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新聞滅亡へのプロセス(4)不作為の罪 オリ・パラ報道を例として

#新聞滅亡へのプロセス
#メディア 「不作為の罪」

 報道の自由が確保されている国々のメディアの視点では、報道倫理にもとる「不作為の罪」というべき状況が、日本の組織メディアで起きているのではないか。この場合の「罪」とは、法律上の罪ではなく、倫理的な「罪」(英語でいえば【transgression】あるいは【sin】 )のことを指す。(注1)

 英BBCが取り上げたことによって初めて広く報道されるようになったジャニーズ問題。宝塚歌劇団のいじめ、吉本興業の有名タレントによる「性加害」など、メディア自身が、何もしないことで加害を助長してきた問題について、その後メディアがきちんと向き合っている状況とは、とても言い難い。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という風に、時が過ぎるのを待って、問題をやり過ごそうという態度がテレビ、新聞メディアに見える。とりわけテレビには「金の成る木」を手放したくないという経営的思惑が透けてみえる。

 それは芸能界の問題を超えて、小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑、能登大地震で改めて明らかとなった原発の持つ潜在的危険、自民党「裏金」問題、「統一教会」と政治家の結びつきなど、諸問題に対する根本的解明へ向けた大手メディアの追及欠如についても言える。

 各メディアが、突っ込んだ報道をそろって回避する行為を、メディアの「不作為の罪」と呼ぶとすれば、それは数多くの政治・社会問題の報道に共通している。「撃ち方やめ」という軍隊用語も頭に浮かぶ。別の言い方でいえばメディアが「どちらを向いて取材・報道しているのか」という疑問だ。

 ブログの第2回で、主要新聞社がそろってオリンピックの主要スポンサーとなったことを取り上げ、これが東京五輪報道に影響を与えていたのではないか、との疑問を紹介した。(注2)

  今回のブログでは、パラリンピック、オリンピックの際に新聞そしてNHK・民放が視聴者と読者(オーディエンス)に伝えるべき事実を伝えなかった実例を、筆者の経験をもとに指摘し、日本大手メディアの「不作為の罪」について、考えてみたい。

 小さいことのように思われるかもしれないが、筆者は、これから提示するような報道姿勢が積み重なって、日本ではメディアによる構造的な「不作為の罪」が生まれていると考える。

五輪開催、分かれる扱い
 まず、東京オリンピック、パラリンピックをとりまく当時の状況を確認しておきたい。

 朝日、毎日、読売の記事見出しと社説から、各紙の報道を振り返ってみる。開幕の翌日、2021年7月24日の朝刊の各紙見出しを抽出するとこうなる。

朝日新聞1面
東京五輪 コロナ下の開幕
1年延期し無観客 1万1000人出場
アスリートに託す希望(編集委員稲垣康介)
「祝い」の表現使わず 天皇陛下が開会宣言
熱戦の隣 鳴りやまぬ救急電話 
横浜の五輪指定病院では
2面
迷走8年 五輪突入 デザイン撤回 招致疑惑 会長辞任 演出者解任
感染対策なお綱渡り
世界への義務 首相「果たす」 米TVに語る
「日本はIOCの囚人」仏紙
「最も意義ある五輪に」米TV
 *米テレビとは、米国内の独占放送権を持っていたNBCとその親会社を指す。

毎日新聞1面

空席の海「映え」ぬ開会式
聖火で一転 United
場外は「うたげ」
スマホで試聴/反対デモも
社説 東京五輪とコロナ対策
「1964年以来の2度目となる東京オリンピックの競技が続く中、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない。大会の1年延期決定を主導した安倍晋三前首相や後継の菅義偉首相は、『人類が新型コロナに打ち勝った証し』にすると繰り返してきた」
「私たちは、流行下で開催するのであれば『無観客』とすることを求めてきた。開催直前になって、一部を除き無観客とすることが決まった」
「今回は開催の意義が問われ続けた。コロナ禍に苦しむ国民から『何のための五輪なのか』という疑問が噴き出した」
「安心の大前提である正確な情報提供もおぼつかない。組織委は感染者の国籍などを公表しておらず、各国の対応にまかせている。プライバシーの保護を理由にしているが、早急に見直すべきだ」

