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2022年のわたしへ

2022年が終わる。

この一年間は2020年、2021年と比べるとそれほど辛い一年ではなかった…とは言え、それはまた少し違った、わたしにとってある意味「激動の一年」だった。

がんになったはなし

わたしが“がん告知”を受けたのは2018年の11月の終わり。

姉が48歳という若さで返らぬ人となってしまった、同じ病『乳がん』。

「なぜわたしまで…」

神様は残酷だと感じた。

右乳房の全摘除術を行なったのは、翌年2019年の2月。

そしてわたしのがん細胞はグレード3であることが判明した。

グレードは1〜3まであり、3が一番悪いとされている。

転移がなく安堵したのも束の間、私の心はまた地の底に落ちていった。

いや、『がん』と告知された時よりもショックは大きかったかも知れない。

グレード3。

その数字が信じられないくらいほどの強さで、わたしの上に覆い被さった。

再発・転移抑制のため、すぐにホルモン治療が始まり、それは現在も継続中。

抗がん剤治療とずいぶん医師は悩まれたが、
「ホルモン治療を10年続けましょう」 
となり、わたしはそれに従った。

5年を経過しても再発し、死亡する患者が多いとされる『乳がん』。

“いつまでも再発するがん”と一部では呼ばれている、イヤな病気である。

全摘除術からもうすぐ丸4年。

再発と転移に怯えながら、わたしは今日も生きている。

こころの病のはなし

がんが見つかり、それでも気持ちを立て直し、治療しながら前を向いて歩き始めていた矢先、「身体」の次は「こころ」が壊れた。

2019年の11月頃から徐々に、倦怠感、動作時の呼吸苦が出現し、疲労感もひどく、息切れがどんどん酷くなっていった。

当時は医療機関で勤務し、忙しく日々を過ごしていたわたし。

イヤなことはたくさんあったけど、それでも仕事は楽しく、やり甲斐もあり、“天職”だとも思っていた。

乳がんと付き合いながら、このままこの仕事を続け、人生を貫くことになんの迷いも疑問も持っていなかった。

体調不良の原因が、ホルモン治療薬の副作用だと思い込んでいたわたし。

あまりの辛さに乳腺外科の主治医に相談するが、治療薬との関連性は低いとの返答であった。

循環器内科や呼吸器内科を受診するよう指示されたが、内科でどのような検査をしても異常は何ひとつ見つからなかった。

わたしの身体にいったい何が起きているのか…。

何人もの医師が首を傾げた。

そして主治医はこう言った。

「一度精神科の先生に診てもらったほうがいい」

わたしは笑いながら答えた。

「そんなことあるわけない」と。

不本意ながらも言われたとおり、精神科クリニックを訪れ、そしてなんとその初診日に診断がついた。

長年の職場のストレス、そこに病気になってしまったことのストレスが重なり、わたしの症状の原因は『適応障害』だと言われた。

あとからつけられた正式な病名は『混合性不安抑うつ障害』。

適応障害はそのままにしておくと“鬱”になる危険性があるという。

診断がついたと知らされた瞬間、なぜかホッとしている自分がいた。

「やっとこの苦しみの原因が判明した」

そして、初診で診断がついたのも理解できた。

なぜならわたしは、精神科の先生の前に座ったとたん、泣き出してしまったのだ。

そしてこれまで辛かったことを涙ながらに話した。

それは次から次へと溢れてきた。

そう、思い当たることは山ほどあったのだ。

わたしはとても毎日が苦しかったのだ。

退職のはなし

産業医を通して上司に報告をし、仕事をセーブしてもらい、職場環境にも配慮していただいた。

働きながら様子をみていたが、それでも身体はとうとう悲鳴をあげた。

勤務中に、生まれて初めて全身から血の気が一気に引くような、恐ろしいスピードで身体そのものが落ちていくような脱力感を体感。

「あ…このまま死んでしまうのか…」

そう感じるほどの恐怖を覚えた。

通勤するのもやっとのことで、歩くペースはそれまでの何倍も時間がかかるようになった。

ロッカールームにたどり着く頃には、もう一日分の体力を全て使い果たしたかのような感覚になった。

それでも仕事をなんとかこなした。

患者さまの前では笑顔でいれた。

しかし、帰り道は真っ直ぐ歩けなくなるほど疲弊。

トボトボ歩いては止まり、歩いては止まりを繰り返しながら、ほんの一瞬意識が飛ぶこともあった。

とてもじゃないが、続けることは困難だと感じた。

精神科の医師も、もう仕事から離れたほうが良いという意見であった。

そして2020年の3月から完全に休職することとなる。

しかし休職の猶予期間はたったの半年。

組織の決まりだった。

仕事から離れて体調は驚くほど改善したものの、その半年間で元の職場に戻ることは出来なかった。

自信と気力を取り戻せなかった。

9月末をもって期間満了となり、わたしは長年勤めた“天職”とも思えた仕事から身を引いた。

