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そんなことを思う、自分ごと抱きしめる

※暗めです※






旅行のお土産を母に渡しに実家に向かった。

私は母と、つい最近まで6年ほど連絡を絶っていた。
LINEはブロックしたし、着信拒否をした。当時の私がそうまでせざるを得なかった出来事が過去にあった。

去年、ひょんなタイミングで
「私は今、母と連絡をとっておいた方が自分を好きになれる」と思い立ち、母との音信断絶状態を自ら解除した。直前で食欲不振になる程の不安と恐怖が襲ったが、それでも私を突き動かしたのは、長い時間をかけて自分と向き合った結果だと思っている。

自分をまっすぐにいさせないようなルールやこだわり錆びた釘を一本一本抜いていった先に、最後まで残っていた釘が目につくようになった。
そこから「そうか、これを抜けばよいのか。」と気づくまで、そんなに時間は掛からなかった。

以降、数ヶ月に一回の頻度でたまに顔を合わせている。
正直なところ、まだ私は母を完全に許していない。そのため、母と私の会話はまだぎこちない。

いつか、母を許せる自分の方が好きになる日は来るのだろうか。
まだ、今は自分を酷い目に合わせた母を許せる自分になれない。
なりたいのか、なりたくないのかは今はわからないけど、きっと余裕がもう少し持てるようになったら許す、という選択肢を選びそうな気もする。

今はそれを認めたくない。
私を一番に、丁寧に扱いたい。そんな自分ごと今はただ抱きしめ、癒す。

そんな私からは、母は「助けを求める人」「幸せを委ねる人」「足を引っ張る人」として映るし、母はそのような言動をする。


母は、私の話にはあまり興味を示さない。
私の仕事の話、旅の話、出会った人が親切だったこと、楽しかったことをを伝えるが「そう。」とつまらなそうに相槌をうち、次の瞬間には自分の体調が悪いこと、病院に行ったことを話す。
これは昔と変わらない。
昔の私は、ただ母の話を聞き、心地よい相槌を打ち、機嫌をとる役割しか知らず、長い間母と共依存になっていた。

そのうち、私は昔のように自分のことについて話すのをやめ、話を聞いてもらうのを諦め、母の話にただただ相槌を打ち、言葉を返すだけになった。

母は冷蔵庫からケーキを出し、コーヒーを振る舞い、今からどこか出かけようかと提案をする。予定があるため、断る。本当はないのだが。

母は、私の話に、私のことに興味がないのに、何故、私と居たがるのだろう。
母は私になんて言って欲しいんだろうか。

その答えは、昔と違い今の私はすぐに出すことができた。そして、その言葉を言ったとて、母の幸せにはならず、母がそのことに気づかなければいけないことも、今の私は知っている。

そのうち話題がなくなると、母はため息をつく。
このため息は、母の口からこれからの人生、自分にとっては何も希望がないことを、人生を諦めているということを延々と伝えられるサインだった。


母は本当に人生を諦めているわけではない。
そういった発言をすることで私との縁を繋ごうとしている。
可哀想な役に居座ることで、助けられることを望んでいるのだろう。
逆にしたたかだ。

次に母の口が開く前に、私は用があるから、と家を出た。
私なりの「その話をするなら私は一緒にいたくないということに気づいてね。」という訴えとして。


母は、自分と私の関係性において、自分がどういう立ち位置として、役割として身を置くべきか迷っているような気がする。
迷った挙句、過去の履歴をたどり「母役」「可哀想な役」を採用し、手探りで今の私と接してるのだろう。

そう思うのは、私も、今の母をどう見ようか、迷っているからだ。
どんな立場で接したら良いのか。娘なのか、世話役なのか。彼氏替わりなのか。

「私のせいかもしれない」「早く決めないと」「私が望んだから母が変に出てきてしまっている」「あとで後悔するかもしれない」

母と会った後、私はたくさんのhave toに囲まれて一瞬だけ一気に気分が落ちる。
悔しいけど、曲がりなりにも親子で、近い存在だからなのかもしれない。

そう思う自分ごと抱きしめる。

母をどう見るのか、どういう立場でいるのか
それを決めるのにも、まず自分がまっすぐでいたいからだ。
自分ごと抱きしめて、また与える側に立ち直ると、have toが霧のように消え、視界がクリアになる。


昔、彼と喧嘩した時に言われたセリフがある

「俺になんて言って欲しいの?」

過去の彼も、私が今の母のように映っていたのかもしれない。
「助けて」「私を幸せにして」「私は可哀想」「なんとかして」「私を優先して」こんな非言語を、過去の私は発していて、彼にも伝わっていたのだと思う。


彼との復縁を望んでいた時、占いジプシーになるまで知りたかった「彼の気持ち」が今は手に取るようにわかる。
「求める側」から「与える側」に立てて視点が変わったからだ。

母もいつか、今の私の気持ちが手に取るようにわかる日が来ると良い。
そんなことを考えながら、帰路に就いた。






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