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逝ける人々からのメッセージ③

亡くなられた岡江久美子さんのご自宅を、報道陣が取り囲んでいる。
葬儀業者が門を開け、黒いリボンの縁取りの骨箱を、閉じられたままの玄関前に置いて立ち去る。感染予防のためらしい。
しばし門の内側を、静寂のみが支配する。
ポツンと置かれたご遺骨に、何度もカメラのストロボがたかれる。
やがて扉が開き、憔悴しきった様子の大和田氏が、マスク姿で現れた。弱々しいその足取り。かがみこんで、慈しむように妻の遺骨を抱え上げる。

その日、何度も繰り返し放送されたこの光景を思い出すたび、切なさで胸がいっぱいになる。
そのまま一礼して家の中に引き返してもよかったろうに、報道陣に近づき律義に挨拶をされた。
「こんな形での帰宅は本当に残念で、悔しくて、悲しいです。どうか皆さんも、くれぐれもお気を付けください。それが残された家族の願いです」
芸能人とはいえ、尋常でない妻と再会の瞬間である。他者に向け発する言葉にどれほどの意味もなく、早く二人きりになって話がしたかったろうに。

生前の岡江さんは、長らくお茶の間の顔だった。毎朝、多くの国民が彼女の笑顔を励みに、1日をスタートしていったことだろう。
夥しい数のバラエティやドラマに出演され、ご自宅には主な映像のストックもあるはずだ。
人気商売ゆえの限られたプライベート時間、家族で撮った写真やホームビデオだって、少なくないかもしれない。

そうであっても。
ある日突然病院に搬送され、面会も会話の一つもかなわず、最後のお別れさえ出来ないまま荼毘に付され、小さな箱に骨となって無言の帰宅をした最愛の人を想えば、過去の映像にどれだけの慰めがあるというのか。
むしろ画面の向こう側で生き生きとコメントする過去の彼女に、いたたまれなさを覚えたりはしないか。
埋まることなど決してない圧倒的な喪失感を前にすれば、ただ時が流れ、日常の雑事に追われながら、悲しみが薄らいでいくのを待つしかないのだろう。

ふと思った。
岡江さんが生前、旦那さんやお子さん、近親者に向けメッセージを託していたとしたらどうだろう。
法的根拠のある「遺言書」ではなく、あくまで相手への思いを形にしたメッセージとして。

初めて出会った時の、素直な気持ち。何度も会ううち生じた、心の変化。
苦労が実った瞬間、新しい家族が増えた日、人生の転機に訪れた喜びの数々。
挫折し、絶望にさいなまれた過去。
あまりにも近すぎ、かえって言葉にするのが憚られた、愛情や感謝の表明。
先に自分が逝ってしまった際に、遺された人が保ち続けてほしい気持ちのありようなど。

「あなたと出逢い、生きてこられて、私は幸せでした」
このありきたりなようで、普段であれば実に陳腐で、なのに最上の輝きを放つ一言をメッセージの中に見出せたなら、悲しみの淵にある遺族はどれほどか報いられることだろう。
手紙でもいいし、表情の伝わる動画にすれば、なお良いかも知れない。

逝ける者が、今後も生きていく者に送る最後のメッセージ。
会社を辞めるにあたり、自分で始める小さな事業にしてみたい。そう考えた。
在職中に知り合った30代の若きクリエーターが、動画作成を手伝うと言ってもくれる。
遺された人たちを少しでも慰撫できるお手伝いが出来るなら、世のため人のためになる商売じゃないか。

イラスト hanami AI魔術師の弟子



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