世界にひとつだらけの花
SMAP『世界にひとつだけの花』に関しては、その歌詞の解釈をめぐって、むかしから論争があるらしい。
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この出だしから、すでに異論が噴出する。たとえば、
花屋に並べられた花は商品となるべく、特別な環境で育てられる。
商品としての価値を高めるため、「価値なき」雑草は駆除され、同じ花でも売り物にならないモノは間引きされ、剪定され、「競争」に勝ち残った花だけが店頭に並ぶ。
客の歓心を買って売り物になるため、花はひたすら競争させられる存在なのだ。
見てくれの悪い花、売り時を逃した花は処分される。
ある意味で、人より過酷な生存競争に置かれた花屋の商品を「きれいだね」と愛でる、無邪気に過ぎる歌詞が不快というものだ。
ネットにあがった批判的な意見としては
もちろん、擁護する意見も少なくない。
平成以降の流行歌に疎い僕でも、2003年に大ヒットしたこの曲は、やたらと耳に入ってきた。きっと移動中のカーラジオをつければ、日常的に流れていたんだろう。
馴染みやすいメロディに心地いいアレンジ、なにより当時トップアイドルの曲である。売れないはずがない。
ジャニーズや(複数の声部が同じ旋律を同じ音程で合唱する)ユニゾンが苦手な僕に端から関心はなかったが、それでも半強制的に聴かされるうち、歌詞に相当な違和感を持つようになった。
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
この歌の中に、何か政治的なメッセージが隠されているなどとは思わない。
むしろ作り手やこの曲を受け入れた当時の人たちが、無意識に、無批判に、個人主義を礼讃する様が不気味だった。
「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」とは、歴史との繋がりや社会を構成する一員であることなど考えず、自分の人生をより良くしていくことだけに傾注せよとのメッセージに他ならない。
当時の横浜市長(現参議院議員)が「よくぞこの歌を作ってくれた!」と、手放しで賛辞を送っていたのが記憶に残っている。「僕はカラオケに行くと、必ずこの曲を歌うんですよ!」
共同体の利害よりも、成員一人一人の利害を重視するのが「個人主義」であるなら、 自分の利害で他人の利害を測る現代の「利己主義」まで、すでにあと一歩という状態まで迫っていたわけだ。
これはある意味、「個」が確立したうえに「全体」が成立するという欧米型の立場とは異なる。
そもそも「個」が確立しているとはとても思えない日本人が、「全体」さえも全面否定してしまったら、共同体として残るものは何もないじゃないか。
明日に続く
イラスト hanami🛸|ω・)و
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