人生の転機、乗り越えてみた。(社会人編)【新卒の就職活動から現在まで】
※この記事は、過去に「人生の転機」について書いたいくつかのものを、時系列につなげて再掲載しています。note創作大賞に応募するためです。
私は人生の転機に直面した時に、意識している事があります。
それは、「その転機をポジティブに捉える」という事です。
本記事は17,000字ほどあります。長いですが、よろしければぜひご覧ください。
1章-【自己紹介】キャリアコンサルタントの資格を活かして、新たな一歩を踏み出したい専業主婦
記事をご覧いただき、ありがとうございます。はじめに、自己紹介をしたいと思います。
現在は転勤族妻の、専業主婦です。転勤の生活を始めてから7年くらい仕事をしていません。会社員の夫と、4歳の幼稚園に通う息子と、大阪府で暮らしています。
私の中で「将来はキャリアに関わる仕事がしたい」という思いが出てきたので、昨年は国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得しました。
「今年は自分で仕事をつくりだして働きたい!」と思うようになったので、フリーランスで新たな一歩を踏み出せたらいいなと思います。
仕事についての計画はまだ白紙です。でも、ここからどんな未来が待っているか楽しみです。これからは過去の振り返りから得た気付きや、仕事について構想する過程をnoteに投稿していきたいです。
私の経歴です。「振り幅がすごいね」と言われることがあります😁
大学卒業後、新卒で百貨店販売職(6年間)
AFT色彩検定協会の認定講師の資格を取得
百貨店を退職
教員免許を取得するため、通信制大学の、教員免許取得課程で学ぶ。
教員免許取得までの約2年間、大学の臨時職員として働く。
小学校教諭一種免許状を取得。
教員採用試験を経て、小学校教員となる(2年間)
夫と結婚し、専業主婦へ。転勤しながら暮らすようになる。(約7年)
専業主婦の間に、キャリアについて学びたいと思うようになる。
通信制大学院の教育学研究科、修士課程に進学し、キャリアについての修士論文を書き、修了。
大学院修了に伴い、小学校教諭専修免許状を取得。
キャリアコンサルタントの資格を取得。
自分のキャリアを振り返ると、当初は「職場では周りに迷惑をかけていたし、実績も何もない」と思っていました。
しかし、視点を変えて自分の軸から見ると「キャリアを戦略的に選択してきて、今の自分がいるのかな」と肯定的に見ることができるようになりました。
今後は「キャリアを戦略的に選択する」という事をテーマに、何かこんな私でも誰かの役に立てたら嬉しいなと思います。
今後ともよろしくお願いします🎵
2章-21~22歳:就活は恋愛だ(あくまでも持論)【新卒の就活で意識したこと】
私は新卒の就職活動の時に、「就活は恋愛だ」というキーワードを意識して臨みました。すると、就職活動が思いのほか楽しいものになりました。
この「就活は恋愛だ」は、あくまでも持論です。私はキャリアコンサルタントの資格を取得していますが、キャリアコンサルタントの知見でこの持論を持っているわけではありません☺
私が就職活動をした時に、意識した事として書きます。また、私が就職活動をしたのは約20年前で、その頃と今では状況が違うかもしれません。
なので、「こんな考えもあるんだなあ」と笑って読んでいただけると幸いです✨
〇 大学2回生の終わり。就職活動の準備を始める時のこと
約20年前、私は大学2回生の終わりの頃でした。
そろそろ就職活動の準備をしようと思いました。
就職活動のイメージは、「企業に採用してもらう」というものでした。
周りの大学の先輩方も就活に苦労していて、表情が暗い・・。
就職活動を始めるにあたり、何だか暗い緊張感がありました。
そんな時に1度、就職活動の勉強会に行きました。
どこの、どんな講師の方の勉強会だったか忘れたのですが、興味深い内容を教えてもらいました。
「就職活動は、企業に選んでもらうという上下の関係よりも、企業と就活生の、横の関係。」
私はその時、「なるほど!」と思いました。
「企業と就活生の、横の関係・・。」
その講師の先生が続けて「就活=恋愛」言ったのかどうかは忘れましたが、私の学んだ印象の中で、
「企業と就活生の横の関係ということは、就活は恋愛に似ている!」と思いました。
「よし、就活は恋愛だと思って臨もう」と思いました。
就職活動が始まるのが、少し楽しみになってきました。
〇 エントリーシートは、ラブレター!?