完全に退職という形になり、身体は驚くほど楽になった。

しかし、一度壊れたこころはなかなか元には戻らないことを、そこから身をもって体験することになる。

日によってコンディションは一進一退を繰り返していた。

良いときと悪いときの差が激しかった。

ネットショップのはなし

こころ穏やかに暮らす。

ただただそれだけを考えていた。

そんな中、何もしていないことに焦りを感じ始めたわたしは、なんとなく紙とハサミ、ノリなどを使い、ペーパークラフトを始めた。

昔から手の器用さには自信があった。

小さい子が喜びそうな、壁に飾るガーランドなどを作り始めた。

きっかけは孫たちに作ってあげたアンパンマンのお面だった。

今まであまり経験したことのない楽しさや達成感を感じたのだ。

それは子供たちや孫たちにも好評で、
「お母さん、コレ売れるんじゃない?」
という言葉に乗っかり、とうとうネットショップを始めるまでに。

そのことは、わたしにとってかなり大きな出来事であった。

それは自信にも繋がり、生きているモチベーションにもなった。

しかも作業はとても楽しく、心が無になれる。

創作活動をしている時は、とても体調が良かった。

ペーパークラフトに加え、なんと洋裁も始めた。

孫たちのために残り布で子供服を作ったのがきっかけとなり、ミシンを購入し、本格的な子供服の販売も始めた。

しかし、そう簡単には売れはしない。

金銭的な不安は常にあり、ネットショップとは別に、
「そろそろ再就職活動を始めないといけないな」
と思い始めた。

しかしそれは、ようやくわたしのこころが沼から抜け出すことができたということを意味していた。

どん底にいた時は、ただただ不安で悲しく、時には怒りとともに
「何でわたしだけが…」
と泣き叫び、その矛先をどこに向けていいのかも分からず、涙とため息と息苦しさだけの辛い毎日を過ごしていた。

そんなわたしが先のことを考える余裕が出来たのは、創作活動をし自信を取り戻したからだ。

精神科の医師にも、受診のたびに自分の気持ちを正直に報告していた。

「ネットショップをやりながら働くことは良いことですね。両方を“逃げ場”としてやっていけば良いんじゃないかな」

先生のその言葉で私の気持ちは固まった。

そしてその場で“就労可能証明書”を書いてもらい、求職活動を始めたのだ。

それが2021年10月のはなし。

そのあと、わたしは精神科をいったん卒業した。

新しいお仕事のはなし

「就活をしよう」

そんな風に思えるようになったことは、家族や友人たちの応援のおかげ。

「いいと思うよ」
「素敵」
「Tomoka らしい」
「応援してるよ」

そんな言葉をいただいたからこそ、前に進むことができた。

ハローワークの職員さんに相談にのってもらいながら、少しずつ焦らず気長に、マイペースで就活を始めた。

精神科の通院は一旦卒業できたものの、『混合性不安抑うつ障害』が完治したわけではない。

こころの病は奥深い。

完治と言える基準はない。

その判断は難しいものだと自分でも思っている。

大好きだった仕事を退職し、この“ note ”と出会い“書くこと”を始め、ハンドメイドの世界に足を踏み入れた。

少しずつだが、なんとか前に進めている私。

年は明け、ここからが2022年の話しである。

ハローワークに足繁く通う日々。

元々居た医療現場に戻ることも考えたが、前のような過酷な仕事をもう一度やるという選択肢はなく、それなら「医療」から離れてみるのも良いのではと思い、一般企業での再就職を考えた。

何よりも、その仕事を自分が『やってみたい!』と思えるかどうかに重きを置いた。

そして今年の4月。

とうとう新しいお仕事が決まる。

まさに、前職を退職してから2年という月日が経っていた。

わたしが次に選んだ世界は「医療」ではなく「福祉」だった。

高齢者に特化した福祉施設。

意気揚々と、心機一転、「人生やり直す」くらいの気持ちで入社した場所だった。

こころがまた壊れたはなし

これまで幾度となく転職してきたわたしだった。

それはシングルで3人の子供を育てながらの、子供たちの成長にあわせた働き方を変えるための転職だった。

しかし、たったの1ヶ月で辞めるなんてことは、人生初めての出来事だった。

原因は『体調不良』。

2年前と全く同じ症状が出現。

要するに、こころがまた壊れてしまったのだ。

このまま無理を重ねると、また精神科通いとなり、訳もわからず涙し、高齢の母に怒鳴り散らすという日々に舞い戻ってしまうに違いない。

その恐怖からわたしは逃げ出した。

興味のあった「福祉」の世界でがんばっていきたかった。

がんばれると思っていた。

しかし、思った以上に身体がついていかなかったし、思っていたほどこころも元気ではなかった。

新しい職場の方の言葉の数々がわたしのこころにグサグサと突き刺さり、毎日毎日突き刺さったナイフをひとつずつ抜き取るけれど、徐々にその力も弱くなり、とうとう抜き取ることが出来なくなってしまった。

