夫婦の問題は、夫婦となった男女それぞれの全存在の氷山の一角といふ感じがします

夫婦の問題は、夫婦となった男女それぞれの全存在の氷山の一角といふ感じがします。
つまり、夫婦の問題として起きてる事柄の背後に、夫婦となった男性と女性、それぞれの、生まれてから今までの人生がしっかり繋がってゐる。
夫婦の問題だと思って引っこ抜こうとした雑草が、とんでもな深く広く根をはってゐて、今立ってゐる大地そのものをひっくりかへさないと抜き取って全貌を見ることはできない、って感じ。

わたしは、人間の出発点は、母子関係にあると思ってゐます。
露西亜のマトリョーシカといふ人形のやうに、人間の自己は、一番奥に胎児だった自分から始まって、成育期それぞれの自分を何層にも重ねて、今の自己になってゐると思ひます。

今、自覚できる自己は、自分が意識できる現実に、意識して対処した結果です。
何を言ってゐるかといふと、たとへば、怒りっぽい人といふのは、怒ることで他人や社会をうまく操ることができたといふ成功体験を持ってゐたり、怒ることで、自分の他の感じたくない感情を無いことにできたといふ、やはり成功体験を持ったりしてゐます。それで、何かあると腹を立てて怒鳴る、といふパターンがシステム化して、それがその人の性格になってゐます。

夫婦の問題として出て来るものは、先づは、
①現実に対処する方略のパターンの洗ひ直しとして役立てることができると思ひます。また、
②さういふパターンを生育期のどの自分が採用したのかといふことまで深掘りすると、
➂自分といふものの深層の構造にも近づけます。

かういふことは、精神分析的な心理カウンセリングで行ふことですが、わたしが、臨床心理士(精神科医のパシリ)の資格を持たない・もぐりの心理カウンセラーとしてこっそりと心理療法をしてゐたとき、そこまでして自分を知りたいと思ふ人にはめったに会ひませんでした。
今の自分ではもう耐へられない、生きてゐられないといふ人にしか、精神分析は必要が無いのです。
精神分析が廃れたのは、そのためですが、精神分析が必要な人は、ほんの少数ですが、存在します。

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