エントリーシートは、ラブレター!?とまでは言いませんが、「この会社のためにエントリーシートを書くんだ」という、オンリーワンの履歴書を書くように心がけました。
まず、会社の理念を調べる。そして、自分の特技を自覚する。その掛け合わせとして、会社と自分の共通点を書くようにしました。
また、エントリーシートでは、読んでいて自分の人となりが一貫して分かるようにしました。一本の木の幹のように、自分の信念は、筋が通るように書きました。
もしもエントリーシートから進めなかったら、「ラブレターでご縁が無かったのね」と割り切ることにしました。
もし、「それでも・・、選んでほしかったなあ・・。」と自分が引きずっていても、もったいないと思いました。
初めからご縁が無かったということは、万が一後々選考が進んでも、うまいことにならないだろうと思いました。
〇 就活の説明会や選考 「こっちも選びに行く」視点
就活生として何社かの説明会に行ったとしても、フィーリングで「この会社は合わないかもしれない・・」と思うことはありました。そういった自分の気持ちも、素直に受け止めました。
そこから先の選考に進めたら、やはり選考に進めるのは嬉しいので、面接に呼んでいただける機会があれば、喜んで行きました。
しかしお断りされても、「そうよね。そもそも、私もフィーリングが合わないと思っていたんだ。」と割り切るようにしました。
〇 面接に臨む姿勢
「会社に選んでもらうんだ」と、肩をすくめるのではなく、「お互いに、選び選ばれる。自分の魅力をアピールするのだ」と背筋を伸ばしました。
就職活動を楽しんでいると、キラッと光るものがあります。
その光を見つけてくれた会社と、相思相愛になる。
そのことを意識しました。
〇 おわりに
会社という組織・アイデンティティと、個である自分の信頼関係とでつながることが、就活だと思います。どちらかというと横のつながりです。
私は新卒で百貨店に就職しましたが、その経緯は思いのほか楽しいものになりました✨
3章-29歳で百貨店を退職した私が、小学校教員を目指そうと決めた日のこと。その日から次のキャリアが大きく動き出した。
知り合いから時々「なぜ教員に転職したの?」「元々教員免許を持っていたの?」「元々は教員を目指していたの?」と聞かれることがあります。
私は大学の新卒採用の時は元々、教員を目指していませんでした。大学時代も教員免許は取得していません。大学の学部も教育関係ではなく政策科学部(せいさくかがくぶ)という学部を卒業しました。
ではなぜ百貨店を退職した後で教員を目指したのか?を思い出すことにしました。それはある日「教員を目指そう」と決めたターニングポイントの日がありました。その日から次のキャリアが動き出した気がします。
〇百貨店を退職した時のこと
6年間務めた百貨店を退職したのは突然の出来事でした。次の進路を決めてから退職したわけではありません。退職理由は自己都合としていますが、
自分自身の事情というよりも、会社や社会の急な大きな変化を感じて退職しようと決めました。
働くうちに販売職が自分に向いていないとも思い始めていました。なので異業種に転職しようと思いました。「これからどうしよう・・・」というのが正直な感想でした。
私は百貨店で勤務していた時に、色彩講師という資格を取得していました。なので百貨店を退職した時に、色彩講師でフリーランスになる道についても少し調べてみました。でもフリーランスになる勇気が当時の私には無く、その時は断念しました。
「ではこれからどうしよう・・・」転職先についてのイメージが全くわかないまま、数か月間ハローワークに通って求人票を調べました。
でもこれからどうしようかが未定なので、求人票を見ても身が入りませんでした。
〇教員を目指そうと決めた、ターニングポイントの日
そんなある日、高校時代からの友人の結婚式に出席しました。私を含め29歳前後の世代の方々が多く出席していました。各テーブルから、仕事の話もちらほら聞こえてきました。
「同じ世代、仕事を頑張っているんだな。なのに私は将来について白紙だ・・・」
友人の結婚式の列席者に高校の同級生がいました。その同級生と偶然、仕事の話になりました。その同級生の経歴が興味深かったのです。
「会社を退職後、福祉関係の予備校に通ったよ。そして福祉関係の専門職の資格を取得したよ。そこから公務員試験を受けて、公務員になったよ。」
社会人になっても色々な道があるのだなと興味深かったです。
でもその時はその話と自分のキャリアを結び付けて考えることはしていませんでした。
友人の結婚式から帰宅して、改めて自分の将来について考えようと思いました。
私は普段からノートとペンで気付きを書き記して考えをまとめていたので、机の上のノートに向かいました。
しかし将来について何もアイデアが浮かびませんでした。その時の自分には、何も思い浮かばなかったのです。「将来のヒントになるカードが何もない・・・」夜も遅くなってきたので、その日はノートにアイデアが浮かばないまま寝ることにしました。
