最近の記事

かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(2/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)

2 数(かず)遊び (1/2)からの続き ⑶ かぐや姫の「三」 物語中盤では「五」人の貴公子の失敗談をはじめとして「五」が主な数でした。(前回に追加:くらもちの皇子は、鍛冶の匠たちと一緒に「五」穀を断って、偽物作りに励みます。) これに対して、序盤〔1 かぐや姫の誕生と成長〕では、かぐや姫の「三」が主たる数となっています。 翁が根元の光る竹の筒の中を見ると、「「三」寸ばかりなる人」が、とてもかわいらしい姿でそこにいます。 この児(ちご)は「「三」月(みつき)ばかり」で大人に

    • かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(1/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

      本稿は、ヴァルドルフ教育の「教育原則」(前稿)を踏まえた筆者の教材研究の結果、『竹取物語』に既知の「言葉遊び」だけでなく「数(かず)遊び」を見出したことの報告です。 心情が豊かに描かれ、悲しい別れの結末で知られる物語ですが、一方で洒落た「言葉遊び」が随所に織り込まれています。 筆者は、それに加えて、物語全体が「数あそび」によって成立しているのではないかと気づきました。 中学1年生(7年生)では、「古典に親しむ」として、仮名遣いなど、基本的、入門的なことの修得が目指されますが、

      • (予告)かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか ー 自由ヴァルドルフ教育の「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

        はじめに 自由ヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)の教育目標は、大きく言えば、「健康生成(サルトジェネシス)」だと言えます。「ゆとり」でも、「学力向上」でもありません。(教育理念は「自由への教育」) この教育目標は、教師の子どもたちへの働きかけのすべてに行き渡らせるべきものです。シュタイナーの次の言葉を見てください。 ここで言う「健康」は、「心と体の健康」という言葉にはおさまりません。シュタイナーの人間観、とくに人間を構成する要素への深い洞察に基づくものです。人間を構成する

        • 寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(9/9)

          Ⅶ 『自由の哲学』から人智学(精神科学/霊学)へ 本稿では、『自由の哲学』から人智学(精神科学/霊学)へのつながりとして、特に修行及び意識魂の問題を考察し、最後にゲーテの格言詩を紹介したいと思います。 1 修行とのつながり ⑴ 直観的思考(理念的直観)の把握が修行のはじまり シュタイナーは「補足 最終的な問い」の新版への補足2で次のように言います。 シュタイナーの後期の著作を見ると、直観的思考(理念的直観)を把握することが、精神世界へ至るための修行の第一歩でもあり、最重要

        かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(2/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)

        • かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(1/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

        • (予告)かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか ー 自由ヴァルドルフ教育の「教育原則」を踏まえた教材研究(国語) 

        • 寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(9/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(8/9)

          Ⅵ 補足 ー 人間存在の二重性、認識の根底、個と認識・愛・自由 本稿では、これまでの考察でとりあげられなかったいくつかの問題について補足します。 1 人間存在の二重性・二段階性 自由の問題が、人間のさまざまな二重性・二段階性にかかわっていることはこれまでにも見てきました。 例えば、思考と生体機構の二重性、認識と意志の二段階性にかかわる身体・意識での二重性。また、動機の身体的要因・起動力と非身体的要因・動因との最高段階での重なりによる二重性。さらに、認識における、人間と世界

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(8/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(7/9)

          Ⅴ 各章の二項対置による簡潔な要約 『自由の哲学』第2章の冒頭で、ゲーテの『ファウスト』の詩の一部が掲げられ、人間は二つの欲望・誘惑の間にいる存在であることが紹介されます。 シュタイナーの「一元論(自由の哲学)」も、19世紀末までの様々な思想・哲学との対置関係を通して、一歩前に踏み出す哲学となっています。 「一元論」は、それらの思想・哲学と対立しつつも、それらを「必要な前段階」だとして、最終的には「一元論」へ収斂していきます。 未熟な(未自由な)人間が自由な人間へと進化する

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(7/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(6/9)

          Ⅳ 「人間意識の自己了解(理解)」と「思考の観察」 自由は、最高段階の動機(起動力と動因の重なり)による行為において認められます。 起動力の最高段階「概念的思考(実践理性)」に至るには「自己意識の拡充」が、動因の最高段階「純粋に直観把握された個々の倫理目標」に至るには「思考の強化・高貴化」が必要ではないかと見てきました。 本稿では、「自己意識の拡充」を、『自伝』の「人間意識の自己了解(理解)」との関連で、「思考の強化・高貴化」を『自由の哲学』第一部の「思考の観察」との関連で考

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(6/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(5/9)

          Ⅲ 理念的直観の実現 1 自由な行為の「動機」としての理念的直観 ⑴ 人間の生体機構の二重性(意志の自由の二段階性) 人類(人間)進化の方向は「理念的直観の実現(=自由)」に向かっており、進化途中の現在の私たちにも理念的直観の実現という意味で自由はあるということを見てきました。 理念(思考)が人間の生体機構・意識において直観され動機となり、そこから意志行為が発動する際、理念(思考)と人間の生体機構には次の二重性があります。 このとき、生体機構内で生じることは、思考の本質(内

