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ケケケのトシロー 4 

ある日、妻の真由美におつかいを命じられたトシローはスーパーで万引き騒ぎを見かけ、言わなくてもいいことを言って、やんちゃな兄ちゃんに袋叩きに合いカツアゲされ、失禁した。それを見ていた不気味に笑う影のような男に己の情けなさを指摘され肩をおとす。大根を買っていないトシローは再びスーパーに行くが、また兄ちゃんに遭遇してしまった。

前回までのあらすじ

(本文約3000文字)

「ほらよ、大根」
「え……」
 俺の持っていたレジかごに放り投げられるように入れられた大根は、たいそう立派だった。ずしんとかごの重みが増す。勢いで肩の関節が外れなかったのは幸いだが、口が暫くポカンと開いていたのは、顎が外れていたのかもしれなかった。

「さっきはすまんかったのう、ほれ、これ、さっき落としたやろ」
 兄ちゃんは口を開けたままの俺に200円を返してくれた。
「あわ、そんら、けっこうらのにすんわへん」(あら、そんな、結構なのにすんません)口を開けたまま喋ったので多分通じていなかったろう。しかも少し涎も出たかもしれない。俺は手で一旦、口を閉鎖する。

 兄ちゃんはスーパーのキャリーにかごを二つ乗せている。まだカレーかなんかの箱が一つ入っているだけだ。これから何を買うのだろうか。しかしあれだけの大騒ぎになったのに、よくまた買い物に来れるものだ。度胸があるのかそれともバカなのか…… 勿論、口にはしない。流石に俺も学習した。いらぬことは言わぬに限る。

「爺さんは大根だけ買うのか?」
「え、あ、そうです。大根だけ頼まれたのでね」
「そうけ、まあ、詫びのつもりで、なんか欲しいもんあるんやったら言えや」
 兄ちゃんは先ほどと違い、ニコニコと、俺はほんまはエエ奴やで~、と、言わんばかりの笑顔で首の後ろ辺りをポリポリと搔いている。照れ隠しやんか、やんちゃな奴がする典型的な照れ隠しやんか!

 爺さんって、さっきはジジィって言ってたのにそれに、詫びのつもりで、好きなもの買ったるって? え、ほんまにこの兄ちゃん、エエ奴? うん、そうやろ。こいつはほんまはエエ奴なんや。きっとそうや、そのうち、俺を「自分の親か爺さんのような感じがするねん」とか言い出すぞ。
 きっと俺のことを痛みつけたことに、自分の心が痛んだんや。そうや、そう。俺との出会いがこの兄ちゃんの人生を変えたのかもしれん。

 これは小説のネタになるぞ……

 俺はそれから兄ちゃんと店内を歩いた。兄ちゃんはカゴに『今日の晩飯やねん』と言い、肉を入れる。お、国産黒毛和牛や、高いやっちゃ、ウチでは娘が帰ってきたとき以外買わんな。豚やしな、普段は。
「爺さん、肉好きか?」
「あ、スキやで」
「うちの親父も肉、好きやったなあ。あ、親父は早くにおらんようになってんけどな」
「そうか…… 残念やったな」
 あ、会話が仲良し風になってる…… 兄ちゃんは『ほな、これ喰うて』といって黒毛和牛のすき焼き肉のパックを3つ、俺のかごに入れた。そして自分のかごにも入れる。

 黒毛和牛が一頭、かごに飛び込んできた気がする。今度こそ、肩が外れるかもしれない。それほどに黒毛和牛の重みは生半可ではない。

 兄ちゃんは続けて酒のコーナーでビールの6本パックを『飲むやろ?』と入れてくれた。俺は目頭が熱くなる。それはやりすぎや。俺は黒毛で十分に感動してるんや。兄ちゃん、あんたの後ろ姿、かっこええで。しかし、かごの重さが限界点に近い。こんなことならキャリーを使えばよかった。なんせ大根一本の予定だったからな。

「嫁さんはいてるの?」もう、兄ちゃんの言葉自体が柔らかい。
「ああ、いてるよ」
「子どもさんは?」『子どもさん』やて! キャー。

「ああ、娘が二人おるよ」
「そうか、それならお菓子も買うか?」
「いや、もう大人やから」
「大人でも買うやろ、奥さん甘いもん、好きじゃないんか?」
「いや、好きやけどな、太るからな」
「ほんまやなって、聞いたら奥さん、怒りよるで」
「いっつも怒っとるわ ガハハハ」