今振り返れば、キャリアコンサルティングなどで相談する方法もあったのかもしれないと思うのですが、約10年前の私には人に相談するという発想がありませんでした。
「寝た後の夢の中でいいから、何かこれからのヒントは浮かばないかな?」寝た後の夢に期待する位、何も浮かばなかったのです。将来について白紙・・・と思うと涙が少し出てきました。そして涙が出たまま寝ました。
すると夢の中で今までの出来事がつながっていくような、思考が整理されてクリアになっていくような不思議な感覚がしました。(私の夢さん、いい仕事してくれました。ありがとう☺)
・今までは色彩講師を目指していた。「教える」をキーワードにすると、教師を目指すのも良いのではないか。
・私の両親は小学校教員だ。教員という環境が身近にある。
・私の父は数十年前、社会人になった後で通信制の大学で教員免許を取得した。私も同じ通信制の大学で、教員免許を取得したらどうか。
・そういえば高校の同級生が、社会人→専門職の資格取得→公務員に転職
と言っていた。私で考えると、社会人→教員免許→教員(公務員)に転職もありえる。
前日は「将来のことを考えるヒントが無い」とあれだけ悩んでいたのに、次の日の朝には考えがしっかりとクリアになっていました。
「よしこれから教員免許を取得して、教員になろう!」
そう決めると色々な目標が立てやすくなりました。ワクワクやる気もわいてきました。
教員免許を取得する間に最短で2年かかります。その間に臨時で働かせてもらう職場を探そうと思いました。
そこから約2年間のうちに起こることを書き出してみました。
・臨時職員として働きつつ、通信制大学で教員免許取得の勉強をして取得する。
・教育実習や介護等体験で学ばせてもらう
・教員採用試験に合格する。
とても充実した2年間になりそうでした。色々なことを経験できて忙しそうだけど、2年間でできるかもしれない。そう思いました。
私は「できそうだな」とふと思ったことは、ノートにメモするようにしています。なので、その日のノートにはこのように書きました。
「約2年後ストレートで教員免許を取得し、教員採用試験も合格する。そして教師として就職している。こう書いている自分に驚くぞ(笑)」
そして約2年後、上記で書いたことが全て実現し、教師として就職しました。
ターニングポイントになった1日。そこから次のキャリアが大きく動きだしたと実感しています。
4章-29歳:【臨時の転職活動記】無職→教員免許取得・採用試験合格の間、お世話になった職場
私は29歳の頃、新卒から働いた職場を突然辞めることになりました。その後、小学校教諭の教員免許を取得&採用試験を受けようと決心しました。
教員免許を取得するには、最短で2年かかります。
その間に、臨時で仕事をすることにしました。
「さあ、どんな職場で働こう?」
ここで巡り合った職場では、本当に、本当にお世話になりました。
この臨時の職場で採用してもらう時から、働いている間、大切にしていた事があります。
それは、「正直に、誠実に、信頼関係を築く」という事です。
その経緯を振り返りたいと思います。
〇 社会人になってから、教員免許を取得する方法
私は元々、大学の頃に教員免許を取得していませんでした。社会人になってから教員免許を取得するには、通信制大学の教員免許取得課程で学んで取得する方法もあります。
通信制の大学であれば、大学に通う日数は僅かで、ほぼ自宅での学習になるので、日中は職場で仕事をすることができます。
その課程で教員免許を取得するには、最短で2年かかります。
その2年間の間に、教育に関する授業の単位を取得し、教育実習に1か月行き、介護等体験に7日間行き、教員採用試験(公務員試験)も受ける事になります。
〇 どの雇用形態に転職するか
私は、教員免許を取得する間、「臨時」の雇用形態で募集している仕事に応募しようと決めました。
ストレートで全てが順調にいけば、教員採用試験に合格することになるので、2年後には教員に転職しています。
もし教員採用試験が不合格だったとしても、2年後には教員免許は取得予定です。なので、教員免許を取得した後は、臨時の教員に転職することも可能です。
なので、今は「臨時」で働くことがベストだと思いました。
〇 ハローワークで、求人票を探す
前職を辞めてから数か月間、インターネットでハローワークなどの求人票を見ていました。でも、その時は「次にどんな仕事をするか」が決まっていなかったので、求人票を見てもピンとくるものがありませんでした。
しかし、一度目標が決まると、入ってくる情報も、ちょうどいいタイミングでやってきてくれるものだと思いました。
「よし、将来は教員になる。今は臨時で働ける場所を探そう。」
そう決めて、インターネットでハローワークの求人票を見てみました。
すると、『新着』の文字。
『大学の臨時事務職員の募集』
なにか、ビビビッときて、自分の夢に向かって行けそうな運命を感じました。
ハローワークに求人票をもらいに行き、応募することにしました。
〇 エントリーシートは、正直に誠実に書いた
この転職は、教員になるという夢に向かう過程にある仕事です。
