乳母猫

 わたしは人間としてまったくダメな人間だ。
 これは辛い。人生は失敗の連続だった。もう歳だから、挽回のしようがない。
 妻に慰めてもらはうと思って
「ぼくの人生は失敗だった」と言ふと
「さうね」
とあっさり肯定する。
 そのままではあまりに寂しいので、なんとか少しでもウソでもいいから「そんなことはないでせう」と言ってもらふために、
「誰にも好かれない。一人も友達がゐない」
と言ってみた。
 すぐに、
「さうね、ゐないわね、友達」
と返答された。
 さうだった。わたしには、友達が、実際、一人もゐないのだ。

 「別にいいぢゃん。友達なんてなくても」
と、やっと慰めてくれた。
 「友達が一人もゐないなんて、人間としてダメだ」
と、ちょっと甘えてみた。なんとか理由をつけて「ダメぢゃない」と言ってもらはうといふ魂胆である。

 「ダメね」
 「ダメかな、やっぱり」
 「友達が一人もゐないなんて、人間としては完全にダメ」
 「ああ、さうやな、確かに」
 「友達なんて、いいぢゃん、猫がゐるし」
 別に慰めてゐる様子もない。妻も実は友達なんてゐないと思ってゐるらしい。わたしから見ると何人もゐるやうに見えるが、たしかに、妻は誰にも自分から連絡しない。子供の頃からずっとさうだったらしい。
 人と会って話すのがしんどいのださうだ。
 夫婦なのに気質がまるで違ふぢゃないか。わたしなど、人が好きで好きで、一日中、人の群れの中で踊ってゐたい。
(ってウソです。誰にも言はないでほしいんですけど、わたしは人がキラヒなの)

 今、うちにゐる母娘の猫は、まるで、わたしを父親もしくは祖父とみなしてゐるかのやうに、いつも私と共にゐる。わたしは、どうも、この猫たちに好かれてゐるやうなのだ。
 「猫に好かれるって、好かれようと何しても無理でしょ。僥倖でしかないでしょ。それで何が不満なの?」
と、妻が言った。
 何も無い。

 ふりかへってみると、幼少の頃、わたしのそばにゐてくれたのは、猫だった。
 わたしは、母親から触れられた記憶が無い。

 さすがに赤ん坊の頃は抱き上げられたりしたはずだが、ものごころついてからは、母親との身体的な接触の思ひ出が無い。手をつながうとするといやがられたので、子供は親のいやがることはしなくなるから、いつか「手をつなぎたい」といふ気持ちも忘れた。

 そんなわたしの膝に乗ってきたのが猫だった。
 わたしの膝がふたつ合はせても、その猫の幅より小さい頃だった。だから、わたしには自分の持つ「最も古い記憶」であるかのやうに思へる。

 わたしの膝に乗って丸まらうとしてずれ落ちる、その繰り返しが、膝から腿あたりに、猫のやはらかい毛ざはりとして記憶にある。
 この記憶は造られたものかもしれないが、この記憶の中のわたしは、くすくすと笑ってゐる。猫のずれ落ちていく様子と、膝から腿のあたりのくすぐったさで、笑ってゐるのだ。

 猫は、わたしが笑ふと、むしろ、それを促すかのやうに、また、膝に登り、くるっと身体を丸めて、その形のまま、膝からずるずると落ちていって、わたしをさらに笑はせる。
 わたしは、その肌の感覚で、幼少期を生き延びたと思ってゐる。
 やはり、僥倖だった。

 この猫は、その後の数年間、猫には珍しくないことだが、わたしの感情の起伏に応じてさまざまな励ましや慰めや興を与へてくれた。
 もちろん、これはすべてわたしの記憶の中の話だが、それを承知で、その猫は、わたしの・猫の姿をした乳母だったと、わたしは、思ってゐる。
 

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猫のいるしあわせ

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