読売新聞1面
東京五輪開幕 コロナ厳戒下 57年ぶり開催
3面
無観客 都内は人出 五輪開幕 繁華街 昨年比5割増も
米欧で「有観客」再開
社説 東京五輪開幕 苦境でも輝く選手に声援を
「東京に聖火がともるのは57年ぶりだ。本来なら大歓声に包まれるはずの開会式は、感染防止のために無観客となった。選手たちはマスク姿で入場し、互いに間隔を空けて密集を避けた」
「選手たちは、重ねてきた努力の成果を存分に発揮してほしい。その姿に、テレビ画面などを通じて大きな声援を送りたい」
「選手たちの活躍は、世界に彩りを与えてくれるはずだ」

異なる3社論調
 五輪開会の翌日の朝刊をみると、朝日、毎日、読売の論調には異なる傾向がみられる。筆者が3紙を読んでそれまでの五輪報道を比較すると、朝日は開催に批判的、毎日は「無観客なら開催も(あり)」、読売は、「限定した観客で開催も(あり)」との考えが透けてみえる。

 それ自体は何ら問題がない。政治的、経済的な影響を排して独立した報道がなされているならば、異なった論調は、それだけ多様な言論が担保されているという意味で、民主主義にとって健全な状況だからだ。ただ、これには前段がある。

(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める

 朝日新聞は、他紙と異なり、東京オリンピック開催日に五輪について社説で取り上げなかった。しかし2か月前の2021年の5月26日に、上記の社説を掲載していた。その冒頭にはこうある。

 「新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない状況だ。冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める」

 さらに「組織委は医療従事者を確保するめどがつきつつあると言う。では、いざいとう場合の病床はどうか。医療の逼迫(ひっぱく)に悩む東京近隣の各知事は、五輪関係者だからといって優遇することはできないと表明している。県民を守る首長として当然の判断だ。誰もが安全・安心を確信できる状況にはほど遠い。残念ながらそれが現実ではないか」

 「こうした認識は多くの市民が共有するところだ。今月の小紙の世論調査で、この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。背景には、五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まってきることもうかがえる」

 正論である。この社説に喝采を唱える人も多くいた。一方で、それなら朝日新聞は、五輪パートナーから降りるべきだとの声も上がった。しかし朝日は、そうはしなかった。

 「何をいまさら」。新聞他社の受け止めは、辛辣だったという。このブログでいずれ詳しく書く予定にしているが、朝日新聞に対する他の新聞社の見方は厳しい。

 孤高を守るのは決して悪いことではない。しかし、再販売価格や特殊指定維持、そして消費税軽減税率の適用など、新聞界で「経営の大問題」とされてきたイシューに、朝日新聞社は汗をかこうともせず、恩恵のみを受けてきた。筆者の認識では、これが新聞の他社経営陣の一般的な受け止めだ。

 良し悪しは横に置くとして、「政治力」を発揮して新聞界に「眼前の利」をもたらしてきたのは、読売。これは各社新聞経営に携わる者の偽らざる共通認識だろう。

「いまごろ!?」の思い
 恐縮だが、ここから先は筆者の個人的な体験と思いを書かせていただく。筆者は通訳案内士という仕事をしており、今年で10年目となる。

 東京オリンピック、パラリンピックの際には、米国のスポーツイベント会社の仕事を請け負った。開催1年前に、来日したスタッフやネットで米国本社の責任者とのインタビューを受けて契約していた。このため無観客となり、スポンサー企業関係も含め海外からの関係者が激減する中でも、開催期間中、様々な競技会場に通った。

 筆者の周りでも、オリ・パラ開催による新型コロナ感染者の拡大を恐れる声は満ちていた。かかりつけ医からも、看護師さんたちが老齢の患者さんにコロナが感染することを恐れているとの理由で、期間中は来院しないでもらえないかと言われた。その代わりとして、普段28日分なのに2か月分の薬を処方された。

 朝日新聞の五輪中止を求める社説は間違っていないと筆者は思う。特に医療逼迫への懸念はその通りだ。だが、開幕2か月を切った時点で、このような社説を書いても「手遅れ」なのは、筆者のような末端の五輪関係者にも分かる。書くのならもっと早く書くべきで、そのタイミングはいくつもあった。「いまごろ!?」というのが社説を読んだ時の感想だった。「アリバイ」社説と言われても仕方ないだろう。まして、開催中止の社説を掲載しながら、オリンピックスポンサーを降りないことに関して、朝日の経営陣は何を考えているのか、強い疑問を覚えた。