エントリーシートには、今の自分の状況を、正直に誠実に書こうと思いました。
「教員免許を取得するため、通信制の学校で2年間勉強する予定」
「教育実習・介護等体験に行く予定がある」
「2年後、教員採用試験に合格したら、教員に転職する」
私にとっても、職場の方にとっても、お互いにキャリアの状況が分かったほうが仕事がしやすいだろうと思いました。
エントリーシートに正直に書いて、もし面接に進めなかったら、それも運命だろうと思いました。
〇 職場の面接に行く
応募した職場の、面接に行けることになりました。
とても嬉しかったです。
面接で意識したことは、
「正直に、誠実に、信頼関係を築く」
という事です。
私は「臨時で仕事をしたい」と希望していました。
職場も、常設の部署ではなく、臨時の部署を立ち上げていたので、臨時の職員を求人したそうです。
なので、お互いに「臨時で働く」ことについて合致しており、話が進みやすかったです。
〇 懸念事項は聞いておく
私は、この職場に採用してもらうにあたり、懸念事項が2つあったので、採用の段階で聞きました。
①新卒から6年間販売職。事務職は初めてだが大丈夫か。
②教育実習で、約1か月間仕事を休まなければならない。
①事務職は初めてだが大丈夫か
仕事の内容は、「事務補助」で、補助的なものなので、事務職が初めてでも大丈夫と回答をいただきました。
実際に、行っていた業務は、資料のコピーや出席簿の管理、メール、ワードで手紙を作るなど、補助的なものだったので、事務職が初めてでも大丈夫でした。
②教育実習に行くので1か月休まなければならない
これは、働きながら教員免許を取得する方にとって、大きな懸念事項だと思います。
職場で、1か月休みをもらえるのか・・
職場によっては、1か月も休むのは無理、という状況の所もあるかもしれません。
採用の時点で今の自分の状況を全てお話しし、信頼関係を築いておきたいと思ってので、「教育実習の1か月間は、休むことになる」と相談しました。
この旨を相談するのは、本当に緊張しました。
職場によっては、「1か月も休むの!?」となるかもしれませんし、教育実習の前まで働いて、一旦仕事を辞めることもありうるかもしれない、と覚悟しました。
面接で職場の方からは、「教育実習の時期は、職場で大きな行事も無いですし、休んでもも大丈夫でしょう。」
とお答えいただきました。本当にありがたかったです。
※働きながら、教育実習の1か月の休みはどうするか・・。は、大きな懸念事項ですね。私の場合、ありがたい方向で了承していただきました。これは運もあるかもしれませんし、了承していただけるかどうか何とも言えませんが・・。
これから社会人以降に教員免許を取得する方が、職場で1か月の休みが順調にとれるよう、願っています☺
〇 自分のキャリアの状況を、正直に話して良かった
はじめの段階で「教員を目指している」と伝えた後に採用していただいたので、本当に心おきなく仕事をすることができました。
「もうすぐ採用試験ですね✨」など、暖かい応援の言葉もかけていただけました。
プライベートでも、心おきなく教員免許・教員採用試験に関する勉強を進めました。
予定通り、この2年の間に順調に教員免許を取得し、採用試験に合格し、教員として転職しました。
職場の方々に合格をご報告すると、とても喜んでいただけました。
〇 おわりに
臨時の転職先では、「正直に、誠実に、信頼関係を築く」を心がけました。
自分が正直に物事に取り組むことで、周りの皆様も応援してくださっているのを肌で感じました。
本当にお世話になりました!
5章-32歳:「運転が苦手。10年寝かせた運転免許」を克服するためにやった事
私は運転免許を取得してから約10年間、ペーパードライバーでした。
運転する事に対して「得体の知れない自信のなさ」もあって、運転から遠ざかっていました。
しかし、自動車通勤必須の職場に転職した時に、ペーパードライバーを克服する必要が出てきました。
「さあどうしよう!?」
色々と対策を考え、何とか自動車通勤をしたり車で買い物をしたりと、日常生活で運転ができるようになりました。
その時にどのようにして克服したか、振り返ることにしました。
〇 免許取得直後から10年間、ほぼ運転歴なし
運転免許は、大学生の時に取りました。免許取得以来、運転していませんでした。
大学生の時に住んでいたのは京都市内です。おそらく自動車通学は禁止されており、移動は自転車で事足りるので、私を含め周りの友達は車を持っていなかったと思います。
社会人になって実家暮らしを始めました。働いた職場は電車などで通勤できる所だったので、運転をする必要がありませんでした。
そうこうしているうちに、ペーパードライバー歴10年になりました。
その間、少しだけ運転した時があります。それは、教習所のペーパードライバー講習です。
しかし、私の中で「運転に対する、得体の知れない自信の無さ」があり、講習に通ったしても苦手意識は消えませんでした。
転職をし、自動車通勤必須の職場に勤務することになりました。
「いよいよ、ペーパードライバーを克服しなくては。でもどうすれば・・」
