子供と大人

気難しい人がゐて、まはりは、何かと気を使ふ。
不機嫌な顔を見せると人を操れる、と生育過程で確信するやうな環境で育ったのかもしれない。

愛想笑ひを絶やさない人、なにかと冷笑する人、石のやうに心を動かさない人、さうした大人として完成して(ほとんど全ての人が)死ぬまで変はらない、どんなキャラも、なかで操縦するのは、生き延びるのに必死だった幼い子供のその人だ。

その子供が、他人や世間に向けてこんな顔をしてこんなことを言ってこんなことをすれば、この世界で人から害を受けず、人から受け入れられ、人を操り、なんとか自分の利益と安全を保てると判断したことがらが、その人の性格となってゐる。

子供だけが子供だと思ったら、人間は理解に苦しむ存在でしかない。
人間は死ぬまで子供だ。

年齢を重ねるとは、その年齢ごとのキャラクターを羽織ることだ。裸だった乳幼児は、3歳から重ね着を始めて、気がつくと、大人といふ、何枚着ぐるみを重ねて着てるかも忘れてしまったスーツアクター、スーツアクトレスになってゐる。

老人も青年も、女体といふスーツがけっこうお気に入りの美女も、やはり自分のスーツが嬉しいコワモテのオヤジも、みんな、子供だ。

子供は必死になって大人を演じて、大人だと思って死ぬのだが、ボケた老人だけが、重ねた着ぐるみから少しばかり子供の顔をのぞかせることがある。


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