見出し画像

映画「オッペンハイマー」は何を描き、何を伝えたかったのか-ネタバレありで徹底考察&感想

どうもTJです
今回はクリストファー・ノーラン監督最新作「オッペンハイマー」についての考察編ということでオッペンハイマーの脚本の凄さや初見時では見逃してしまうシーンについても深ぼって考察していきたい
前回は解説編ということで複雑な時系列と人物関係を解説しているので先にそちらを見て頂くとより楽しめると思う

脚本

ほぼすべての作品で時間ベクトルを捻じ曲げ、時系列操作はもはや専売特許と化しているノーランだが、今作ではそれがある意味で臨界点に達したのではないかと思うほどの脚本力の高さを見せつけた
前回はアインシュタインとの会話について解説したが、今回はいくつか別の例を紹介したい
まずは冒頭
目を開け、雨が地面に打ち付ける様子を見つめるオッペンハイマーの様子が映し出される

https://images.app.goo.gl/7SBuzLirtPczBa6j8
https://images.app.goo.gl/PptT7AGKr3CbsnNn7

この雨はラスト、核兵器が広がり、地球が火の海の化すオッペンハイマーの脳内イメージに呼応する
そしてオッペンハイマーは目を瞑る

https://images.app.goo.gl/FgfLA4DyyYdBfLZT6
https://images.app.goo.gl/NVtqo58sWJbcwC3y7

完全に計算された対比構造
いわばオッペンハイマーの瞼は劇場の幕だ
瞼(幕)を開けて映画は始まり、瞼(幕)を閉じてと終わりを迎える

もうひとつの例
広島、長崎に原子爆弾投下後、映画はオッペンハイマーの聴聞会(PART2)とストローズの公聴会(PART3)が交錯しながら進んでいく

前回記事より

これらは両者が裁かれるPARTになるが、オッペンハイマーの聴聞会は1954年、ストローズの公聴会は1959年と5年のタイムラグがある
しかしクリストファーノーランはこれらを確固たるロジックの元で見事なまでに再構築している
聴聞会でボーデンからソ連のスパイであると目の前で報告され、オッペンハイマーが思わず「誰か真実を語るものはいないのか」と呟くシーンがある

その後、場面はストローズの公聴会へ
科学者のヒルがストローズがオッペンハイマーを潰そうとした一部始終を暴露する
今作でヒルというのは正義の人物であり、ヒルの証言(ヒルが真実を語る)でストローズは商務長官の座を逃すことになる

https://www.imdb.com/title/tt15398776/mediaindex

このシークエンスを見ても分かる通り、ノーランは驚くほどシームレスに場面(PART)展開を行っており、それ故に観客は初見時、ここに5年のタイムラグがあるということにはほとんど気づかない
しかし我々観客は2回目、3回目でようやくノーランの緻密なまでに練り上げられた脚本に気づく(初見時にも漠然とは気付いているのだが)
単に時系列を操作して観客を混乱させているのではなく、観客をオッペンハイマーの感情のうねりへと飲み込むための恐ろしいまでに計算された仕掛けなのだと
もちろん、これが観客に不親切であるといった意見は一理ある
しかしノーランは単に時系列操作を目的とした作家ではないのはこの一例の説明で明らかだろう
彼にとってこれはあくまでも手段であり、目的は観客にオッペンハイマーの人生を追体験させ、オッペンハイマーの内側へと引き込むことだ

オッペンハイマーの罪

今作が素晴らしいのは観客にオッペンハイマーの人生を追体験させる一方で、オッペンハイマーを英雄視し過ぎないよう上手く距離を取っている点だ
1つ目の工夫がオッペンハイマーを表舞台から消そうとするストローズの視点を入れること
これによって観客は敵側の視線からもオッペンハイマーを見ることになり、オッペンハイマーの人物像にブレーキがかかる

※余談になるが、オッペンハイマーがイギリスに留学している時にピカソを絵をじっと見つめるシーンが挟まれる
これはオッペンハイマーが見る角度によって様々な顔を持っている、それをこの映画でこれから映し出していくことを暗示している

もう一つの工夫として極めてフラットに、オッペンハイマーの罪について描いてることだ
冒頭で明示されるプロメテウスが天界の火を盗んで人類に与えてしまったように、オッペンハイマーも原爆という兵器を人類に与えてしまう