〇 ペーパードライバーを克服するためにやった事
ペーパードライバーになってから約10年間、「運転=苦手。できない。」と反射的に思っていました。
「はて、、私は運転する場面の全てにおいて苦手意識を持っているのだろうか?」
運転する上で、何に自信が無いのかをノートに書き留めてみました。
すると、その大きな理由は
「実家の駐車場に停める自信がない。家の前の道路が狭く、対向車が来たら離合できるか不安。」でした。
「これは、今の実家の駐車場の場合、偶然そうなっているだけじゃん。」
と気付きました。
転職してから、実家を離れて一人暮らしをする事になりました。
グーグルマップで一人暮らしをするマンションの駐車場や、近隣の道路を調べてみると、わりと広いことが分かりました。
転職した職場のルートや駐車場を調べると、広いことがわかりました。
「まずは停めやすい・運転しやすい道路環境で、慣れていけばいい」と思うと、気が楽になりました。
〇 その他、不安がある事は書き留めてみる
他にも運転に対する不安がいくつかあったので列挙し、対策を考えることにしました。
不安1:信号が何もない所での、右折が苦手
対策:グーグルマップで調べ、なるべく左折ばかりで辿り着けるルートをさがす。または、右折の矢印信号がある所で曲がる。
不安2:スーパーの駐車場に停めることができるか不安
対策:駐車場が広く、空いているスーパーをさがす。売り場まで少々遠くても、人気がなくてがらんとしている駐車場に停めたりする。
不安3:初めての場所に、車で行けるか不安
対策:グーグルマップで、事前にルートを調べる。どこで車線変更しておくかも調べておく。
不安4:ガソリンスタンドやコンビニの近くは交通量が多い?行ける自信がない。
対策:たしかに、上記のお店は交通量が多い場所によく在る。交通量の少ない場所のガソリンスタンドやコンビニを事前に見つけて、行く。
こうやって苦手に感じている所を少しでも改善できる策を見つけて、少しずつ慣らしていきました。
そして、自動車通勤をしたり、車で買い物に行ったりができるようになりました。
苦手を克服するために対策して気付いたことは、
「最短ルートじゃなくてもいい。自分のできる範囲で、遠回りでもいい。安全に目的地に行ければいい。」と思いました。
現在の運転事情はというと・・大阪に住んで2年。駐車場代がけっこうかかりますし、買い物をするには電動自転車で事足りるので、私の所有していた車は売りました。
(夫所有の車はありますが、運転する時は夫に任せています。)
再びペーパードライバーとなり、2年経ちます☺
また、運転する機会がある時は、自分のできる範囲で、徐々に慣らしていきたいと思います。
6章-33歳:結婚1年目は遠距離だった。私:地方公務員(教員)、夫:東京で会社員。そして専業主婦になると決めた時のこと。
私は、百貨店から教員(地方公務員)に転職して2年目に夫と結婚しました。そこから1年間、夫とは遠距離で暮らしました。なぜなら、せっかく新しい職場に転職できたので、辞めたくないという思いがありました。
東京と地方で約800キロ離れていました。新幹線で移動です。その後、夫の転勤に帯同して専業主婦になることを決めました。
専業主婦になると決めた時のことを思い出してみることにしました。
〇結婚1年目
教員に転職して1年が経った頃、夫と結婚しました。
その時、私は百貨店販売職から教員に転職していました。
・念願だった「教える」という業種に転職できたこと
・異業種から公務員に転職できたこと
・雇用が安定しており、自分から辞めなければおそらく定年まで続けられること
などがあり、転職できたことについて自分の中では嬉しい気持ちでいっぱいでした。
気の合う夫と知り合うことができ、そちらも嬉しい気持ちでいっぱいでした。
夫の勤める会社は約5年ごとくらいに全国転勤があります。一緒に住むということは、私が今就いている仕事を辞めることになります。やっとの思いで就職できた仕事を手放すことが、もったいないと感じました。
夫や双方の実家には、「とりあえず今の仕事を辞る予定は無いので、私は地元で働きます。夫は東京で働き、遠距離です。連休などに会います。今後一緒に暮らすかは未定です。」と伝えて結婚しました。
結婚してから1年間、夫と会ったのは数えるほどの日数でした。気の合う夫と一緒に過ごせて本当に楽しい。でも仕事は辞めたくない・・。そのジレンマに暫く悩みました。
結婚した年の冬の連休に、夫と会いました。夫を新幹線の駅まで見送ったあと、私は一人部屋に戻りました。静かな部屋の中で、今後のことについてあれこれ考えはじめました。
そろそろ、次年度の進退について職場には伝えたほうが良いような時期でした。
ふと、「私は何を守っているのだろう・・」
と思いました。今私が守っているのは、一生続けられる仕事に出会えたという雇用の安定性もありますが、「異業種で念願だった仕事に転職できた」という自己肯定感を守っていました。
教員の仕事では、様々なことを学びました。一生をかけて自己研鑽をしていくような、奥深い世界です。理想と現実・・。周りの方々の期待に応えることができず、申し訳ない気持ちもありました。
