようなものですし、ひいては文化の侵略を呼び込むことにもつながりかねませんわ。
はたして、ディズニーはポリティカル・コレクトネスを世界に布教する旗艦なのか。それとも、沈みゆく泥舟なのか。今後も注視してまいりましょう。
というわけで星ふたつ!ですわ(◡ ω ◡)
見どころは何と言っても歌唱シーン。新規曲を含め、何回でも聴きこみたくなりますわ!
海中のシーンも少し詰めの甘いところはあるものの、かなりのガチ海描写なので、怖さすら感じるリアリティがあります。
しかし、ディズニーの過去作の威光に頼りがちなところと、拙速に過ぎるポリコレの詰め込み感とが悪い方に化学変化を起こしているのも事実。アニメ版アリエルに思い入れのある方は観ないほうが良いのでは……というのが正直な感想ですわね。
映画評価基準……
★★★★★:何度でも観たい
★★★★☆:ぜひ観たい
★★★☆☆:観ても損なし
★★☆☆☆:一度観ればいい
★☆☆☆☆:観なくてもいい
☆☆☆☆☆:お金を捨てたいなら
蛇足ながら、久々にDREAM WORKSが正面きってディズニーをパロディにしているのを見つけたのでご紹介しておきますわね。
前回のレビュー
これまでのレビュー
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。
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