 筆者自身は、海外からオリ・パラにくる人が感染した場合の通訳の必要性を考え、仕事を断ろうとは考えなかったし、そこで働き、現場がどうなるのか知りたいとの気持ちもあった。

 米国の企業は、自国の医師を日本に派遣し、東京駅近くの高級ホテルの一室に、最新のPCR検査機を持ち込み、たった30分で感染が判明する態勢を整えた。筆者自身に体調の変化があったわけではないが、来日する人たちの感染リスクを下げるためだろう、実際にそこで予備的に検査を受けた。オリンピック・ファミリーと呼ばれる人たちの「特権」を強く感じた。

 来日人数は当初予定より激減したが、それでも相当数の「ファミリー」が開会式にあわせ来日し、式後VIPたちは潮が引くように帰国していった。

 オリンピック・スタジアム、有明テニスの森、馬事公苑、有明アリーナ、カヌー・スラロームセンター、東京スタジアム、東京アクアティックセンター、幕張メッセ、埼玉スタジアムなど、オリ・パラ期間を通じて、筆者は数多くの会場を巡った。

 凝縮した時間の中で、多くの経験をし、感想を抱いたが、ここではメディア関連に限り、ふたつの事例を取り上げたい。

パラリンピック競技最終日の観客席

 東京パラリンピック閉幕の競技最終日、筆者は、男子車いすバスケットボール決勝の観客席にいた。試合は、手に汗握る大熱戦で、日本は米国に60-64で惜敗したが、同競技でオリンピック初のメダルを獲得した。

 日本チームは、最終第4クォーターの残り約5分まで5点リードしており、ついに金メダルかと思わせたが、最後は、最強と言われた米国チームの底力に屈し逆転され銀メダル。

 この日で筆者のオリ・パラの仕事はほぼ終了したが、両チームの選手たちの奮闘を目の当たりにした感動とともに、やるせなさを感じて会場を後にした。この感情は、各会場を巡るうちに、オリ・パラ期間中に何度か感じていた。

 やるせなさは、自宅に帰り、テレビニュースで試合を見るとさらに高まった。翌日、時間を見つけて、図書館に行き、東京発行の全紙に目を通した。そして同時に「怖さ」も感じた。


パラリンピック 車いすバスケット決勝の試合後の様子(写真1)


 ここに掲載した写真はすべて、会場で筆者が撮影した。

 写真1を見ていただきたい。スタジアムは少数のボランティアを除いて無観客のように見える。帰宅後に筆者が見た限り、NHK・民放のニュースでは、すべて写真にある無観客のスタジアムの映像だけがオンエアされていた。テレビカメラ、スティルカメラの設置位置は、無観客の客席の方向にのみ固定されており、メーンスタンドに向かって設置されているカメラは、目視では確認できなかった。

 多くの人の記憶には、この無観客のスタンドが残っているのではないか。

メーンスタンドの「観客」(写真2)

これが「無観客」?
 写真の2をご覧いただきたい。写真の2枚目は1枚目と同じく車いすバスケットボール決勝の試合直後をメーンスタンドから撮影したものだ。メーンスタンド側に多くの「観客」がいるのが確認できるだろう。この写真は(プライバシーの問題もあるので)人物が特定できないものを選んでいる。

 実際、メーンスタンド側は1階席から2階席にかけて「観客」で埋まっていた。筆者の経験でいえば、テレビに映されることのないメーンスタンドに、かなり多くの「観客」がいたのは、このゲームだけではない。

 筆者は、自分が観客席にいた一員だったことを除いても、ここにいた「観客」を非難する気はまったくない。

 車いすバスケットボールという普段はそれほど陽が当たらないと思われるスポーツの選手を、この日を夢見て必死で支えてきた家族や支援者たちがいる。

 本人たちが望めば、この感動をスタンドで分かち合う権利があるだろう。

 ゲーム終了後のメーンスタンドで涙を流す人たちの姿を見れば、その気持ちは十分に理解できる。コロナ感染のリスクが取りざたされて、その危険を冒してでもスタンドにいたいという思いは、その人たちの歩んできた道を想像すれば、否定などできない。

 「オリ・パラも、もう残るのは閉幕式だけなのだから、実はメーンスタンドに相当数の『観客』がいたことを、記者だれかが書いてもいいだろう。この試合だけが例外ではないのだから。ペンであれば、書き方はいくらでもあるはずだ。書かなければ、ほとんどの国民は東京オリンピック・パラリンピックが、車いすバスケット決勝のテレビに映された画面のように、無観客のまま終わったと思ってしまう」