私はその頃30歳代前半でした。一生の中で、夫と暮らさない時間をこのまま続けるのだろうか・・いや、一緒に暮らす時間を持ちたい。
何で世の中に転勤制度があって、女性がついていくのが前提なのかな?と悔しい思いもしました。今まで積み上げてきた努力ががらっと無くなってしまうような感じもしました。男女同じように努力をしても、なぜ「転勤」でキャリアが途絶えるのは女性なのか・・。
(日本の転勤制度に思う所はあっても、改善するのは壮大な話なので、心だけに留めておきます☺)
色々なことをゆっくり考えたくなりました。「人生の中の大切な時間。夫と一緒に転勤先で暮らす。専業主婦もアリかな。」と思い始めました。
専業主婦についての本について調べてみました。すると、その時の私にタイムリーな本を見つけました。
専業主婦を「キャリア」と捉えているのが斬新だと感じました。
薄井シンシアさんの本に背中を押されました。
「よし。専業主婦になるので仕事を辞めると伝えよう。」
そう決めて、次のステップを歩むことにしました。
人生には、様々な決断をする転機がやってくると思います。
その時、その時の決断が100%ベストだったのかは分かりません。
でも、その時なりに最大限の決断をして進んできました。
専業主婦になった後で、「キャリア」について学びたいという新たな目標ができました。こういった新たな学びとの出会いがあったので、仕事の進退について悩んだ経緯も大切な経験だったと思っています。
7章-34歳:通信制大学院で、修士論文のテーマを決めた時のこと。先生のアドバイスで見えてきたもの。
私は専業主婦をスタートさせた7年前に、「何か今だからこそできる学びをしよう」と思い、通信制の大学院の教育学部研究科、修士課程で学びました。修士課程の2年間で所定の単位を取得し、論文を書き、無事修了しました。
一番最初に修士論文のテーマを考えたのですが、当初自分が考えたテーマがしっくり来ず、モヤモヤしていました。
担当の先生と初めて面談し、頂いたアドバイスをもとに修士論文のテーマを再考したところ、やっと研究したいテーマが見つかり、その後の修士課程の2年間は充実して楽しいものになりました。その過程について振り返りたいと思います。
〇大学院に入学願書を送った時のこと【研究テーマを決める】
私は元々、出身大学は教育学系の学部ではありませんでした。政策科学部です。
29歳で教員免許を取得した際に、とある大学の通信教育課程:小学校教諭1種免許状課程で学びました。この課程の授業が興味深く、楽しく勉強できました。
この大学が大学院の修士課程も通信教育で行っていると知り、いつか機会があったら学んでみたいと思っていました。
34歳で専業主婦になった時に、「今だからこそできる学びがしたい」と思い、通信制の大学院のことを思い出しました。
通信制大学院に進学した大きなメリットとしては、遠方でも学べることです。私は転勤族で、いつ引っ越しがあるかも分かりません。通信制ならば、大学院と住んでいる所の距離が遠方でも、無理なく学習することができました。
この時、私は将来、キャリア教育を大学等で教えてみたいと思うようになりました。なのでこの通信制大学院の、教育学研究科に進み、キャリア教育の授業計画についての修士論文を書こうと思いました。
この大学院に入学するには、入学願書と研究計画書を提出し、入試がありました。
「キャリア教育の授業計画について、修士論文を書きたい」という旨で研究計画書を出して、入試を受け、無事入学できました。
しかし、自分の中で言語化できないモヤモヤがありました。
「私が研究したい事は、キャリア教育の授業なのだろうか!?」
「そうだ。教育学研究科に入学するのだから、やっぱりキャリア教育だよね。『教育』と名のつくものを研究しないとね。でも・・。モヤモヤ・・」
〇入学後、担当先生との面談に行く
私の入学した大学院では、入学後に担当の先生が決まります。
入学後、担当の先生の所に面談をしに行きました。そして、研究テーマについて相談をしました。
先生が、こうアドバイスしてくださいました。
「にぐまっちさんの(この時は本名で)、本当に研究したいことをテーマにして良いですよ。」
その時、私はこう思いました。
「そうだった。私はこの研究テーマに、何かモヤモヤしていた。このモヤモヤは何だろう・・。」
モヤモヤの正体を深掘りしていくと、ある事に気がつきました。
「そうだ。私は、教育学部だから『教育』をテーマにしないといけないと思っていた。だから『キャリア教育の授業計画』を研究したいと言っていた。」
「私が本当に研究したいことは、『個々の人の、キャリアそのもの』だ。」
私が本当に研究したいことは、人は人生の転機で何を考えてどう行動するのか。という事でした。
なぜこのテーマが気になったのかというと、自分自身が、人生の転機の壁にぶち当たっているからです。発端は自分自身の経験からの問題提起ですが、この研究をする事によって、同じように悩んでいる方々へのヒントになるのではないかと思ったのです。