しかし原爆以外の、白人の極めて傲慢な態度というのもこの映画内で表出されている
オッペンハイマーがロスアラモスと名付け、核実験を行った土地は元々はネイティブアメリカンの土地だった
ネイティブアメリカンたちの墓もあった大事な土地をオッペンハイマーは自分の思い出の地という極めて身勝手な理由で核実験の場所として使う
そして実験成功後は「ロスアラモスは畳み、先住民に返す」という発言は、白人たちの自分達の論理でしか考えていない態度の表れである
もちろんこれはこの映画の本筋ではないので、サラッとしか描かれないもののノーランは白人の暗黒の歴史もこの映画で描いている

https://www.imdb.com/title/tt15398776/mediaindex

なぜ広島と長崎か描かれないのか

この映画への批判として広島、長崎の惨状について直接的に描いていないといった意見が多く上がった
しかしまず押さえておきたいのは、この映画は原爆の映画ではなく、オッペンハイマーの映画である
そして前述の通り、オッペンハイマーの主観的な目線からオッペンハイマーの感情のうねりを元に時系列は再構築されている

前置きが長くなったが、なぜ広島と長崎は描かれないのか
それはオッペンハイマー自身が見ていないから、そして直視出来なかったからである
まず原爆投下のニュースをオッペンハイマーはラジオで知ることになる
そして原爆投下後も、オッペンハイマーは広島、長崎の惨状から目を背け続けた
スクリーンに原爆の被害が映し出された時、すぐに目を逸らすシーンはまさしく象徴的だ
これはある種、オッペンハイマーの罪であり、当時のアメリカ国民の罪でもあると思う
※実際にオッペンハイマーは1960年に初来日するものの、広島、長崎へ訪れることは最後までなかった

もちろん1億ドルもの予算が掛かっているので、映像的なブレーキがかかっていることはその通りだろう
しかし広島、長崎の原爆投下という事実に対してはしっかりと向き合っており、それは原爆の被害のシーンを直接的に描かないという逆説的な形で示されている

https://www.imdb.com/title/tt15398776/mediaindex

この映画は何を伝えたかったのか

長くなってきたのでこの辺でまとめに入りたい
最後にこの映画は、ノーランは何を伝えたかったのか
ここからは完全な私見だが、ノーランは人類に対し、核兵器による抑止で保たれている世界の安全保障について問いかけているのだと思う、本当にこれでいいのかと

現在の世界の安全保障において核兵器というのは重要な外交カードであり、核兵器によって各地で紛争はあれど“一定”程度の平和が保たれている
これは紛れもない事実だ
日本もアメリカの核の下で守られているし、北朝鮮も核実験を持つことで世界から経済制裁を喰らってもなお生き延びている
だが、果たしてこんな今の現状が本当に人類が目指してきたゴールなのだろうか
今作の言葉を借りるなら「爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」

もちろん今すぐに核兵器廃絶することはできないし、今作もそんな単純な反核映画では終わらせていない
どの国も自分のことが一番であり、保有国は核兵器という重要なカードを簡単には手放せない(ノーランの出身国イギリスも核保有国だ)

前記事でも言ってきたが、そんな現状を目の前にしてもノーランは我々人間に対しての信頼を手放さない
過去作も手法は特殊であれ、人間の勇気や友情、愛、正義を一貫して描いてきた

今作は人類への警告だ
それでもその裏にはどこか人間への信頼があるのだと思う
ラストは核兵器が連鎖反応的に広がっていき、地球が火の海に巻き込まれてオッペンハイマーの脳内イメージで幕を閉じる

ノーランは核兵器によって保たれる世界の危うい安全保障、そしてそれが当たり前となっている現代への危惧をオッペンハイマーという題材を通じて訴えている
それに対してのアンサーを観客は、日本人は、我々は考えて行かなければならないのではないか
もちろん簡単には到底答えられないし、今の世界を見たらそんな答えなどそもそも存在しないのではとすら思ってもしまう
それでも考え続ければならない、悪の連鎖反応を起こさせないために

ということでいかがだっだろうか
今後も新作、旧作問わずレビューしていく予定
また「オッペンハイマー」がレンタル配信された際にはさらに踏み込んだ考察記事も投稿していく予定なのでスキ、フォロー、コメント等も是非
今後の投稿の励みにもなります!

では!


【オッペンハイマー公開記念3部作】

新作映画レビュー

この記事が参加している募集

映画感想文

映画が好き

見返りは何もありませんが、結構助かります。