きのう初めて母を
きのう初めて母をお風呂に入れた。
すっかり足腰が弱くなり、認知機能も衰え、実家の古いお風呂に1人で入るのが難しくなってきたから。
着替えを手伝うことはしていたけれど、お風呂の介助は初めて。
私は服を着たままで。
腕まくり足まくりをしたら気合いが入った。
まだ寒いので、重ね着しているから服を脱がせるのも一苦労。一枚、一枚…脱ぐのにも時間がかかる。やっとのことでスッポンポンになった母は、痩せてしまって完全におばあちゃんだった。当たり前だが悲しかった。
それでも、悲しんではいられない。母をお風呂に入れるのだ。
まずは湯船に入って身体を温めてもらう。湯かげんを聞いても「気持ちいい?」と聞いてもはっきりと返事がない。わからないのだろうな、とあきらめる。
1分くらいで、ヨロヨロと立ちあがろうとする。最近の母は、とにかくじっとしていてくれないのだ。
「まだ寒いからもう少し温まって」と制して、2分くらい我慢してもらう。子どもの頃、湯船で100数えたりしたことを思い出す。
その後、慎重に湯船から出てもらい、髪と身体を洗う。上からシャワーをかけてあげて、自分でシャンプーしてもらう。
いつのまにか髪が薄くなってるなぁ。髪が多いのが自慢だったのに。
流したあと、コンディショナーも。一瞬、省略しようかと思ったが思い直した。
その後、身体を洗う。
ナイロンタオルを渡して、ボディソープはこれ、と教えてあげる。自分で洗えないわけではない。ただ、何をどうしていいかわからないのだ。
背中だけは流してあげた。
これまでも、旅先のどこかで母の背中を流したことはあったかもしれない。でもそれとは全く違う次元。
韓国だと、銭湯へ行くと知らない人にも背中を流すことを頼まれる。20代後半に1年ほどソウルへ留学した頃、30年くらい前の話だ。
最初、不慣れな私は、頼まれるのがすごく嫌だったけど、だんだん慣れてしまって、そのうちに「はいはい」とやるようになった。
ちなみに、流してあげたら、必ず相手もやってくれる。自分がやってもらうほうも苦手だったが、それもだんだん慣れていった。
そうだ。何事も慣れなのだ。
回数を重ねれば、慣れていくのだ。
だから、今日がいちばん最初の体験。
慣れていない、記念すべき体験だ。
そう思って、真っ裸の母と向き合った。
全身をきれいに洗って、最後に洗顔。
目をショボショボさせながら顔を洗う母の姿は、小さな子どものようだった。
全身きれいに流して、はい!きれいになりましたー!
段差に気をつけながら、風呂場から脱衣スペースへ。
濡れた体をふいて、あらかじめ準備しておいた着替えを順番に渡す。湯冷めしないよう、元通りに重ね着をさせて洗面所へ移動。
ドライヤーで髪を乾かして、やっとこさ完了。
トータル約1時間。よくやったね、私。
母はずっと何も言わなかったが、最後につぶやくように「大変なお世話をかけました」と言った。
わかっているの?
わかっていたか。
どんな気持ちだったのかな?
もはや、恥ずかしいとか申し訳ないとかもないのかな。その方がいいけれど。
私は、私はどんな気持ちだったかな?
自分に聞いてみた。
悲しい気持ちもあるけれど、私のどこかは幸せな気持ちを感じていた。なんとも言えない初めての気持ち。
母との関わりが、今はもうすっかり変わったのだということ、それを頭でなくて、お風呂場で、湯気の中で、身体で感じた時間だった。
いつでも何でも私(たち)にしてくれるばかりだった母が。
私にこんなことをさせてくれた。
子どもをお風呂に入れた経験もない私が、こんなことできたんだ。
だから私は嬉しかったのだ、と思う。
今のところ、かもしれないけれど
この先はどんな気持ちになるかかわからないけれど。
だからこそ今、書いておこう。
お母さん、ありがとう。
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