【小説】映るすべてのもの #9
「あら、また木くずが」
母みゆきはおおきな姿見鏡の右下、アンティーク調の彫刻部分に目をむけた。
なにかにひっかかって塗装がとれてしまったせいかそこからパラパラとおちる木くずをふきとることが、最近の日課にもなっていた。
「……もうそろそろこの鏡も処分していいのかしら」
バリバリバリ!ビーーーー!!!ペタリ
塗装がはがれた部分にみゆきは応急処置(?)の布テープを貼った。
「とりあえずこれでよし!」いきおいよくパンパンと手をはらいみゆきは姿見鏡に背をむけさっていった。
*
「ば、絆創膏を貼られちゃったわね、長老」
とっさに姿見鏡へ声をかけた母みゆきの鏡台だったが、つきあげるおかしさはかくしきれないようだった。
「……あいつはな。ああいうところが昔からおおざっぱというか大胆というかなんというかだ……」
姿見鏡はにがにがしさ半分あきらめ半分のしおれた表情をしていた。
なぜか瑠衣の卓上ミラーまでうきうきしている。
「おれ、みゆきさんみたいなひと、けっこうタイプかも!」
鏡台とおなじく笑いをおさえきれない卓上ミラーだった。
「まあ、たしかに長老の彫刻のわくって右下だけボロボロだもんねえ……」
「ホームセンターなんかで補修する道具ありそうだけどな」
「できるならなおさなくていいのだよ。このひっかき傷にもたいせつな思い出がつまっとる。『傷は勲章』より、これはわしにとって『愛おしい傷』そのものだ。姿見鏡として見た目がわるいのもわかっとる」
「愛おしい傷? 長老に彼女がいたの?」
「相手は人間?」
「……おまえたちはメディアのリポーターみたいだな。ひととおなじように鏡にもふれてはいけないこころの傷があるのだ。しかしもうあれから数十年もたってしまったか。……よかろう、かたろうではないか!」
姿見鏡の告白を前に鏡台と卓上ミラーの目がぴかぴかとかがやいた。
「なに、たいした話ではない。そもそもわしのもといた場所は瑠衣の祖父の屋敷だ。わしのサイズでも違和感がないほどのひろい玄関のインテリアとしておかれておった。その当時、そこで飼われていたメロというねこがおってな。昭和の初期のわりにハイカラな名前であろう? ハチワレ模様の雌ねこがわしになついていたのだよ。ねこはただでさえ感受性がつよい。それにメロは頭もよかった。わしの鏡語も多少わかっていたようでな……つい」
「つい?」鏡台と卓上ミラーの声がそろった。
「メロがかわいい顔をして、わしに毎日毎日話しかけてくるのだよ。『ニャーニャー』『ン~』とな。ときにはわしの前ではらを見せて気持ちよさそうにゴロゴロとのどをならしたりしておった。メロはわしに意思があることを理解していたようだった……で、つい」
「つい!!」と、鏡台と卓上ミラー
「『おいで』『おうおう』『メロ』とわしはメロに話しかけてしまった。ああ、もちろんそこは鏡語でだ。そうするとメロがよろこぶのだよ。よろこびすぎるとねこはボリボリと爪をたててしまう。そこがちょうどわしの右下の部分になった。これはメロのひっかき傷だ。メロの生きていた証がたまたまここにのこってしまっただけだが、わしはこの傷を気にいっておる」
「なにそれ、人間の彼女にうらみでもかってけずられたのかと思ったら予想をうらぎられちゃったじゃないの……」
「おれ、こういう話よわいんだよ。昔の話だしメロはもうとっくに死んじゃったんだよな」
「わしの目の前でな。屋敷の玄関から門までのあいだにあるため池におちた。声もだせない。ましてや助けにいけるわけもない。そのときもわしは映せるかぎりの事実を映しておった。昔のねこは外飼いが当たり前だったのだよ。この手の話じたいはめずらしくもなんともない。だが、わしにとってメロは特別なねこで、わしにとって特別な思い出だ」
……グスン、グスン。目をうるませ、はなをすする鏡ふたりだった。
「……このひっかき傷をだな。幼いころの瑠衣がまるで怪奇ものを見るような目でこわがってたことをわしもおぼえておる。おまえたちにではなく瑠衣にメロのことを説明してやりたかったが、そこは鏡の使命。グッとこらえたものだ。わしもまだまだ修行がたりん」
「そういえば、ちいさいころの瑠衣ちゃんは夜のわたしたちをこわがってたわね。わたしも夜、みゆきさんに布カバーをかけられた時期があったわ」
「わしはサイズのせいだろうがカバーではなくてシーツをかぶせられておった。洗濯バサミで上のほうをとめられてな。さっき布テープを貼っていったのとまったくおなじ調子だ」
「瑠衣はいまでもおれのことを寝る前にはひっくり返してるな。まあ、あれは落ちつかねえんじゃないかな。それはなんとなくわかるよ」
「鏡は都市伝説につかわれることも多いしねえ」
「見られてる気がするというのもあながちまちがってはおらん」
「夜中の12時に……とかか? 最新バージョンは鏡にむかって『おまえはだれだ』っていいつづけると気がくるう。だっけか?」
「古来から人間たちが鏡を意識してきたということもほんとうだ。じぶんでは見ることのできないじぶんの顔やすがたを事実に近いかたちでしることができる唯一のツールでもある」
自身の右下の傷跡をあらためて見つめ、姿見鏡はつづけた。
「湖におのれのすがたを見たナルキッソス。川にうつったじぶんのすがたに『ワン!』とほえて骨をおとした犬のものがたりなど鏡が題材になっているものがたりはつきぬ。また人間にとってじぶんを映すという行動も刺激にもなり脅威にもなりうる」
姿見鏡が背筋をただし、まるで世界をみすえるかのようにまっすぐ顔をあげた。たましいからあらわれた感情とともに声の温度もたかくなってゆく。
「人間の女、いまは男もかもしれん。わしが声を大にしていいたいことだが、われわれ鏡をのぞくたび『じぶんはブスだ』『じぶんはブスだ』とおのれにのろいをかけるやつのなんと多いことよ。あれは自らを洗脳してるにひとしい。美人、不美人関係なくこの行為をやる人間はやってしまう。そして金銭感覚とおなじようにじわじわと美的感覚がおかしくなってゆくのだ。ゆがみというものも日々のつみかさねなのだよ。にたような価値観、考えの人間とスマートフォンで簡単につながれてしまう現代にはゆがみの速度もはやく強固になりやすい。都市伝説よりよほどこわい現実で事実の話だ」
「それと、ゴホン!」……ふっと声色ががゆるみ、せきばらいをひとつ。
「……ふたりとも、メロのご清聴ありがとう」姿見鏡は数十年ぶりにほほえんだ。
パチパチパチ……鏡台と卓上ミラーの拍手がかすかにきこえた。
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