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暗い日曜日

『暗い日曜日』という曲がある。
この曲を聴いた人の多くは、自殺してしまうという。それがあまりにも多発したため「自殺の聖歌」という異名を与えられ、複数の国や放送局で発売禁止処分を受けたそうだ。

暗い日曜日 両手に花束を抱えて
わたしは部屋に入っていく 疲れきった心で
だってもう あなたが来ないことが分かってるから
愛と苦しみを言葉に込めて歌うの
一人ぼっちで涙に暮れるわたし
霧が悲しみに揺らめくのを聞きながら
暗い日曜日

耐えられなくなったら 日曜日に死ぬわ
戻ってきて欲しい でももう行かなきゃ
ろうそくの火は希望のように熱く燃え
あなたを思うわたしの目は大きく見開き
あなたに会える喜びに恐れも消える
命よりも大切だったあなたに会いたい
暗い日曜日

SOMBRE DIMANCHE Damia

たぶん僕の勘違いから、1936年に録音・発表されたダミアの “Sombre Dimanche” が原曲と、長らく思い込んでいた。
聴くと自殺したくなる曲なんだと雑誌か何かで目にすると、当時10代半ばだった自意識過剰の小僧は、聴きたくって仕方ない。となると、当時はFM放送でかかるのを気長に待つか、レコードを購入するかの二択しかなかった。
ちょうどこの時期、往年の名シャンソン歌手のシリーズが廉価盤で発売されて、ダミアの1枚をワクワクしながら購入する。

冒頭で上行するマイナーキーのメロディ。何かが始まる予感。
続いてリフレインされる下降メロディ。この音形が繰り返されていく。
シンプルなメロディに絶望的な歌詞が乗り、耳について離れない歌になっているのは間違いない。何度も聴いたから、すっかり耳に馴染んでいる。

一方で、過剰に暗いこの歌の世界に入り込むことがなかなかできず、「死にたくなる」人の気持ちが理解できないままにいた。

『暗い日曜日』の原曲が、1933年にハンガリーで発表された『Vége a világnak(世界は終わりつつある)』であり、戦争によって引き起こされた絶望について歌われたものだと知ったのは、つい最近だ。

曲は最後、人々の罪について静かな祈りで終わる。歌詞の基礎となるのは人間の不正義に対する非難であり、現代世界と悪を行う人々を憐れんでくださいという、神への祈りが込められていた。

なんかこの歌を下の映像の抱き合わせで聴くと、ダミアよりはるかに重く、明日への希望が見えない暗闇の中を、当時のヨーロッパの人々がさまよっていると感じずにはおれない。
そうか、元はこういう時代の歌だったんだな。

その後、詩人のラースロー・ヤーヴォルが、恋人の死を受けて主人公が自殺を望む「Szomorú vasárnap (悲しい日曜日)」という独自の歌詞をメロディにつけた。当時、ヤーヴォルは婚約者を失ったことで失意のどん底にいたという。

こちらがポピュラーになった結果、前者(『Vége a világnak(世界は終わりつつある)』)はほぼ忘れ去られてしまう。
1935年、パル・カルマールによって、ハンガリー語で初めて録音された。

100の白い花咲く 悲しい日曜日 私は教会で祈り あなたを待っていた
夢を追いかける日曜日の朝は 私の悲しみとなって あなたなしに戻ってきた
それ以来 日曜日はいつも悲しく 涙が私の唯一の飲み物となり 悲しみが私のパンになった
悲しい日曜日 最後の日曜日 愛する人よ ここに来て
司祭がいて 棺が置かれ 葬儀が行われ 聖骸布が敷かれた
それでも花は待っている 花と棺 花咲く木の下で 旅は最後だ
私の目はもう一度 あなたに会えるように開かれる
私の目を恐れないで たとえ死のうとあなたを祝福するから
先週の日曜日

Kalmár Pál: Szomorú vasárnap

1930年代の報道では、ハンガリーと米国の両方で発生した少なくとも100人の自殺が、『暗い日曜日』と関連付けられていた。
今日こんにち、関連しているとされる死のほとんどは、検証することが困難である。
この曲が作曲された10年間、飢餓や貧困など他の要因により、ハンガリーで多数の自殺が発生したのを脚色したものであるとの説が有力だ。
この歌と自殺との明確な関連性を示した研究も、これまで存在していない。
『暗い日曜日』はまさしく、2つの世界大戦の狭間はざまを生きたヨーロッパ人の心のうちを、象徴する歌なんだろう。

ちなみに作曲者は、この曲を書いた約35年後の1968年1月11日、自殺した。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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