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(5/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(4/9)

          Ⅰ 『自由の哲学』の「自由」とは何か その2  1 いわゆる「選択の自由」とは異なる  2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である   (人類進化は、「理念的直観の実現」の方向に向かう)  3 それ故、進化途上の現在の人間にも自由(理念的直観の実現)はある  4 理念的直観は倫理性に浸されており、自由と倫理は一つである   本稿では、3と4について考察します。 3 進化途上の現在の人間にも自由(理念的直観の実現)はある ⑴ 現在の人間にも自由(理念

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(4/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(3/9)

          Ⅱ 『自由の哲学』の「自由」とは何か その1 既述したように、『自由の哲学』は、読者自身の思考のトレーニングがあってはじめて理解できるように構成されています。 今回、それなしで理解できると思われる範囲で、『自由の哲学』の「自由」を以下の4点にまとめてみました。  1 いわゆる「選択の自由」とは異なる  2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である   (人類進化は、「理念的直観の実現」の方向に向かう)  3 それ故、進化途上の現在の人間にも自由(理念的

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(3/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(2/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』 Ⅰ 「自由な人間」とはどのような人間か その2  本稿では、第13章と第14章にある「自由な人間」、第9章の「自由な人間の基本命題」について紹介します。 3 〈善の理念〉が自己の本性の内に移動した人間 【13章】 自由な人間にとって、善は、為すべきことではなく、行いたいと欲する事柄です。 彼が、善を実現しようとするのは、それが彼にとっての最大の喜び(快)だからです。彼はただ自らの欲求を満たそうとするだけで、よい(善い/倫理的である)の

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(2/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(1/9)

          Ⅰ 「自由な人間」とはどのような人間か その1  『自由の哲学』で、シュタイナーは自らの「一元論(自由の哲学)」を語るとともに、思想史上の様々な哲学(素朴実在論、批判的観念論、超越論的実在論など)を「一元論」の前段階に位置づけます。第一部では最終の第7章で、第二部では半ばの第10章で。 第11章以降の四つの章には、それぞれの章の主題とは別に、「「自由な人間」とはどのような人間か」という問いが通奏低音のように響いています。(すでに第9章で「自由の理念」を詳述した後から始まって

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(1/9)

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(0/9)

          はじめに 表題「寝ながらシュタイナー『自由の哲学』」は、私淑する内田樹氏の『寝ながら学べる構造主義』から拝借したものです。 『自由の哲学』初版は、1894年、ルドルフ・シュタイナーが33歳の時に出版されました。彼によれば、それまでの活動をまとめるものであり、また後年の仕事を基礎づけるものでもあります。 しかし、『自由の哲学』は、後年に幅広い分野において興味深い影響を及ぼすことになる彼の後期の仕事ほどには受け入れられたとは言えません。 その最大の理由は、彼が、私たち読者に私た

          寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(0/9)

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(3/3)

           大天使ミカエルのおかげで、私たちはキリスト衝動を受け入れ、それによって自らを貫くことで、本来の「人間」となる。  私たちがキリスト衝動を受け入れられるのは、キリストがゴルゴタの秘儀によって「人間=地球」と一体となっていたことにもよる。  私たちは、ゴルゴタの秘儀を「事実」として人類の進化発展の中に認める必要がある。 3 人類進化におけるゴルゴタの秘儀の意義 - ゴルゴタの秘儀の前後 (1) ミカエルは「夜の霊」から「昼の霊」へ  ゴルゴタの秘儀以前は、ミカエルは人間の暗い

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(3/3)

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(2/3)

           あらかじめ、次のことを補足しておく。  『大天使ミカエル』では、ルツィフェルはもっぱら頭部・知性の領域に働きかける存在として、アーリマンはおもに四肢・意志の領域に働きかける存在として描かれている。(これは「人類の代表者(キリスト)」に見られる配置である。)  アーリマンは、15世紀からの450年間に人間の思考や感情の中にも入り込んだ。当初、四肢・意志の領域から侵入したアーリマンが、胸部において(キリスト衝動に貫かれていないため)堰き止められず、頭部へと昇っていき、思考を引き

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(2/3)

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(1/3)

           約10カ月間、渡邊タツさん主催の『大天使ミカエル』(『ミカエルの使命』)の読書会に参加させていただいた。  ドイツ語の翻訳の妙をはじめ、哲学的にも、霊学的にも刺激を受け、楽しく読み深めることができた。全六講を次の三つの視点で整理してみた。 1 サブタイトル「人間存在に関する本来の秘密を啓示する者」について 2 ルツィフェル・アーリマンとの闘い、キリスト衝動によって三体性(三位一体)としてバランスをとる 3 人類進化におけるゴルゴタの秘儀の意義 1 サブタイトル「人間

          『大天使ミカエル』読書会のまとめ(1/3)