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走れ!走れ!オレたち②

天上界その二

 羊が顔面を自分の涎でべちょべちょにしながら走ってきたことに大年神おおとしのかみは必死で笑いを堪えていた。
(お前は羊で牛じゃないぞ、涎、多すぎだろ。あー垂れてる垂れてる…お前、自分の毛でタオル作れ…「はーはー」言って興奮してるのか?何?息整えてから喋れ、何言ってるかわからんぞ)などと独り言をつぶやいていた。

 「・・・で、方位盤のところに寅がおらんメェ~、どうするメェ?」
かなりの時間を要したものの羊はなんとか大年神に事実を伝えた。
「う~ん」
大年神は一変して険しい表情になった。その様子に羊は少しお漏らししてしまった。
大年神は玉座から立ち上がり羊に命じる。
「今すぐに干支に集合をかけるのだ。もはや一刻の猶予もないぞ」
先ほど羊の涎に苦笑していた神とは全くの別神の様子に羊はまた少し漏らした。
「早く行け!!」大年神は雷神のような大声で叫んだ。
羊は涎とお漏らしでまたべちょべちょになりながら走り出す。
(なんでこんなことに巻き込まれるメェ~~)

 干支に集合をかけるのにはお釈迦様の方位盤へ戻らなければならない。
そこにいる門番の武官と干支の世話係の女官に事情を説明して、全部の干支に声かけをしてもらわなければならないのだ。
そこは大年神の直轄の場所だから、神の命令とあらばすぐに動いてもらえるだろう。羊は走りながらそう考えていた。(メェ~は考えるのに邪魔くさいから省いた)
 
 天上界の入り口を右に入って小高い山のふもとに方位盤はある。方位盤と言っても小さいものではない。地上界の東京ドーム5個分くらいはある巨大な石板だ。以前、天下一武道会なるものがここで開かれる構想もあったが干支の神事の邪魔になるし、興奮して干支が暴れても困るので話は流れたという噂を聞いたことがあった。ここは静かに干支が一年間、正確に時を運ぶ神聖な場所だ。羊も順番がきた時にはここで役を果たす。その時は涎も垂らさないしお漏らしもしない、だろう。

 門番の武官は羊の話が最初は信じられなかった。今まで干支が役目の最中にいなくなる(つまり脱走)なんてことは斉天大聖せいてんたいせいでもやらなかったことだ。最も彼の番の時には他のサルが役目を果たしていたのだが、それは今回どうでもいいことだった。
 武官は衛兵を集合させ、寅の捜索をするように命じた。加えて干支の出入場記録を調べる。確かに30日卯の刻に兎が入った記録がある。しかし出場記録がない。武官は当番の衛兵に事情を聴いたが、確かに入ったが出場はしていない。年末恒例の引継ぎをしていると思ったと答えた。

「たわけものが!なぜ確認を怠った!引継ぎの儀式は通常一刻で終わる。今は何時だ?おかしいとは思わんのか!!それで衛兵とは情けない!地上界に落とすぞ!!」武官の恫喝の迫力に羊はまたまた漏らした。

「お怒りはご最もですが親方様、あれをご覧ください」
すっかり意気消沈した衛兵ではあったが、お恐れながらと守衛館の無限発条時計むげんぜんまいとけいを指さした。
なんだ?と武官は訝しげに目をやる。
時計は卯の刻を半時すぎたところから動いていない。

動いてない…

武官と羊はかなり漏らしていた。


地上界その三

 
 世界が漏らし…いや、混乱し始めていた。
総理官邸はマスコミが殺到しその対応に職員が苦慮している。
3回目の緊急閣僚会議がつい先ほどから開始されたがなんの発表もなく、その予定もたっていない。そもそも時計の差す時間がバラバラになってしまい、閣僚が参集するのも手間取った。コンピューターに代表される電子機器はほぼすべてが正常に動作しなくなりつつあった。このままでは社会インフラが崩壊する。それは日本だけではなく世界も同じだ。しかし情報は錯そうどころかほとんど入手できる状態ではなかった。
 
 超大国はホットラインによる情報交換と対策の協力を行おうとしていたが、対立している国家間はすでに戒厳令が敷かれ、小規模ながら戦闘が始まったとの噂もながれていた。全面紛争、いや核を使用した世界戦争に陥る危険性は否定できない。針が正確に時を刻んでいた昨日までの歴史でも、紛争とその事実を世界中が知っていたからだ。

 戦争をほとんど知らない、忘れたこの国でもその危険は十分に実感できた。が、それ以前に生活が崩壊する恐怖は、おもてなしと他人に迷惑をかけないことを美徳とする国民の意識をも急激に変化させようとしていた。
まだなんとか視聴できるTVとラジオでは非常事態宣言を繰り返し流し、国民に冷静に理性的に対処するよう報じたが、具体的対策を示せない政府に非難が相次いだ。