 そうした思いで、翌日(9月6日)図書館でパラリンピック閉幕と車いすバスケット決勝を伝える各紙に目を通した。しかし、メーンスタンドに観客がいたことを記した記事を一本も見つけることができなかった。

 朝日新聞の9月6日付紙面には「東京パラ閉幕 日本メダル51・学校観戦1.5万人」との見出しでリードにはこうある。

「会場のある1都3県に緊急事態宣言が出るなかでの開催で、全ての会場で一般客を入れなかった」。2面には「学校観戦を実施 批判集中」との記事も掲載されていた。

 筆者に発行されていた身分証は、プレスカードではなかった。従って五輪組織委員会が、報道カメラマンや記者にどのような制約が課していたのか具体的に知らない。

 カメラマンたちが報道各社から求められていたのは、いないはずの「メーンスタンドの観客」でなく、ゲームでの選手たちの姿だったろう。一方で、筆者の席の右上に設置されていた「貴賓席」では、橋本聖子五輪組織委員会会長も観戦していた。

 あの場面、そして「観客」が相当数いた会場で試合を取材報道した「ジャーナリスト」には、あの時どのような「規制」が大会組織委員会からかかっていたのか(あるいは規制はなかったのか)今からでも遅くないので具体的に説明してほしいと思う。

 少なくとも朝日、毎日、読売の3紙は、東京オリンピック、パラリンピックが学校観戦を除けば「無観客」で開催されたかのように報道していたのだから。

 筆者は、そこにいた記者とカメラマン全員が同じ方向と同じ視点で、観客のいないバックスタンドだけを見ながら報道したのを目の当たりし、「怖さ」を感じた。

「現場」に記者がいない

選手たちの声で時間変更後の電光掲示板。見る人は誰もいない。


ウォーミングアップ用のサブコート。接地面そのものがやけどするほど暑い。


  東京オリンピックは酷暑の中で行われた。屋内で行われた競技は、冷房が効いていてまだよかったが、屋外の会場は、訪れると地獄のような暑さだった。気温は連日30度を優にこえ、直射日光を受ける場所では、10分立っているのも苦痛だった。この猛暑の中で、同じ場所に立ち続け、道案内などを行っているボランティアの人たちを見かけるたびに、体調が心配になった。

 もともと2020年開催の予定だったオリンピックについて、IOCは立候補都市に開催期間が7月15日から8月31日までの間でおさまるように求めていた。米国のアメリカンフットボールや大リーグ、欧州のサッカーリーグと同時期の開催を避けることで、IOCが多額の放映権料を確保するためにこうした日程を設定したとされる。

 これに対し、日本のオリンピック招致委員会は、この時期が晴れることが多く温暖な気候で、アスリートが最高の状態で能力を発揮できると、IOC側に伝えたという。(注2)

 現実では、マラソン開催地の東京から札幌への変更なども含め「暑さ対策」が話題となった。実際に会場に通うと、熱中症などの予防は喫緊の課題と思えた。筆者自身も英語の堪能な大学生たちとグループを組んで、会場で働いていたので、新型コロナとともに猛暑対策には腐心した。

 筆者の経験では、特に、テニス競技の行われた有明テニスの森の状況は過酷だった。競技開始の前日に下見に行ったが、じっとしているだけで、汗が噴き出てくる。照り返しの強さは、沖縄の西表島や石垣島でネーチャーガイドをしていた筆者も体験したことのない暑さだった。頭がくらくらした。

 試合前に選手がウォーミングアップするサブコートの前を通ると、玉のような汗でウェアをしたたるほど濡らした各国選手を見かけた。ノバク・ジョコビッチ、錦織圭、大坂なおみなどのトップランクの選手たちは、それでも屋根が一部につき、控室には冷房の備わったセンターコートでの試合だったから過酷な中でも恵まれたほうだ。

 有明テニスの森には、炎暑に無防備な47面のテニスコートがあった。各国の代表の男女は、誰も観客のない炎天下、日陰もなく直射日光が降り注ぐ中で、必死に戦っていた。

 テニスの森の奥には、歩道上に小高い地点があって、試合中の選手の姿が垣間見える。

 無観客で他に音がしないため、各コートではラケットがボールを弾く音、選手がボールを打つ時に発する声がこだましていた。

 試合を終えて、力尽きてコート脇の歩道にうずくまる選手や、負けてしまったのだろう、コーチに抱きかかえられ涙を流す姿もあった。

 この過酷さをどこか報道してくれないかと思った。この暑さの具合を多くの記者が体験し取り上げてくれれば、組織委員会で改善がはかられるのではないかと期待した。しかし、かなりの時間その場にいても記者の姿を見かけることはなかった。

