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夫婦別姓なら

私は今の自分の苗字に強い拒否感を持っている。

今の自分の苗字、それは夫の姓だ。
女性が結婚を考えるとき、苗字に抵抗を持つ人もいるかもしれない。
個人的には、
もし自分が、佐藤、鈴木、渡辺から→早乙女、一条、白鳥とかに、
入籍してなれたなら、結婚に対してもっと前向きに、テンションが上がるかもしれない。
(佐藤さん、鈴木さん、渡辺さんに失礼)
しかし、そのような憧れの苗字には、なんとなく格差や、嫁姑、元カノの嫉妬、等が付きものな気もして私には到底無理な話だが。
(ドラマの見過ぎによる勝手な思い込み)

私の拒否感はその類とは異なる。

理由は3つ。

ひとつめは、夫の実家から嫁と認められていないこと。
夫は長男。私は夫より13歳年上のバツイチ、子持ち、子供以外の身寄りはいない。
よって結婚の挨拶に行ったとき、私の子供が結婚して自立するまで再婚を待てないのかと激昂された。(義母から)
次男が二十歳になるのを待って結婚を決めたが、通用しなかった。
私なんかと大事な長男を結婚させたくないから、
私の子供を引き合いに出した気もした。
ごもっとも。
私も逆の立場なら引く。まさか我が子が、ひとまわり以上も年上の、成人した子供のいる女と…ショックかもしれない。
喪失感は悲しみを生み、悲しみは怒りに転換され、怒りから憎しみも派生する。
私も心の奥底の誰にもわからないところに、今も夫に対しての怒りを隠し持っている。
自分のことは棚に上げて。
その後、食事の席もなければ、今だに客間以外に通されたことはない。
もっと好かれようと近づこうとしても、距離を縮めてくれなかった。

その方たちと同じ姓を名乗るのも申し訳なく、私自身も受け入れられない気持ちだ。

2つめは、子供と違う苗字になったこと。
子供たちはどちらも成人していた為、私だけが旧姓の戸籍を抜けて苗字が変わった。
子供たちと苗字が変わることが、一番つらかったかもしれない。
子供たちとの見えない絆まで引き離されたような寂しさがあった。

3つめは、仕事に影響したこと。
旧姓はシンプルで覚えやすい、呼びやすい苗字だった。
それこそ佐藤、鈴木、渡辺、みたいな。
今の苗字は珍しい方に分類される。
が、私が憧れているようなニュアンスでもない。
名刺を配る業務であった為、コストもかかったし、役所、保険、車検証、カード類、姓名変更に膨大な手間を要した。
自分自身が新しい姓を受け入れていないのに、他人にオペレーションしなければならない。
旧姓の自分が死んでしまったような、体と心が一致していないような違和感を感じた。

もしもこれが、納得できない離婚の場合、旧姓に戻すための手続きだったなら、どんなモチベーションで乗り切ればいいのだろうか。
離婚しました、と仕事関係者に挨拶回りするべきか。
陰で、あの人苗字変わったから離婚したんだね、なんて言われるのだろうか。
どっちにしても、気を遣わせることには違いない。

早くも再婚した自分を責めている。
なんで、再婚なんかしたんだろう。
離婚がちらちら頭の片隅に見え隠れしながら、
しかしまたあの作業に追われる煩わしさも大きい。

このまま結婚生活が続くなら、
相続放棄の手続きをとりたいとも考えているが、夫に切り出せないでいる。
旧家でも、小さい子供がいるでもないのに、大昔の民法にまだ縛られなければならない生きづらさ。
多様性なんて言葉は、あってないようなもんだ。
ぐずぐずと愚痴があふれる。

今、夫婦別姓が認められる社会なら、迷わず旧姓を名乗ることを選び、
最小限のストレスで済んだかもしれない。
戸籍上と社会的とは一致しなくてもいいではないか。
芸能人みたいに。

私の勝手なわがままだろうか…
社会はいつになったら変わるのだろうか…

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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