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「性」教育から「生」教育へ〜





10年、

その年月はどのくらいなものか......


例えば
〜桃栗三年柿八年というが
桃栗と柿は、すっかり収穫できるほどの年月。


まぁまぁ長いこと、あたしはずっと愛だのセックスだのを伝えることを生業にしてるわけだ。


あ、この唄には続きがあってさ、
〜桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い十三年 梨はゆるゆる十五年 柚子の大馬鹿十八年 みかんのマヌケは二十年...と、
柑橘系ったらこんなに手間暇がかかるのね。
柑橘農家さんありがとうございます。



と、さて置き、さて置き、

おぎゃんと産まれし赤ちゃんも
10歳になるほどの年つきを
あたしはこれを伝えるために費やしたことになる。


やり続けるってことはとても素晴らしいことだと我ながら思うもの。

好きでやれてるのだから尚のことよね。


初めてラブアンドセックスカウンセラーを名乗ったとき、それまでの友はイッキに居なくなられた。

〜蜘蛛の子散らすように〜なんて云いたいのだけど、実際に蜘蛛の子を散らしたことなど無いのだからわからないけど、まあそんな感じ。



そのかわし、
新しい方々との出逢いや交流が盛んになった。


もちろん賛否あり、
嫌悪感たっぷりに辛辣なお言葉をちょうだいすることもあったし、
大きな愛で応援ぶちかましてくださるかたもいた。


そうね、
あとは良いも悪いも自分次第、
己で決めてく人生さ。



この10年ちょこっと振り返ってみますれば、
まあ、それはそれは色んなことをやって参りました。


コンテンツだってさ、
つれづれなるままに 日くらし 硯にむかひて
心にうつりゆく よしなし事を 片っ端から立ち上げていったものだからアンタ、
それはもう、とんでもハップン、歩いて10分なわけでして、


その中で面白いものは今も残っているのだけど、その時は大真面目だったよだけど、今思えば"くだらないネーミングのくだらないサービス"はひと目につく前に海の藻屑となってった...

海の藻屑...これをボンは海の海蘊と云う。
藻屑(もくず)と海蘊(もずく)似てるよでぜんぜん違うわね。

けどさ、あながち間違いとも言い難しだわ。
だって、海には海蘊(もずく)もいらっしゃるのだものね。




最近のあたしは、せっかく沢山を立ち上げたのに大凡その業務はせず仕舞いで、
大人のマッサージ店の立ち上げや技術指導、嬢たちの相談窓口姐のようなことで生きております。

これらの仕事だって丸8年やってるのだもの、
桃栗でいうと〜桃栗オッケー柿はギリ収穫できるほどの年つきよねぇ。


昨今では、性のことを伝えるかたも増えて
吾輩、心底良かったと思う反面顔面、
うーむと悩ましい点もタタタあります。



ま、でもさ
あたしの出る幕はもうそこではないわなーなんて思っておりまするよ。


子どもたちの未来を守るなんてことを掲げて鼻息も荒めにやって参りましたが、結局は何も出来んよなぁと思ってる。


ここでいう「何も出来ん。」は
直接的に何も出来ないというか、
何かをする必要がないというか、
つまり、というかです。


レディース遠藤ジェントルメン、
チルドレンにも爺さんにも婆さんにも伝わる性教育を目指しておりますが、

直接的なことでは無いのだなと改めて思っております。



まず第一に子どもたちはちゃんとわかっているのだということね。



子どもは本来真っ当にスクスクと育つようになってんのよね。

何処かで捻くれたりするのは
みんな大人のせいだと云い切れるわ。
ええ、イイキレル。


親や家族以外、
例えばクラスメイトのだれそれちゃんの悪影響を受けたとしても、そのだれそれちゃんの親が問題じだったりさ。

その親も幼少期に関わった大人たちに影響されてるって話しで。



嗚呼、御先祖さま、
どこでどうなっちまったのか
なぜに捻くれたのかって。



それにすぐ影響受けちゃうってーなら
我が子もやっぱり親、つまり己れとの関わりがそうさせたのだというだけのことよ。




断ち切る方法はただ一つ、

子どもたちの生き様を捏ねくり回さず
そっと見守ることだと氣がつき、


そしてやっぱり大人たちが幸せで在ることが重要なんだと氣づき、


その幸せってのはなんたるか?を
創造してくのが良いなぁと思ってる。




まわりくどいな、あたし。




世のため人のためは己れのためでもあり、
〜情けは人の為ならず。なのである。




でもまあ、気負うことなくね
あたしが面白がって生きてくことが一番なのですわ。


大人になるとかつて子どもだったことを忘れる。

あたしたちはさ、どんな大人が側にいてくれるのが嬉しかったのかしら?



あたしは、結構両親が好きなの。

意識したこたぁないのだけど、
あたしは間違いなくこの二人の姿を見て育ったのよね。

今のあたしが在るのはこの二人のエッセンスのおかげだと云える。



大きくなるにつれて
そりゃあ悪い奴にも出会っていくのだけど
毒され過ぎず居られたのはあたしの周りに居た大人たちのおかげだと、つくづく思うもの。


あたしの生まれ育った地域は
日本的には品が良いとはいわれていない場所だけど、だからこそ皆んな団結しちゃったりして
助け合って生きてる感じなのよね。


飲んだくれオッサンも、
喧しいオバハンも、
クソジジぃも、いけずな婆さんも
皆んな皆んな放っておかないの。

すーぐ声かけてくる。
すーぐ何か食べ物くれようとする。

悪いことしたら叱られたし、
良いことしたら褒められた。


そういう心根の部分を子どもたちはしっかり受け継いでるのよねぇ。

どうしようもない大人たちの愛おしい部分をさ。
 


それでいいんだと思う。



そりゃあ好きなことだけして生きてなんていけないわ。

生きてりゃ厭なことだらけよ。

そんなの当然だからさ。



けれど、それと同じだけ幸せも感じて生きてるのよ。


だって人生はプラマイゼロだから。



その愉しく面白い経験を見せつけていけば良いのかなってね。



あたしたち大人が今出来ることは、
シンプルに愉しむことに他ならないと思うわけです。




さあ、何をやりましょうか?

実はもう動き出してたりするのよね、あたし。


そうよ、あんたとあたしと
皆んなで創っていくのよ。


あたしたち同じ星に生まれたんだものね。


〜「 性 」教育から「 生 」教育へ。

あたしたちの生きる姿を見せることが
未来に繋がることなのよね。






















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