【小説】映るすべてのもの #8
「明日やすみなんだからちょっとぐらいいいでしょ」
あれから母みゆきは結局、中森明菜のTATOOを一曲丸々うたい食後のハイボールのいきおいもてつだったせいか中森明菜という歌手がどれだけ偉大だったかをかたりつくした。
まだ高校生のはずの瑠衣だが上司にさそわれたサラリーマンの気持ちがすこしわかったような気がした。
そのなかでみゆきが若いころ、とても神経症的な性分だったこともあらためてきいた。いまどきのメイクやSNSなどを見るたびあのころの感覚がよみがえるようともいっていた。
「かわいくなりたい」「きれいになりたい」の入りぐちからどれだけのひとの精神が病んでしまったんだろうと。
すっぴんとメイク後の落差をわりきれたり、たのしめるひとはいいけれど、それにいちいち高揚したり落ちこんだり、こと一喜一憂はメンタルによろしくないとめずらしく力説していた。
「メイクのしかたやその子のようすを見ちゃうと見えないものとたたかってるのわかっちゃうのよね。しょうがないんだけどねえ」
ハイボールを手にしたみゆきがしんみりといった。前ほど見かけなくなったが一時期はやったパワーストーンのブレスレットをじゃらじゃらつけているひとたちもにたような雰囲気だったという。
「たのしめてるあいだはいいんだけどね……お金がなくてお金がほしいからって金運があがる何百万のパワーストーンを買ったひとを思いだしちゃった」と、みゆきはカラーンと氷をならした。
「ああ、このひとは恋愛がしたいんだなとかね。やっぱりああいうのって大体のターゲット層をねらってるんだなって実感したかな。パワーストーンブームも大概だったわね『わたしは〇〇がほしいんです』『〇〇がたりないんです』『〇〇におびえてます』って世間にむけてしらせてるようなものだった。……そう、お金もそうだけど、あのネットにある加工のようなメイクのしかたもそう。しょっちゅうあせって鏡をのぞきこんでる子いるでしょ」
みゆきの目がトロンとしている。この表情はなんらかのおつげがはじまるころだ。
──「『かわいくなりたい』『きれいになりたい』のほんとはね、こころの底から安心したいの」
「愛されたいだけなのよ。でもじぶんがじぶんをきらいなのにひとに愛してほしいっていう矛盾に気づいてないっていうのかな。それが容姿のせいに思えたり世間でいうスペックのなさにすりかわってるだけでね。ひとに愛される前にじぶんを愛する勇気をうしなっちゃってる状態……」
みゆきの手からすりぬけそうなハイボールのグラスをあわてて瑠衣はうけとりテーブルにおいた。
「ほめられたり、必要とされるとうれしくなるでしょう。このnoteの『スキ』もそうだけど、ちゃんともらうとうれしいじゃない? それに全身全霊をそそいでるって感じかな。排除されたくないのよね。もっといえばわたしは存在してていいんだ。生きてていいんだっていう確認をみんないつも必死に表現してるだけだと思うの……こころがずっとびくびくおびえてるのよね」
今夜のみゆきはニトリで購入したふたりがけのソファーで寝るらしかった。すでに体はソファーのはしにかたむきかけている。
「『なりたいじぶんになる』なんてキャッチーなひびきにまどわされる前にね、じぶんを理解しなきゃなりたいものなんてわからないのよ。でもずっときらいだったじぶんにたいする誤解がとけたときって、そこらへんの24時間テレビなんかより、よっぽどからだじゅうで感動できるのよね、え……スー……スー……」
瑠衣はみゆきの部屋にある水色のタオルケットをとりにいきソファーでねむってしまったみゆきにしずかにかぶせた。
大人たちのいうハナキンってこんな感じなのか。瑠衣はみゆきの寝がおをながめながらこころで感想をのべた。みゆきの母性と少女のような感性は瑠衣が高校生になって実感するものがふえたように思う。親子であるにはかわりはないが、ひとりの女性としての母の側面はかわいらしくも見える。みんな違うけどみんな一緒だ。
夏になって、ほとんど休日は家でねてばかりだったけど、明日の夕方にでも散歩がてらメイク道具を見にいってみよう。
ひさしぶりにみゆきとゆっくり話して小学生のころ色つきリップを買ってもらい鏡台の前でリップをくちびるにぬったときのときめきみたいなものを思いだしもした。
そう、もっとちいさいころは鏡台も玄関近くにおいてある姿見鏡もこわかった。
あのころは姿見鏡がトイレのそばにおいてあって、夜トイレにいくたび鏡の前をとおりすぎると緊張がはしってなかなかねむれなくなっていた。
姿見鏡の彫刻されたわくの右下にある、ひっかかれたような傷あとが幼かった瑠衣の想像上での恐怖をかきたててもいた。
しんとした夜すべてがずっとこわかった。世界でおきているのは自分だけじゃないかという恐怖。ねむれなくて部屋の天井をみあげていると天井のすみにあるちっちゃなシミがおおきくなっておばけになったりしたらどうしようなんて思っていた。
幼いながら、夜にしらないはずの死を感じていたのだと思う。
「こわい」はなんだろう。ちいさいころのこわいはぜんぶだれかの死やじぶんが死ぬことにつながっていた。
しらないはずだけど生きているものは生まれたときから死と生まれている事実を生きものは本能的にしっている。
どうせ死ぬのにみんななんで生きてるんだろう。
どうせ死ぬのにみんななんでやりたいほうだいしないんだろう。
ちいさいころの家や外の景色はどこかいつもテレビを見ているようだったことを強烈におぼえている。
瑠衣が諸行無常に気づいたのは3歳ごろだった。たそがれて世をはかなんでいる3歳児はさぞかし奇妙だっただろう。みゆきにいわせれば「いーや!あれは2歳!」だと主張されたが3歳でも2歳でもどちらにせよみゆきに心配をかけていたことも今日しった。
テーブルのうえで両手をのばし、ふうっと息をついたあと瑠衣はみゆきのグラスを洗い、水きりラックにたてかけリビングのあかりをけした。
「う~ん……」寝がえりをうったみゆきの髪をまとめていたシュシュがほどけソファーのひじかけにながれた。
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