私の研究テーマは、人は人生の転機で何を考えてどう行動するか。この内容について、数名の方にインタビューをしてまとめていく、という方向性にしました。
先生は、このテーマで快く協力し、指導してくださいました。その後の修士課程の2年間は、本当に学びが多く楽しい時間でした。何よりも、自分自身が研究したいことに照準を合わせることができて、実り多い時間でした。
先生が、面談のいちばんはじめに
「本当に研究したいことをテーマにしていいですよ」
と、言ってくださったことに感謝しています。
もちろん、本当にその学部や指導してくださる先生の範疇なのか、ということも吟味した上で研究テーマが決まると思います。
私の場合は、「本当に研究したい事」を改めて先生にお伝えし、その方向で舵を切ることができました。
修士論文で研究したテーマは、キャリアコンサルタントを取得した時の学びにも役立っています。キャリアコンサルタントの理論でも「人生の転機」という視点でのテーマを扱っているものがあります。
一つ一つの学びは無駄ではない。どこかで繋がっている。そう思います☺
8章-39歳:百貨店社員→小学校教員→専業主婦の私が、キャリアコンサルタントの資格取得を目指した経緯。経歴を広い視点で見ると、やりたい事が見えてきた。
社会人になってから教員免許を取得した私は、時々ですが知り合いから「教員になった過去があるのだから、将来も教員に復職するの?」と聞かれることがあります。
そんな私が、「教員免許を活かして将来は教員に復職するぞ」ではなく、「キャリアコンサルタントの資格を取って、将来はキャリアの仕事をしたいぞ」と思うようになった経緯を振り返りたいと思います。
〇約7年前、転勤妻として専業主婦になった時のこと。
新卒で百貨店社員→教員免許→教員と、様々な環境に身を置かせてもらった私は、専業主婦になった時にゆっくりとした時間を過ごしたいと思うようになりました。
数年ごとに転勤するかもしれない。だからその都度就職活動をするとなると、現実的に大変なのかな!?だったらいっそのこと働くことをいったんやめて、専業主婦に専念したいと思いました。
専業主婦になって今までとどのようなことが違うのか、どのようなことができるのかを考えてみました。
専業主婦になって今までと状況が違うこと・・・自分で働いて収入を得ることが無くなる。でも自由に使える時間は増える。
ではどのようなことができるのか・・・ゆっくり将来に向けて、資格取得などの勉強がしやすい環境にある。
まとめると、自分の収入を得ることは無くなりますが、将来のことを考えたり資格取得に向けて勉強する時間は作りやすくなります。
自分の収入は無いけれど、資格取得に向けて学費はどうするか・・今までの社会人生活で頂いてきた収入から、少しですが何か将来の資格取得に使えたらいいなと貯めていたお金がありました。それを活用しようと思いました。
では将来のために、今の私は何を学びたいのだろう・・
将来のことをあれこれと考えている途中で、私の頭の中である言葉が出てきました。
「教員として働いていたんでしょ。将来も教員免許を活用しなきゃもったいない。」
「会社員時代は、色彩講師の資格を取得したんでしょ。活用しなきゃもったいない。」
昔のテレビCMでやっていた「もったいないお化け」のようなお化けさんが私のイメージの中で出てきました。
ちなみに、「もったいないお化け」は約40年前のテレビCMです。このCMをリアルタイムで見ていた世代です☺
たしかに、もったいないという気持ちもあります。でも今はもったいないか否かはいったん横に置いておいて、真っ白な状態から将来やりたい事を考えてみようと思いました。
私の頭の中の「もったいないお化けさん」には、私の横にそっと座ってもらいました。
将来は今までに取得した資格をダイレクトに活かす仕事に就かないかもしれない。だけど学びの過程で得たことは、私の思考や生き方のヒントになってくれているのかもしれないと思いました。
自分の経歴を広い視点から眺めてみました。
すると「キャリア」というキーワードが思い浮かびました。
私のキャリアは紆余曲折があった。その時々で悩みながらも楽しくキャリア選択ができた。もし誰かのお役に立てるとしてら、キャリアで悩んでいる方のサポートができるかもしれない。
だから今後はキャリアについて学ぶ時間にしようと思いました。
そして、まずは通信制の大学院に進学してキャリアについて学びました。
そして2022年の夏ごろに、国家資格キャリアコンサルタントという資格があることを知り興味を持ちました。
キャリアコンサルティングを行う専門家として相談に応じだり助言及び指導ができるよう、様々な視点から学ぶことができます。
「ビビビッ」ときました。(はい、松田聖子さんのフレーズから拝借しました🎵)
当時スクールのキャリアコンサルタント養成講座では、第23回試験に向けての受講生を募集しており、その講座を受講して第23回試験で合格することができました。
9章-39歳:人生初。キャリアコンサルタントに相談してみた【キャリアコンサルタントの資格の勉強をするか、2ヶ月間迷った話】