 俺たちは笑いあっている。もう、コインランドリーのGパンとパンツはどうでもいい。スリル満点のマンションのエレベーター・ミッション・インポッシブルも遠い過去の一場面だ。

 人間は分かり合える。俺はそう感じた。俺は意気地なしだし、根性もない。でも争いは否定する。ひとの道は守らねばならんと思う。争いで人は傷つく。でも話し合い、分かり合えば、そこからは人間同士。俺とこの兄ちゃんのように。

 いつの間にかレジかごが幸せで一杯になった。兄ちゃんのかご二つも一杯だ。

「俺が先にレジ通るわな、あ、お姉さん、俺のこのかごと、この爺ちゃんのと一緒に払うから」
 兄ちゃん、かっこいい! レジのお姉さんも笑顔で
「ありがとうございます。レジ袋はどうします?」
「俺はそうやな三枚くらいいるな、爺ちゃんの分は二枚くらいかな」
「袋一枚8円です」と言って、お姉さんは袋をそれぞれにくれた。

 レジ打ちの間に、この佃煮は旨いねんと兄ちゃんが教えてくれた。当然に俺のカゴにも入っている。しかし、ここで俺は浮ついた心が平常心に戻る。ちょっとレジかごに商品が入りすぎや。レジの合計額は俺の分が入り始めて2万円を超えている。

「ちょっと買いすぎちゃうの? なんかこれ、甘えられる量やないで」
 支払い機の前の兄ちゃんに声を掛ける。
「かまへん、かまへん。詫びにしたらすくない方や。ちょっとキャリーだけ戻してくるわ」
「はいはい」俺はかごの中の黒毛和牛に目がいく。
 
 真由美は大根で何を作るつもりなんやろ、ブリ大根かな…… 好きやけどな。でも、今日はこの肉ですき焼きのほうがいいな。いや、明日にしよか。娘のカナとマナミも呼んで、すき焼きしたほうがいいよな。明日は二人とも休日のはず…… 幸せや、一家団欒。

「ありがとうございます、3万2983円になります。3番支払機でお願いします」
「ありがと」
 俺はレジかごを3番支払機に持っていく。
「兄ちゃんありがとうな……」
 俺は堪えていた涙が一筋、頬を伝うのを隠さなかった。

 えっと…… 兄ちゃん…… 

「お客様、お支払いの仕方がわかりませんか?」
 さっきの店長が後ろから声を掛けてくる。いや、支払いの仕方はわかるのだ。問題は、兄ちゃんがいないことだ。
「お客様?」
「あ、え、いや、払いますけど」
 俺は財布を取り出す。中には3000円しか入っていない。
「どうされました?」
「いや、現金が」
「クレジットも使えますよ」
「あ、そうですか……」
 俺はカードを機械にかざす。瞬時に機械の画面には『ありがとうございました。レシートをお持ちください』の文字が現れる。

 兄ちゃん、兄ちゃん、このレシートを渡したら、いいねんな。そうやんな。兄ちゃん、入り口で待ってくれてるねんな。そうやんな。

 俺は倍になった心拍数に気付かぬふりをして、袋に商品を詰め込み、スーパーを出た。まるで初デートに待ち合わせた真由美を探した時のように、俺は兄ちゃんの姿を探す。

 いた! やっぱりいてたやんか。あー、ビックリした。ああ、車で来てたんか。お、運転席には奥さんか? 後ろに子供もおるな。男の子か、可愛い盛りやな、3歳くらいかな。

「あ、兄ちゃん、これ」俺は車に近づき兄ちゃんにレシートを差し出した。
「ああ、ごめんな。うわ、3万か! ちょっと詫びには多すぎたかな、気遣わしてしもたな、ゴメンやで」

「いや、それはこちらのセリフですわ、なに言うてますねんな」
「そうかいな、ほな、遠慮せずいただいときますわ」

「え……」

「ああ、これ、うちの嫁さんと子供やねん、おい、この爺ちゃんが買うてくれたんやで」
「えーほんまかいな、おじいちゃん、ありがとうね」
 ニコニコの奥さんが車から降りずに礼を言う。
「いや、あの、これ」
「なによ、レシートはいらんで。ほな、またな」

 兄ちゃんは車にさっと乗り込み『これでみんな水に流すからな、これからも仲ようしような、爺さん』と言い、車は走り去った。

 俺の心に木枯らしがふく。俺の人生はスーパーを最後の舞台にして終わったのだ。



5へ続く


エンディング曲

NakamuraEmi 「Don't」



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