これは、「それってあなたの意見ですよね」といふものです。気にしないでね。


寂しさはある。
寂しさは感情の源泉だと思ひます。

寂しさを否定したり、人間みんなサビシイもんだよ、一人で生まれて一人で死ぬのさと悟りを開くことはできるけど、さうすると確実に、感情の起伏は小さくなります。
感情の起伏の高低の幅の大きさは、生きづらさの量と繋がってる。わたしみたいに、ささいなことで泣く人間は、死ぬことや病気が怖くて怯えながら歳をとり、
死にたくない!コワイ!助けて!って泣きながら死んでいく人間でもある。

だから、寂しさに大騒ぎしなくなれば、まあ、クールになる、仏教の人みたいに怒らない人になる、ってことで楽は楽だけど、楽しくも無いと思ひます。夕焼けに感動して言葉を失ふといふこともなくなり、生きる実感を食べ物やスポーツやセックスや映画映像などから感じる快感に求めることになると思ひます。快感で生きる充実感を持つと、快楽の追求になると思ひます。
別に、それはそれでいいんですけど。

生きてゐるといふことは、感情の揺れだと思ってゐるわたしは、
寂しさの拒否や、寂しさの軽視は、そのまま生きることに対する拒否や軽視につながると思ってゐます。

これは、「それってあなたの意見ですよね」といふものです。
気にしないでね。


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