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走れ!走れ!オレたち④

天上界その四

 寅は兎を肩のあたりに乗せ、お釈迦様がおられる第一天界の館へ歩を進めていた。兎は己の運命をそのたくましい身体で歩む寅にすべて預け、疑うことも恐れることもなくその小さい足でしっかりとつかまり、泣きはらした赤い瞳は勇敢な寅のしましまを眺めていた。うん、寅さん素敵。

「うーちゃんよ~寒くないかい?」
「うん、大丈夫」
「もうすぐお釈迦様のところだ。そこでおいらはうーちゃんのことをお嫁さんにしたいとお願いするからさ~。何、大丈夫だよ。お釈迦様はそりゃー慈悲深いお方だからきっとわかってくださるよ~」
うーちゃんを安心させようと、親戚の寅次郎の口調を真似た寅は例のテーマソングを鼻歌する。ただ実際には寅に妹はいない。

 うーちゃんは後悔はしていなかった。寅もそうだった。二人の間には肉食とビーガンという食文化の違いはあるが、そんなことは問題ではなかった。それほど深い愛があったのだ。二人の間にあんなことやこんなことがあったのは必然であったのだ。
 
 干支は12年に2度しか相対することはない。寅は牛と兎、兎は寅と竜だ。それぞれ仲はよいのだが、いざ恋愛感情となると話は変わる。寅は牛の乳には魅力を感じたこともあったが、どうもくちゃくちゃと食べるその食べ方が好きになれなかった。うーちゃんはいつもはずかしそうに小さな口でもぐもぐタイム。うーん、惚れてしまうのは当然だった。
 
 うーちゃんは竜のやんちゃなところが好きだったが、干支に選ばれてやけに礼儀正しくしだしたことが気に入らなかった。その点、寅さんは風の向くまま気の向くままに生きているし、不器用ながらの優しさにもひかれていたのだ。
 
 寅さんとうーちゃんは自分たちが戒律を破り、こうして愛の逃避行をしていることに後悔はないものの、自分たちがこうして方位盤を抜け出て、どんな災いが天上界や地上界に起きるのかを考えると胸が痛んだ。多分二人の命はないだろうとも思った。だが、万に一つでもお釈迦様が許してくれるならばと、その一点に賭けた恋心だった。ダメな時は二人で地上界に落ちて玉川上水に入水しようと決めてもいた。他からすれば迷惑な話だ。

 お釈迦様の館についた寅さんとうーちゃんは門番に取次の計らいを願いしばし待った。

 謁見を許された寅さんとうーちゃんは、お釈迦様の御簾の前に出て恭しく頭を垂れた。
「まあ寅よ、ずいぶんと久しいですね。ここへ来たのはまたお腹がすいているからか?そんなに私は美味しかったかい?」
お釈迦様は微笑み、昔、一口目に噛まれた太ももをさすりながら言った。うーちゃんはお釈迦様の言葉に(こいつ、お釈迦様に手を出してやがったのか?やばい奴だった?)と疑いを持ちながら、ぷるぷると勝手に震える耳を寝かせた。
 
 「お釈迦様、お言葉ですがそれは昔、私の先祖が自分の子の餓死を救うための所業に御身を与えてくださったこと。我ら寅一族はお釈迦様の慈悲に代々感謝いたしております。ですから私もこうやって干支の勤めも果たして参りました」
寅さんの口調は柄にもなく恭しい。うーちゃんはお釈迦様を食っちゃったのが(意味は違うが)寅さん自身ではなかったことにホッとして耳がぴくっとなった。

「ならば何の用向きかな?」
「私はここにおります兎を妻として迎えたくお釈迦様のお許しを頂きに参りました。地上界では決して許される間柄ではございません。しかし私たちはここで愛を契りました。12年に一度しか、しかも一刻限りの逢瀬とはあまりに無慈悲とは思われませんか?牽牛と織姫でも年に一度、あんなことや…いや、失礼しました。とにかく私たちは愛し合っています。どうかご慈悲を」
 寅さんは伏せの姿勢でなおかつ頭を垂れる。うーちゃんは寅さんのセリフにうっとりとして赤い目をぱちくりしていたが、寅さんを見て慌てて耳をたたんだ。

「ほほほ、なんですか、そんなことでしたか」
お釈迦様は上品にお笑いになり優しく寅さんとうーちゃんに語りかける。
「寅よ、そなたの愛は誠のようです。兎もそうであろう?本来なら食われても仕方のない間柄、それを覚悟で寅に身をゆだねたるは、私が昔に悟った慈悲の心と同じ。二人とも誠の愛を信じているのですね。それならば私が許すまでもない、幸せに暮らしなさい。ただし、干支の勤めは行うのですよ。ですから都合2年は別々の時がある。しかしそれも私に考えがある。大年神に命じておくから心配しなくても良いですよ」
寅さんとうーちゃんはお釈迦様の優しい言葉に涙し、礼を申し上げ、お釈迦様のもとを去ろうとした。

「うん?寅よ、そなた勤めはいつでした?去年か?いやそれなら…」
お釈迦様は帰ろうとした二人に声をかける。
「私は今年でございました」
「そうか、今年か、それはご苦労さまでしたね、ということは兎は来年か?」
「はい、そうです」
うーちゃんはここに来て初めてお釈迦様に返答をした。
「そうか、では来年1年は我慢してもらわなければならないかもしれませんがそれでよいですか?」
「はい」
「では、気を付けてお帰りなさい」
「ありがとうございます」
二人は再び礼を申し上げ立ち去ろうとする。
「うん?でも、なんで二人がここに来れたのか?」
お釈迦様は少し怪訝な表情をしながらまた声をかけた。
「かけおちしました」
「ほー、駆け落ちとな、で、今、方位盤は?」
「たぶん、誰もいません」
「それ、聞いてないけど」
お釈迦様の表情が変化しているのに気づき、うーちゃんは耳を寝かせる。
「すみません、言ってません」
「方位盤に干支がいないとどうなるか知ってる?」
「よくは知りません。いままでそんなことないので。ただ、聞いたところによると時間がその間止まるとか…」
「わかってるじゃん」(じゃ…じゃん?)
「引き継いでくれる干支いないと、年、変わんないよ」
お釈迦様の口調がパワハラ口調になり始めた。
「それ以前に時間止めたらどうなる?」
「わかりません」
寅さんは即答した。
「この、あほ!ボケ!そんなことしたら地球は破滅じゃ!人間死ぬぞ!そうなったら天界も存在意味なくなるんやぞ!わかっとんのか馬鹿たれが!」
寅さんとうーちゃんはお釈迦様の豹変ぶりに震え、少し漏らした。

「あー、しかし今更仕方ない。私の出番か、お前たち二人はすぐに方位盤へ帰りなさい!完全に止まればもうおしまい。間に合うかどうか…」
お釈迦様は従者に命じた。
「大年神に方位盤をすぐに回せと伝えなさい、修正は私がやります。寅と兎は私の手にのりなさい。時間がない、一緒に行きますよ」

寅さんとうーちゃんはお釈迦様の掌に乗った。
お釈迦様はなんだか手が濡れるなと思いつつも、この事態の収拾を急がねばと立ち上がった。

つづく

走れ!走れ!オレたち①   
走れ!走れ!オレたち②
走れ!走れ!オレたち③


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