男性論(かなりトンデモ論ですがʅ(◞‿◟)ʃ)

元々、男性だって胎児のときは女だったのに呪われた🤭Y染色体のおかげで胎児の小さな小さな睾丸から出て来る男性ホルモンのシャワーを浴びせララて無理矢理<女でない何か>に変形され、改造されて産まれてくるのが男なんでしょ?

って、自分の記事で書きました。

それにしても、なんで女を捻じ曲げて男を作り出すのか?
わたしは、仕事で野菜の加工をします。
白菜とかキャベツを半分とか4分の1に切るとき、刃のが幅広くて刀身も長い包丁を使ひます。
青龍刀と日本刀を足して2で割ったやうな形。 
実際、貝印、関孫六のブランドが彫られてます。
十分、人も斬れそう。

父親が日本刀を何本も持ってた。わたしも剣道をしてたとき、道場で居合ひの人たちが束ねた藁を斬ったりしてるのを見たけど、あれで人を斬ったらどんなことになるだらうと想像するたびに吐きそうになってました。映画だと、斬ったらすぐ死ぬけど、実際は、倒れてからもなかなか死なずに悶えて苦しんでたんぢゃないかしら?
だから、日本の武道って、
必ずトドメさせ、
残心を忘れるな、
と口酸っぱく言ってたんぢゃないでせうか?

刀で斬り合って殺し合ふ。試しに、長い包丁でカンカン撃ち合ってみたら、そんな遊びをしてみても、武士である第一条件が切腹出来ることだったことがすとんと胸に落ちました。
刀での斬り合ひ、それが出来るためには、自分の腹に鎧通しを突き込むだけの胆力が無いと無理。
しかもそれで気絶しないで真一文字に切り裂いて、最後は刃の角度を90度うへにくっとあげて切りあげてから、さっと刃をお腹から抜く。さうしたら、もちろん腸は飛び出して来る。割腹はそれを見せること、ガッツを見せるためのものだから。
(三島由紀夫氏はこの正式の切腹作法で、割腹したさうです。文士芝居に出た折は、高下駄履いて明治の書生さんに扮して舞台の裾で出番を待ってる時に、緊張のあまり三島氏の身体が小刻みに震えだして、遂には高下駄がカタカタなってたと面白おかしく書いてた人がゐたけど、そんな感受性を持ったまま、切腹できるって、男の中の男って感じがして、わたしは萌える)

斬るにしても、斬られるにしても、刀を構へてそれを想像したら、今の男性ならたいてい失禁してへたり込むと思ひます。
もう刀で人を斬ったり、必要なら切腹できる男性はゐない。ゐても、この近代化された都市には、居場所が無くて困ると思ひます。

その代はり、みんな、女みたいに優しいよね。
人間の生きる環境では、刀で人を殺す、切腹で責任を取る、そんなことが出来る人間がゐないと、自然と闘ひながら社会を維持することが出来なかった。それで人間の半分が、女性から男性といふ、
野蛮で、無神経で、破壊と殺戮と支配(出来なければ服従)がご飯より好きな人間が作り出されたのでせうね。

これからも、男性がただ女みたいに優しくて、刀で斬り合ふこともできず、なにをやっても切腹しないでもいいやうな社会が続くといいですね。



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