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マインドフルネスの中の瞑想の位置づけ。


「今、この瞬間に意図的にやさしい注意を向け、
物事をありのままに気づくこと」

瞑想という文脈で少しはなしていこうと思います。
もともと
マインドフルネスは原始仏教瞑想をベースに
科学的に研究され、宗教的要素を除去して体系化したもの
MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)が出発点で
ここ最近現代に広まってきています。

マインドフルネスは状態であり、特性の言葉の表現ですが、
その状態や特性を強化するための方法として
マインドフルネス瞑想があります。

そしてその瞑想実践は、集中瞑想と洞察瞑想から構成されています。
集中瞑想とは、
特定の対象を用いて、その対象に意図的に注意を集中する瞑想法です。
例えば、呼吸に注意を向けて、注意がそれたらまた呼吸に戻る
その様に対象を決めて注意を集中していきます。

もう一つの洞察瞑想とは、
今この瞬間に次々と生じてくる感覚(五感から入ってくる情報への反応)や感情、思考を用いて、それが何であっても特定の対象として選び出したりとらわれてたりすることなく、それらの経験の流れに気がついている瞑想法です。
例えば、今この瞬間に痛みが生じているな、足がしびれているな
何か頭に思考が流れているな、感情がわきおこっているな
それらを判断したり、追いかけることなく生じてくるそのままを眺めていきます。

マインドフルネス瞑想はだいたいこの2つで構成されています。
なので
「今、この瞬間に意図的にやさしい注意を向け、
物事をありのままに気づくこと」を強化するための、練習方法として瞑想実践があります。

つまりは、日常の生活の動的な中で、マインドフルな気づきを持てるようになるために、脳を訓練するのです。
人間が注意できる範囲には、限界があります。
人間は生き延びるために、無意識化で様々な注意を払っています。
それと同時に自分が興味あることや欲している情報を得るために、注意をはらっています。
これらを自動的に、勝手に、無意識のうちに行っているので、
それを瞑想を通して、意識化にあげて、練習をしていくのです。
なので、ここでは宗教的要素は全くありません。
ただ目の前に起こっている、自分の反応を眺めていくそんな練習なのです。
それを何かに集中して行うか、または生じているものすべてを対象にして行うか。
注意訓練といってもいいかもしれません。
それが何の効果につながるかは、また次回にしますね。

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