その方の顔も見れなくなり、笑えなくなった。

利用者さんが笑顔を見せてくれたり、優しい言葉をかけて下さると涙が溢れてきて、必死に泣くのを我慢した。

申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

情けない気持ちでいっぱいだった。

でも、わたしはその場所から逃げ出した。

それが正解なのか、間違いなのか…それは今となってもわからないけれど、わたしは生き延びたと思っている。

逃げ出すことは勇気のいること。

忍耐力も確かに大事だし、なんでもかんでもすぐに諦めるのは良くないかも知れない。

でも、ガマンし続けることだけが立派なことではない。

攻撃されて、傷ついて…、
また攻撃されて傷ついて…。
誰にも相談できない。
相談しても改善されない。

そんな辛い痛い毎日を過ごすくらいなら、わたしは勇気を出して逃げ出すほうを選んでほしいと思うのだ。

もう大丈夫。
もう元の健康体に戻った。

そう思ってまた働き始めたけれど、こんな簡単にたった1ヶ月という短期間で、あっという間に逆戻りするなんて。

“こころの病”は雑草のように根強いのだ。

いまのお仕事のはなし

4月の1ヶ月間、みるみるうちにわたしから笑顔を、そして体力気力を奪っていったもの。

それが何だったのか、わたしは考えないようにした。

忘れられない言葉は確かにココにあるけれど、それが全てではない気がするから。

もしかしたらわたしも誰かを傷付けている。

そんなふうに思うから。

わたしにはまだ早過ぎたのだ。

昔のように普通にバリバリ働こうなんて、わたしにはまだ早過ぎた。

退職してからまたハンドメイド活動に戻り、心を無にしながら創作を続けた。

穏やかに穏やかに、わたしは徐々にまた満たされていった。

そしてようやくまた前を向くことができ、短時間のお仕事を始めることにしたのだ。

そう、少しずつ、ゆっくりと。

それは同じような時期に同じくして出会えたふたつのお仕事。

今思えば不思議なのだが、どちらも10月からスタートしていて、ひとつは午前、もうひとつは午後のお仕事。

さらにどちらも直行直帰のお仕事で、人とのストレスもほぼなく、これは出会えるべくして出会えたお仕事では…と思うくらい、今のわたしにとってベストな条件だったのである。

午前のお仕事は、図書館のお掃除。

図書館は私の好きな場所のひとつ。

時間はとても短いもので、開館する前の1時間少し。

頻度は今は週に2〜3日程度。

病気のことやブランクがあることなど正直に話し、ずいぶんと会社側が考慮してくださった。

場所は自転車で行ける距離。

館の職員さんとは軽く挨拶をする程度で、人と関わることはほぼなし。

お掃除は「良い運動したな」と思えるくらいの運動量。

交通量の少ない道を走るので、気分も爽快だ。

川沿いの景色の良い道なので、ゆっくりと自転車を走らせながら通っている。

午後のお仕事は、医療機関から運送会社までの、検体の回収搬送のお仕事。

これはバスや電車を利用しての搬送なので、1回につき約2時間くらいかかる。

患者さまの大切な検体なので、重要任務であるし、破損しないように気をつけないといけない。

頻度は今は週に1日。

これから徐々に増やしていただく予定である。

こちらも直行直帰で人と関わることは少ない。

医療機関に勤めていた経緯が、ここに来て役に立ったのかも知れない。

運良く採用され、今はこのふたつのお仕事で、バランス良く充実した日々を過ごしている。

これからのことは考えない

収入面のことを考えると、不安がないと言えば嘘になる。

しかし、わたしは未来のことはあまり考えないようにしている。

なぜなら、早まってまた過去に逆戻りすることはもうイヤだから。

ゆっくりでもいいじゃないか。

前に進んでいれば。

後悔はしない。

今を生きる。

今を大切に生きる。

今を元気に笑顔で過ごす。

今はそれで良しとしよう。


2022年がもうすぐ終わる。

この一年間はわたしにとってある意味「激動の一年」だった。

それはまさに、新しい仕事との葛藤であり、自分との葛藤であった。

でもこうやって今、微力ながらもようやくお仕事ができている。

綺麗な環境で本と向き合える。

検査が迅速に行われ、無事結果がご本人のもとへ返る。

ほんのひと握りの人かも知れないが、わたしはわたしのお仕事で誰かのお役に立てている。

そう、ようやくわたしは社会に復帰できたのだ。

今わたしは幸せだ。

そう感じながらこの一年を振り返ることができる今、やはりわたしは幸せだと再認識する。

わたしの人生は一度きり。

2023年を迎えるにあたり、わたしは声を大にして言いたい。

わたしは今を生きている!!


最後までお読みいただき有難うございました♪

皆さまいつもありがとうございます。

おかげさまで、とっても happy で充実した note ライフを過ごせた一年間でした♡

また来年もどうぞよろしくお願いいたします。

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)

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