私はキャリアコンサルタントの資格の勉強をするかどうか、2か月間ほど悩んだ過去があります。その過程の中で、人生初「キャリアコンサルタントに相談をする」という経験をしました。
そしてキャリアコンサルタントを目指そうという意思がはっきりしたので、勉強にとりかかりました。その経緯を振り返ってみたいと思います。
〇2022年 8月中旬
キャリアコンサルタント養成講座のパンフレットを資料請求する
「キャリアコンサルタント」という資格の存在を知り、ビビビッときた私は、キャリアコンサルタント養成講座のパンフレットをスクールに資料請求することにしました。
しかし、いざスクールの申し込みフォームから資料請求するとなると、何だか緊張したことを憶えています。
今思えば、このスクールで学べて良かった!と良いことづくめでした。今の私なら「資料請求してよかったよ♪」と思うのですが、当時の私は資料請求することによって、生活スタイルが勉強モードにがらっと変わるような気がして「本当にやっていけるだろうか・・」とドキドキしていました。
その当時は、息子が3歳で幼稚園に入園する前の年でした。日中は息子と一緒にいて買い物に出かけるような日々でした。その生活ががらっと変わることが想像できなかったのです。
夫にも「キャリアコンサルタントの資格を目指すかもしれない」と相談しました。養成講座のスクールに行く時など、夫が息子を見てくれると言って協力してくれました。
〇2022年 9月中旬
養成講座スクールの説明会に行く
スクールの説明会では、11月に開講されるクラスの募集をしていました。
説明会では、キャリアコンサルタント資格の重要性なども説明しており、「やっぱり魅力的な資格だな」と思いました。
説明会では、「今日11月クラスの申し込みをしてもいいし、迷っていたら保留でもいい。もし受講したくなったら後日の連絡でもOK。」との事でした。
私はまだ11月クラスから学ぼうという決断ができていませんでした。スクール事務局の方には、「11月から学ぶという決断ができていないので保留にします。もしかしたら来年の4月から受講するかもしれませんし、色々日常生活との両立が大変だなと思ったら受講しないかもしれません。」と伝えて帰りました。
来年の4月からなら学べるかな!?と思ったのは、来年の4月から息子が幼稚園に入園するので、その間に勉強できるかもしれないと思ったためです。
〇2022年 10月中旬
人生初 キャリアコンサルタントの所に相談しに行く
私の勉強机の上には、キャリアコンサルタント養成講座のパンフレットが置かれたまま、2ヶ月くらい経過していました。
「勉強を開始するか否か。どうしよう・・」
私は今後のキャリアについて悩んでもギリギリまで自分で考えるタイプなので、この件も夫以外の人には相談していませんでした。
その時、ある事を思いつきました。
「そうだ!キャリアコンサルタントの所に相談しに行こう」
資格取得も、将来のキャリアにつながる事なのでキャリアコンサルティングの範疇だと思いました。そして、ある所のキャリアコンサルタントの方に相談しに行きました。
『キャリアコンサルタントの資格取得に迷う私が、キャリアコンサルタントによるキャリアコンサルティングを受ける』という早口言葉のような状況になりました☺
私はその相談の場でも、「勉強する時間が確保できるか不安です。」などと不安に思っていることを話しました。
担当してくださった女性のキャリアコンサルタントの方が、私の気持ちを汲み取ってこう言ってくれました。
「にぐまっちさん(この時は本名で)は、キャリアコンサルタントの勉強がしたいのですよね。では、勉強してみてはいかがですか?」
その時、私はハッとしました。
「そうだ。私はキャリアコンサルタントの勉強がしたいんだった。」
口では「勉強時間の確保が・・」などと不安要素に焦点が当たっていました。しかし、私の心の中ではこの資格の勉強がしたかったのです。
一般論的な「勉強するに越したことはないでしょ」というものではなく、私の相談内容の端々から無意識に出てくる「勉強したいです」という言葉をくみ取って、キャリアコンサルタントの方は私の気持ちを言語化してくれたのです。
キャリアコンサルティングの後、私は「この勉強をするぞ」という気持ちで一杯になりました。
ではいつから受講するか?今なら11月クラスに間に合うし、息子の幼稚園入園に合わせるなら来年4月開講のクラスです。
「もう、いつから勉強を始めても自分の気持ちは変わらないからいっそ11月から始めよう」と思い、2週間後からスタートする11月クラスから受講しました。
授業がいざスタートすると、興味深い内容に夢中になりました。あれだけ「時間の確保が不安」と言っていましたが、気が付いたら時間を確保して、楽しく勉強をしていました。
キャリアコンサルタントの試験に合格した後、私にコンサルティングをしてくださったキャリアコンサルタントの方に、合格の報告をしました。とても喜んでくださりました。
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