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最後の調べ

2025年、日本人の4人に1人が、75歳以上の超高齢化社会を迎える。
2030年、厚生労働省の試算によれば、自宅はおろか病院や施設でも死を迎えられない人口が、47万人に達するとされている。

家族が自宅で看取みとるのが当たり前だった時代はとうに去り、核家族化・少子化と共に、空きの無い施設にも入居できない老人が増えていく一方になる。
彼らは誰にも最期を看取られることなく、孤独な死を迎えるのだ。

数年前、「看取みとり士」という存在を知った。
人生の終わりに近い人たちの肉体的・精神的な負担を取り除き、安らかに過ごせる手助けをするのが、看取みとり士の仕事になる。
依頼者が、残された時間をどう生きたいか、どのような最期を迎えたいかとの希望に添いながら、最期の時までを一緒に過ごす。
ターミナルケアが身体の痛みを緩和し苦痛を取り除くように、死に対する恐怖やこれまでの人生に対する後悔や反省といった心の痛みをいやし、理想の死を迎えられるよう最善を尽くすのだ。

2019年9月、柴田久美子(一般社団法人日本看取り士会会長)の著書『私は、看取り士』を原案にした映画『みとりし』が公開された。
観たいと思っても静岡での上映の機会がないまま過ごしていたら、こちらもAmazon primeAmazon primeAmazon prime会員向けに、無料公開されていた。

ある日、大切な愛娘を失った柴久生は自らも後を追って死のうと試みるが、その時にふと脳裏に「生きろ」という男性の声が響いた。それは長年の友人であり、既に亡くなっている川島の最期の言葉であることを、川島を看取った看取り士の女性から聞かされた。友の声に生きることを決めた柴は、川島の死を疎んじる上司の態度に怒りを覚え、会社を退職する。
柴が第二の人生として選んだのは看取り士。岡山県高梁市にある看取りステーションに勤務する柴はベテラン看取り士として、余命宣告を受けた患者に寄り添い、逝去するまでの間に患者の希望をできるだけ叶えてあげるためにともに過ごしていく日々を送る。
そしてそんな最中に、看取りステーションに新人の高村みのりが赴任してくる。柴や高村は地元の診療所などと連携しながら、多様な死と向き合っていこうとする。
ある時、高村は3人の子どもを育てながらも余命宣告を受けた女性患者を受け持つことになり、苦悩する。実は高村も幼い頃に母親を失くした経験があり、子どものことを思うといたたまれない気持ちになった。苦悩する高村に柴は看取り士としてその女性とどう接するべきかを温かく導いていく。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本看取り士会は平成24年、一般社団法人として設立。
令和2年からは株式会社も設立し、派遣業務を行っている。 全国27都道府県64カ所にステーションがあり、看取り士は2,494人。
内訳は5割が看護師、3割が介護福祉士、一般人が2割だそうだ。

映画ではいくつかの死出しでの旅の様子が描かれるが、臨終の間際に近親者が腕枕をし、旅立つ相手に自らの想いを語りかける。
それは感謝の言葉であったり、幸せな時代の回想であったり、ときに十分に接してこられなかったくやみであったりもする。
人間のもつ五感の中で、最後まで機能しているのは聴覚だという。そういう意味で、これはきわめて有効な看取りの手法だろう。

興味深いのは襟と首の間に手を置き、呼吸を相手に合わせるというものだ。
分娩時に痛みを和らげる呼吸法として定着している「ラマーズ法」の、これは看取りバージョンではないか。
人間関係が良好な状態を「息が合っている」と表現するように、相手の呼吸と自分の呼吸のリズムを合わせることで意思疎通がしやすくなり、安心と信頼が生まれる。
最後のコミュニケーションが「合わせる呼吸」にあるとは、大きな発見だった。

とくにおひとり様にとっては、日本看取り士会は”その時”に頼れる存在になるかもしれない。寂しがり屋の我々日本人なら、誰かに見守られながら旅立ちたいと願う人は、少なくないはずだ。

僕なら、どうだろう。
気づかないうち死んでいるのが理想だが、死の床で一定時間過ごす場合もあるだろう。
その際、最後まで機能している聴覚に対し、どんな音楽を流してもらうかが焦眉しょうびの課題となる。よって立会人が一人は必要で、事前に「コレかけてね」と依頼しておかなくちゃならない。至難の業である。
BN4000番台から1枚選ぶだけでも不可能に近いし、クナとニルソンの「トリスタン」で昇天したい誘惑も避けがたい。
『浜千鳥』を小鳩くるみにするか由紀さおり姉妹にするかも悩ましいし、やっぱり裕美ちゃんの『茶色の鞄』を抜いては義理に欠ける気がする。
ビリー・ホリデイは必須だし、彼女をリストに入れながらレスター・ヤングを外すわけにはいかんし、そうなるとジョージ・ルイスのクラリネットが聴きたくなって、やっぱエリントンが入ってないのはおかしいし、それを言うならパーカーの『ラヴァーマン』は不可欠で、ドルフィーはどうした、ルー・リードを無視するのかとか、だいたいが予め決めておいたって、その時になれば気が変わってディーリアスの『イルメリン序曲』1曲でいいやとかなりかねない。考え出すと、収拾がつかなくなってしまう。

というわけで僕には、死ぬに死ねない事情があるのであった。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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