 当時世界ランク2位のメドベージェフや1位ノバックといったスター選手たちは、時をおかずして現状の酷さを訴えた。このため試合環境があまりに過酷であることは、26日あたりから国内各紙で報道されるようになった。しかし、その内容は記者会見や国際テニス連盟の発表を伝える範囲の内容に留まっていた。

 唯一の例外は、東京新聞が25日の午後9時過ぎにネットに流した記事だった。
 「東京の酷暑にテニス選手ら悲鳴 『常に脱水状態』、ジョコビッチは試合時間変更を要求」
 との見出しで、いかに会場内が過酷な状態であるかを、ボールパーソンなど現場の声を拾い、問題を摘出する記事となっていた。

 筆者が、ここまでオリ・パラの一場面を詳細に書くのには理由がある。新聞・テレビの記者たちは総じて「現場」という言葉が好きだ。しかし、現場とは「報道現場」だけではない。記者にとっては、記者クラブも「現場」だし、記者会見も「現場」だろう。事故現場も警察の規制線外の「現場」とも言える。

 しかし、当事者だけが、本当の「現場」にいる。

 「釈迦に説法」という声が、記者たちから聞こえてきそうだ。「そんなこと百も承知」と言う声も。それでもあえて言いたい。

 オリ・パラに限らず、「本当の」現場にいる人たちの中には、もちろん筆者などより、よっぽど専門的知識を持ち、いきいきと現場を、ネットを駆使しながら若い世代に伝えられる人たちがいる。その人たちといかにつながり、報道に参加してもらえるかが、ネット時代に新聞滅亡を防ぐカギとなると筆者は考える。

 現場にいる読者・オーディエンスの知見と多様な意見を取り込み伝えていく。ファクトチェックを怠らず、フラットな関係をつくりだす。ニュースのプラットフォームを新聞自らが構築する必要性は、現場の若い記者たちには、とっくに理解されていると信じたい。

 それができないのは、これまでこのブログで指摘してきたように、記者や社員への管理を強め、護送船団方式に固執し続ける新聞経営の「不作為の罪」だと言える。この新聞滅亡へのプロセスをまずは、打ち破ることが必要だ。

*このブログ内で使用する写真は、すべて筆者が全国通訳案内士・ネーチャーガイドとして各地で撮影した。今回の写真は2020年、北国街道沿いの海野宿に作られた疫病退散の願いを込めたアマビエ像。

注釈【参考文献】
(1)異なった視点からメディアの「罪と罰」が述べられているのが興味深い。
「マスメディアの罪と罰」 2019年 ワニブックス 高山正之 阿比留瑠比
「メディアの『罪と罰』」 2024年 岩波書店 松本一弥

(2)・東京オリンピックのスポンサーにはランクがある。国内第2ランクのオフィシャルパートナーに、朝日、毎日、読売、日経の各新聞社がなっていた。契約金額は60億円ともいわれる。産経と北海道新聞は、オフィシャルサポーター。契約金額はオフィシャルパートナーの半額程度とされる。筆者の知る限り、各新聞社は契約金額を公表しなかった。
・東京オリンピックの組織員会には専門委員会が設置された。そのひとつにメディア委員会があった。委員長は日枝久・フジテレビジョン取締役相談役、副委員長は石川聡・共同通信社顧問。委員は37人。新聞・通信、テレビ、ラジオ、FM、衛星放送などのメディアを網羅していた。新聞・通信は、朝日、毎日、読売、日経、産経から各2人ずつ。通信社は共同、時事から各2人ずつ。NHKも2人。民放キー局は、日テレ、テレ朝、TBS、フジ、テレ東から各2人ずつ。新聞協会専務理事、民放連事務局長、雑誌協会事務局も委員となっていた。

(3)東京オリンピック招致委員会が2013年にIOCに提出した立候補ファイルの記述。

*メディアと東京五輪の関係については、「東京五輪の大罪—政府・電通・メディア・IOC」 2021年 ちくま新書 本間龍 に詳しい。


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