 霞が関は職員が走り回っていた。電話もつながりにくくなっていたからだ。一年生議員も走っていた。会議の結果を伝令するためだ。政治秘書はもれなく走り回り情報を各所から入手する。マスコミはやっと手に入れた情報を社に持ち帰るべくバイクや自転車で走り回った。もはや車も電子制御が誤動作をするようになり、安全に走れる保証がない。今のところ安全なのは自転車とバイクと爺さんの軽トラのみだ。環境にやさしいEV車は活躍の場を失い、スマホの充電と暖を取るための電池になりさがった。最もスマホも活躍できる見込みはなかったが、幾ばくかの安心感は与えたかもしれない。

 岸辺総理の下には真偽のほどは兎も角、今得られる情報がすでに数百の単位で報告されていた。その中で優先順位を無理やりにでも付けて指示を出す。こうなる前は優柔不断などと揶揄されていたものの、日本国存亡の危機に直面し、リーダーとして腹をくくったその指導力は、少しずつでも事態を収拾する方向に進む期待が持てる、ような気がする。

 「総理!国際地球物理学研究所の宝田教授がお見えになりました」
総理秘書が岸辺総理に報告すると同時に宝田教授は会議中の岸辺の前に飛び込んできた。
「総理!  落ち着いてお聞きください」
挨拶はなく、自分も落ち着かせるような間合いをとり、宝田はそう切り出した。
「教授、今回のこのことの原因がわかったのですか?対策は?」
岸辺は敢えて不安ではなく希望に賭けて聞く。
「原因は…まだ正直わかっていません、ですが、ある事実が判明しました」
「なんですか」
「総理、今、体感的には何日の何時頃かわかりますか?」
宝田はもはや正確な時間を示してはいない腕時計を指さしながら言う。
「う~ん、報告を聞いて対策本部を設置、非常事態宣言にアメリカ、中国、ドイツ、イギリスのホットラインで会談だろう…握り飯を一個食って、またこの会議で…そうだな、9時間以上はたっているだろうから、大晦日31日にかわって深夜か明け方?わからんが…」
岸辺は時間の進みようが全くわからないことが対策の立案に影響していることもわかっていた。

少し間を空けた後、宝田は言う。
「総理、私も正確な時間はわかりませんが、ちょっと外を見ていただけませんか?」
宝田に言われ、岸辺は会議室の隣の窓のある部屋に移動し、窓のカーテンを開けるように秘書官に命じる。マスコミ対策のためにこのカーテンはずっと閉めたままだった。
カーテンを開けると外は明るかった。もう午後かと思うような12月の太陽の光が差し込んでくる。岸辺は「もう昼間になっていたのか…思ったより時間が進んでいたんだな」と宝田を振り返り見てそう言った。

「総理、時間は進んでいないのです」
「どういうことだ?結構な会議や対策でさっき言った体感以上に時間は過ぎている。もう大晦日の午後だろう?早くインフラの復旧の対策を進めなければ…」
岸辺の言葉を遮るように宝田は言う
「違う!時間は進んでいない、停止しつつあるんです。」
「何を言ってるんだ?時計がおかしいのはわかるが、時間が停止だと?じゃ、われわれもストップしてるんじゃないのか?SFみたいに?」
同席していた官房長官や秘書官たちは少し笑った。岸辺もパントマイムのような、下手なロボットダンスのような振付を模して少し笑う。何時間ぶりの笑いかとも内心では思っていた。

「あの太陽は…」血相を変えた宝田は、窓から見える太陽を指さして言う。
「30日の午後1時の位置から1時間分くらいしか動いていないんです!!」
「宝田さん、もっとね~わかりやすく言ってくれないと~」
官房長官は皮肉交じりに言う。

「地球が止まろうとしてるのと同じなのです」
「はあ?余計にわからん」
「いいですか?太陽の位置が変わらないということは地球が自転をやめたということです。これはわかるでしょう?」
官房長官はまだ皮肉交じりに「それは中学生でもわかるが、そんなことおきるわけないじゃないか」
「でも事実です、これは。米国スタンフォードの友人の物理学者にも先ほど連絡が取れて、公にはしていないけれど米国政府はすでにその事実を確認しました」
ここで岸辺も官房長官も顔色が変わった。
「もしそうだとして、自転が止まるとどうなるんだ?」
「ずっと昼のままだろう?反対側はずっと夜だ」
官房長官は小学生でもわかる答えを言う。

「地球は滅亡します。少なくとも人類は誰も生き残れない」
「なぜだ?」
「自転しない地球は地磁気を発生させなくなる。そうすれば地球を覆っているシールドもなくなり放射線が無限に降り注ぐ。生命はもはや生きられない。その前に地球が停止する時には地表にとんでもない力が作用するんです。新幹線が急停止することの何千倍ものエネルギーがかかる」
「どう…なる?」岸辺は知りたくない事実を訊ねた。

「地表の物体は吹き飛ばされ宇宙空間に放り出されます。地球上の生命は何一つ残ることはないでしょう」

 岸辺は側にあったソファーに崩れ落ちるように座った。
官房長官は慌てて部屋を出て行った。どこに行くのかはわからない。
岸辺は動けないでいた。

すこし漏らしていたかもしれなかった。


つづく

走れ!走れ!オレたち①

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